東ヰンドの奇妙なブログ
2013年8月4日復活!生粋の初田悦子のファン、東ヰンドの奇跡の賢者のブログです。地味に地道に綴っていきます。 2020年6月以来休眠状態になっていましたが2023年5月11日に再開!! 旧東ヰンドの奇妙なブログもぜひどうぞ☆ http://plaza.rakuten.co.jp/higashiindo/
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シリーズ10回目。大台に達した。
サクサク進めたいものである。ワタクシ自身のやる気の問題だが。
『12年前の今ごろ何をしていたか』
これまでの流れは
①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
⑧→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/131/
⑨→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/143/
をご覧になっていただきたい。
エッ(Ed)はタイからの留学生。
だが、その時点で中国語は未経験という。
いくら「本気で言語を学ぶならその言語を母語とする場所で」という
言語学習の鉄則があるといっても、
まったく未学習の状態で来ても習得は難しいのでは??
という風に思ったものである。
とにかく留学期間中の講義はすべて中国語。
先生はまず中国語しかしゃべれない。
ワタクシの入っていたクラスの先生は
たまたま日本語を結構話せたが、それでも講義はすべて中国語だった。
英語という手段は基本的にない。
どうやって単語の意味とか文法とか、説明を受けて
理解していくのか?
ピンインはアルファベットだから、
発音を習うのはなんとかなるのかな?
それで総合的な中国語を身につけることができるのか
実際できたのか、今でもよく分からないけど。
ワタクシとエッはその日からルームメイトとして
一緒の部屋で生活することとなったわけだが、
前述のように、エッは中国語はまったく話せなかったので
彼とのコミュニケーションは英語で行った。
しかしワタクシ、英語ができないできない。
自分の英語に自分で笑えた。笑えるほどひどいもんだった。
もともと、英語へのコンプレックスというか
そういうものを抱えて中国語を選択していたという
背景もあるワタクシにとっては、仕方のないことであるが
エッに対して言いたいこと言えないのはともかくとして
「一体なぜ中国に留学に来て英語で会話してるんだろうか?」と
相当な疑問として感じられる時もあった。
それでも日々生活するうえで
英語で何とかするしかないという環境は
少々ストレスだったかもしれない。
もう少し喋れたら違ったんだろうけど。
ワタクシの住んでいた寮は数階建てで、
タイ人はエッ以外にも数名のメンバーがばらけて住んでいて
ひとつのグループを形成していた。
全部で7名。男性3人、女性4人。
エッとワタクシが同部屋だったということから
北京滞在の1か月間、食事やら買い物やら観光やら
彼ら(特に男性ら)と行動を共にすることもしばしばだった。
彼らは、ワタクシたちが初めて会った時から
かなり仲睦まじい様子なので
学校の同級生かもしくは何かの縁で知り合いなのかと思ったら
全然そうでもなくて、タイを出発する前に
タイの空港で初めて出会った間柄だという。
それであんなにグループグループするかねぇ。
いやぁ~不思議。
そういうお国柄なのだろうか?
エッ以外のタイ人たちの中には、ルーツが中国系だったりして
中国語をそれなりにできる人も混じっていて
(7人中5人は中国語でのコミュニケーションが可)
ワタクシたちとの交流・会話はもっぱら中国語で行われた。
彼らはライティングは苦手にしていたが
リスニング力が高く、ワタクシと同じくらいの学習期間でも
会話が非常に流暢だったのが印象に残っている。
が、エッはほとんどそれに加わることはなく
タイ人とはタイ語で、ワタクシたちとは英語で、を
終始貫いている感じだった。
ま、エッはともかくとして
タイ人らとはいろいろと困ったことが起こった時は助け合ったり
中国語の学習に向けて激励しあったり・・・という関係となり
タイ人と日本人が中国で、という妙さを含めて
こういう形の交流もアリだな、と留学の面白さを実感する
大きなファクターとなった。
↑タイ人男性陣との記念写真。写真左がエッ。
⑪につづく。
サクサク進めたいものである。ワタクシ自身のやる気の問題だが。
『12年前の今ごろ何をしていたか』
これまでの流れは
①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
⑧→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/131/
⑨→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/143/
をご覧になっていただきたい。
エッ(Ed)はタイからの留学生。
だが、その時点で中国語は未経験という。
いくら「本気で言語を学ぶならその言語を母語とする場所で」という
言語学習の鉄則があるといっても、
まったく未学習の状態で来ても習得は難しいのでは??
という風に思ったものである。
とにかく留学期間中の講義はすべて中国語。
先生はまず中国語しかしゃべれない。
ワタクシの入っていたクラスの先生は
たまたま日本語を結構話せたが、それでも講義はすべて中国語だった。
英語という手段は基本的にない。
どうやって単語の意味とか文法とか、説明を受けて
理解していくのか?
ピンインはアルファベットだから、
発音を習うのはなんとかなるのかな?
それで総合的な中国語を身につけることができるのか
実際できたのか、今でもよく分からないけど。
ワタクシとエッはその日からルームメイトとして
一緒の部屋で生活することとなったわけだが、
前述のように、エッは中国語はまったく話せなかったので
彼とのコミュニケーションは英語で行った。
しかしワタクシ、英語ができないできない。
自分の英語に自分で笑えた。笑えるほどひどいもんだった。
もともと、英語へのコンプレックスというか
そういうものを抱えて中国語を選択していたという
背景もあるワタクシにとっては、仕方のないことであるが
エッに対して言いたいこと言えないのはともかくとして
「一体なぜ中国に留学に来て英語で会話してるんだろうか?」と
相当な疑問として感じられる時もあった。
それでも日々生活するうえで
英語で何とかするしかないという環境は
少々ストレスだったかもしれない。
もう少し喋れたら違ったんだろうけど。
ワタクシの住んでいた寮は数階建てで、
タイ人はエッ以外にも数名のメンバーがばらけて住んでいて
ひとつのグループを形成していた。
全部で7名。男性3人、女性4人。
エッとワタクシが同部屋だったということから
北京滞在の1か月間、食事やら買い物やら観光やら
彼ら(特に男性ら)と行動を共にすることもしばしばだった。
彼らは、ワタクシたちが初めて会った時から
かなり仲睦まじい様子なので
学校の同級生かもしくは何かの縁で知り合いなのかと思ったら
全然そうでもなくて、タイを出発する前に
タイの空港で初めて出会った間柄だという。
それであんなにグループグループするかねぇ。
いやぁ~不思議。
そういうお国柄なのだろうか?
エッ以外のタイ人たちの中には、ルーツが中国系だったりして
中国語をそれなりにできる人も混じっていて
(7人中5人は中国語でのコミュニケーションが可)
ワタクシたちとの交流・会話はもっぱら中国語で行われた。
彼らはライティングは苦手にしていたが
リスニング力が高く、ワタクシと同じくらいの学習期間でも
会話が非常に流暢だったのが印象に残っている。
が、エッはほとんどそれに加わることはなく
タイ人とはタイ語で、ワタクシたちとは英語で、を
終始貫いている感じだった。
ま、エッはともかくとして
タイ人らとはいろいろと困ったことが起こった時は助け合ったり
中国語の学習に向けて激励しあったり・・・という関係となり
タイ人と日本人が中国で、という妙さを含めて
こういう形の交流もアリだな、と留学の面白さを実感する
大きなファクターとなった。
↑タイ人男性陣との記念写真。写真左がエッ。
⑪につづく。
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プロフィール
HN:
東ヰンドの奇跡の賢者
年齢:
41
HP:
性別:
男性
誕生日:
1983/10/11
職業:
バルタン星人
趣味:
地味で地道なこと
自己紹介:
生粋の初田悦子ファン。
とにかくたくさんの人に “歌うストーリーテラー” 初田悦子 の歌を聴いてほしい!と心から願って生きています。
ジャグリングが趣味でしたが、最近はたまにやるくらいになってしまいました。
日本ビール検定2級所持。
マー○ャン(中国積み木)も幼い頃からすごく好きです。
Twitterアカウント:higashi_indo
とにかくたくさんの人に “歌うストーリーテラー” 初田悦子 の歌を聴いてほしい!と心から願って生きています。
ジャグリングが趣味でしたが、最近はたまにやるくらいになってしまいました。
日本ビール検定2級所持。
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