東ヰンドの奇妙なブログ
2013年8月4日復活!生粋の初田悦子のファン、東ヰンドの奇跡の賢者のブログです。地味に地道に綴っていきます。 2020年6月以来休眠状態になっていましたが2023年5月11日に再開!! 旧東ヰンドの奇妙なブログもぜひどうぞ☆ http://plaza.rakuten.co.jp/higashiindo/
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シリーズ15回目。
2月中には書き切りたいと言っていたはずだが
師走をすぎて2016年に突入した・・・
この長編小説の執筆もいつぶりだろうか・・・
もはや笑いも出ないぞ。
職場の環境が大きく変わったとか
新たなプロジェクトがいきなり降ってきたなど
挙げればいろんな理由がありすぎてキリがないが
大雑把に言えば、月日が流れるのが早いのである。
断じて、ワタクシの執筆が遅いのではなく!
書き切る意志が弱いのではなく!!
と、いうことで・・・・・
『12年前の今ごろ何をしていたか』
これまでの流れは
①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
⑧→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/131/
⑨→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/143/
⑩→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/144/
⑪→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/145/
⑫→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/146/
⑬→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/147/
⑭→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/148/
をご覧になっていただきたい。
北京での生活が3週間ほど過ぎたころ、週末旅行に行くことになった。
留学先の北京語言大学の掲示板(みたいなところ)には
留学生に向けた様々な情報が掲示されるのであるが
ある時そこに、学生を対象にした旅行の参加者を募る貼り紙が貼られていた。
旅行の貼り紙、といっても内容は割と雑で
A4サイズの紙に、文字だけで「週末旅行!参加者求む!」
日程!
旅費!
行先!
観光の見どころ!
みたいなものが箇条書きで
ざくっと羅列されているだけだったような気がするが・・・
実際のところはよく覚えていない。
掲示板(みたいなところ)には、
いくつかそんな貼り紙があったが
その中から日程的にちょうど良さそうな旅行を
神田外語大学から一緒に留学していたワタクシたちグループの
女子が見つけてきて、その誘いに乗った形。
行先は・・・鄭州。
ワタクシはその時まで知らなかったが、
河南省の省都であり
「少林寺」の本山があることで
日本人にも有名な土地。
ワタクシたち神田外語大学日本人留学生一行全員で
この旅行に参加することとなった。
旅程はといえば
金曜日の日中に通常通りの講義を受けた上で
金曜日の夜に宿舎を出て北京西駅から夜行列車に乗って鄭州へ、
土曜日・日曜日と鄭州の各地を巡って観光、
日曜日の夜にはまた夜行列車に乗って北京へ、
月曜日の朝6時に宿舎に戻って8時からは講義!
という、
鮨詰めバス状態の詰め込み感!
ワタクシはともかくとして
女性陣にはなかなかハードな旅程なのではないかとも思われたが
新たな土地に出向く時のワクワク感というか
高揚感のようなものは
そういったネガティヴな感情を打ち消すものらしい。
女性陣は皆、意気揚々と旅行の日を待ちわびていた。
・・・だがこの時、ワタクシたちは予想だにしていなかった。
あのような恐怖の出来事が自分たちの身に降りかかろうとは。
短期留学の日々は驚くほどあっという間に過ぎ去り、
鄭州旅行の日を迎えた。
どういう風に駅まで行ったのか明確な記憶に無いのだが
その旅行に申し込んだ人が
北京語言大学の集合場所に一旦集まって、
全員でマイクロバスに乗って向かったのではなかったかと思う。
夜の北京西駅は数多のネオンに彩られ、古めかしい印象は全くなかった。
あのような光景は、当時の日本の何処でも見ることはできなかっただろう。
目に入ってくるものはすべて青、緑、そしてピンクの蛍光色。
北京西駅に着くと、ワタクシたちを待ち構えていたのは
夜行列車。
ワタクシにとって人生初の夜行列車である。
中国語でいうところの「硬臥(yingwo)」というタイプの車両で
三段ベッドになっていた。
ワタクシは、ほぼ興味本位で一番上のベッドを選んだが
横になると天井までの距離が30センチあるかないかのギリギリ感で
寝るためだけの車両というニュアンスが痛いほど伝わった。
夜行列車は、遮るものなく果てしなく続く線路を進む。
夜、寝る気にならなかったこともあってワタクシは
真っ暗な中、ベッドを下りて座席に座り
過ぎていく荒野の風景を眺めていた。
が、おそらく夜の盗難などを防ぐためなんだろう、
ワタクシが寝床に着くまで、ちょっと離れた場所に座った
女性車掌がずっとワタクシを見ていて
早く寝ねば悪い気にさせられる、
その妙な緊迫感は脳裏に焼き付いている。
翌朝、鄭州に到着。そして・・・
⑯につづく。
2月中には書き切りたいと言っていたはずだが
師走をすぎて2016年に突入した・・・
この長編小説の執筆もいつぶりだろうか・・・
もはや笑いも出ないぞ。
職場の環境が大きく変わったとか
新たなプロジェクトがいきなり降ってきたなど
挙げればいろんな理由がありすぎてキリがないが
大雑把に言えば、月日が流れるのが早いのである。
断じて、ワタクシの執筆が遅いのではなく!
書き切る意志が弱いのではなく!!
と、いうことで・・・・・
『12年前の今ごろ何をしていたか』
これまでの流れは
①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
⑧→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/131/
⑨→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/143/
⑩→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/144/
⑪→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/145/
⑫→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/146/
⑬→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/147/
⑭→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/148/
をご覧になっていただきたい。
北京での生活が3週間ほど過ぎたころ、週末旅行に行くことになった。
留学先の北京語言大学の掲示板(みたいなところ)には
留学生に向けた様々な情報が掲示されるのであるが
ある時そこに、学生を対象にした旅行の参加者を募る貼り紙が貼られていた。
旅行の貼り紙、といっても内容は割と雑で
A4サイズの紙に、文字だけで「週末旅行!参加者求む!」
日程!
旅費!
行先!
観光の見どころ!
みたいなものが箇条書きで
ざくっと羅列されているだけだったような気がするが・・・
実際のところはよく覚えていない。
掲示板(みたいなところ)には、
いくつかそんな貼り紙があったが
その中から日程的にちょうど良さそうな旅行を
神田外語大学から一緒に留学していたワタクシたちグループの
女子が見つけてきて、その誘いに乗った形。
行先は・・・鄭州。
ワタクシはその時まで知らなかったが、
河南省の省都であり
「少林寺」の本山があることで
日本人にも有名な土地。
ワタクシたち神田外語大学日本人留学生一行全員で
この旅行に参加することとなった。
旅程はといえば
金曜日の日中に通常通りの講義を受けた上で
金曜日の夜に宿舎を出て北京西駅から夜行列車に乗って鄭州へ、
土曜日・日曜日と鄭州の各地を巡って観光、
日曜日の夜にはまた夜行列車に乗って北京へ、
月曜日の朝6時に宿舎に戻って8時からは講義!
という、
鮨詰めバス状態の詰め込み感!
ワタクシはともかくとして
女性陣にはなかなかハードな旅程なのではないかとも思われたが
新たな土地に出向く時のワクワク感というか
高揚感のようなものは
そういったネガティヴな感情を打ち消すものらしい。
女性陣は皆、意気揚々と旅行の日を待ちわびていた。
・・・だがこの時、ワタクシたちは予想だにしていなかった。
あのような恐怖の出来事が自分たちの身に降りかかろうとは。
短期留学の日々は驚くほどあっという間に過ぎ去り、
鄭州旅行の日を迎えた。
どういう風に駅まで行ったのか明確な記憶に無いのだが
その旅行に申し込んだ人が
北京語言大学の集合場所に一旦集まって、
全員でマイクロバスに乗って向かったのではなかったかと思う。
夜の北京西駅は数多のネオンに彩られ、古めかしい印象は全くなかった。
あのような光景は、当時の日本の何処でも見ることはできなかっただろう。
目に入ってくるものはすべて青、緑、そしてピンクの蛍光色。
北京西駅に着くと、ワタクシたちを待ち構えていたのは
夜行列車。
ワタクシにとって人生初の夜行列車である。
中国語でいうところの「硬臥(yingwo)」というタイプの車両で
三段ベッドになっていた。
ワタクシは、ほぼ興味本位で一番上のベッドを選んだが
横になると天井までの距離が30センチあるかないかのギリギリ感で
寝るためだけの車両というニュアンスが痛いほど伝わった。
夜行列車は、遮るものなく果てしなく続く線路を進む。
夜、寝る気にならなかったこともあってワタクシは
真っ暗な中、ベッドを下りて座席に座り
過ぎていく荒野の風景を眺めていた。
が、おそらく夜の盗難などを防ぐためなんだろう、
ワタクシが寝床に着くまで、ちょっと離れた場所に座った
女性車掌がずっとワタクシを見ていて
早く寝ねば悪い気にさせられる、
その妙な緊迫感は脳裏に焼き付いている。
翌朝、鄭州に到着。そして・・・
⑯につづく。
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プロフィール
HN:
東ヰンドの奇跡の賢者
年齢:
41
HP:
性別:
男性
誕生日:
1983/10/11
職業:
バルタン星人
趣味:
地味で地道なこと
自己紹介:
生粋の初田悦子ファン。
とにかくたくさんの人に “歌うストーリーテラー” 初田悦子 の歌を聴いてほしい!と心から願って生きています。
ジャグリングが趣味でしたが、最近はたまにやるくらいになってしまいました。
日本ビール検定2級所持。
マー○ャン(中国積み木)も幼い頃からすごく好きです。
Twitterアカウント:higashi_indo
とにかくたくさんの人に “歌うストーリーテラー” 初田悦子 の歌を聴いてほしい!と心から願って生きています。
ジャグリングが趣味でしたが、最近はたまにやるくらいになってしまいました。
日本ビール検定2級所持。
マー○ャン(中国積み木)も幼い頃からすごく好きです。
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