東ヰンドの奇妙なブログ
2013年8月4日復活!生粋の初田悦子のファン、東ヰンドの奇跡の賢者のブログです。地味に地道に綴っていきます。 2020年6月以来休眠状態になっていましたが2023年5月11日に再開!! 旧東ヰンドの奇妙なブログもぜひどうぞ☆ http://plaza.rakuten.co.jp/higashiindo/
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シリーズ18回目。
知る人ぞ知る。
もう12年前じゃなくなっているということを。
『12年前の今ごろ何をしていたか』
これまでの流れは
①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
⑧→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/131/
⑨→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/143/
⑩→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/144/
⑪→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/145/
⑫→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/146/
⑬→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/147/
⑭→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/148/
⑮→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/159/
⑯→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/161/
⑰→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/165/
をご覧になっていただきたい。
ガイドの女史から
「さぁみなさん、旅を続けましょう!」
という明るいトーンで迎えられたことには
さすがに驚いた。
これから生きていく中でも
これほどの辟易を味わえる機会はそうはないだろう、
と思ったほどである。
同じように病院を出てきた旅行参加者の多くは苦笑いを浮かべていた。
まぁ、その女史も空気が読めなくてそういった対応をしたわけではなく
会社ないしは上司などの指示があって
一旦仕切り直しをして沈んだ場を盛り上げようと努めていた
ということなんだろうが、
その日起こった事象の度合いが、明るく振る舞うことで
リカバーできる範囲を大きく超えていた。
その時、少なくともワタクシは、
新たに用意されたバスに乗るのをためらう気持ちも少しはあったが
北京からも遠く離れたその地で頼れる者があるわけもなく
女史に促されるままにそのバスに乗って旅行を続ける以外の選択肢を
検討するだけの気力は持ち合わせていなかった。
そして午後から再び、少林寺方面に向けてのバス旅程が始まった。
事故により外傷を負ったMさんはそのまま病院に入院して
治療が続けられることとなった。
その他にもそういった参加者がいたかもしれないが
まったく覚えていない。
午前中と同じように、バスは無法地帯の山道を進んでいく。
車内では、誰も口を開こうとしない。
全員が終始無言。
皆、ただボーっと、うつろな目で
荒んだ田園風景が流れていくのを眺めているだけの
重苦しい雰囲気。
その重苦しさたるや、表現のしようがない。
いや、しかしそれも無理はなかったと思う。
口に出そうにも、何を話してよいか分からないのである。
あまりにも重苦しい空気をなんとかしようと
ガイドの女史が、突如として
「みんなで(中国語の単語)しりとりをしましょう!」
と提案する。
で、しりとりが始まったわけだが
その週末旅行は、中国語を学び始めて1年程度の学生が
中心メンバーである。
知っている単語の数には限界があるし
そもそも日本語のしりとりと違って、中国語はしりとりは異常に難しい。
末尾の音の発音と声調と同じ言い出しから始まる単語なんぞ
簡単に思いつくわけがない。
ガイドの女史が無理くりヒントを出してくれるんだが
それでも知らない単語が出てくるわけは無いのだから、
ほとんど意味をなさなかった。
ワタクシはその中でも割と単語を知っていた方であったと思うが
面白味を理解することもできぬまま
女史提案によるバスレクは残念な形で終了した。
事故により時間がなくなってしまったため
その日の午後に少林寺を訪問するのは取り止めとなった。
砂丘?のようなところに行ってホバークラフトに乗るか
开封(開封)に行って買い物をするか
どちらかにしようという話が出て
その二択の中では場所的に近かったホバークラフトに決まった。
確かホバークラフトに乗ったんだったと思う。
普通なら割と盛り上がるシチュエーションだったはずだが
それから後のその日の旅程については
記憶も記録もまったくなくなっている。写真も1枚もない。
きっと、午前中に起こったことのインパクトが大きすぎたのだろう。
夜は、シティホテルのようなところでの宿泊だった。
シャワーが出ないとか部屋の照明が点かないとか
いろいろあったような気もするが、細かいことは・・・やはり覚えていない。
が、さらにこの場所でも重要な出来事があった。
今回のバス旅行を主催していた現地のツアー会社の社長が現れたのだ。
⑲につづく。
知る人ぞ知る。
もう12年前じゃなくなっているということを。
『12年前の今ごろ何をしていたか』
これまでの流れは
①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
⑧→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/131/
⑨→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/143/
⑩→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/144/
⑪→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/145/
⑫→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/146/
⑬→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/147/
⑭→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/148/
⑮→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/159/
⑯→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/161/
⑰→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/165/
をご覧になっていただきたい。
ガイドの女史から
「さぁみなさん、旅を続けましょう!」
という明るいトーンで迎えられたことには
さすがに驚いた。
これから生きていく中でも
これほどの辟易を味わえる機会はそうはないだろう、
と思ったほどである。
同じように病院を出てきた旅行参加者の多くは苦笑いを浮かべていた。
まぁ、その女史も空気が読めなくてそういった対応をしたわけではなく
会社ないしは上司などの指示があって
一旦仕切り直しをして沈んだ場を盛り上げようと努めていた
ということなんだろうが、
その日起こった事象の度合いが、明るく振る舞うことで
リカバーできる範囲を大きく超えていた。
その時、少なくともワタクシは、
新たに用意されたバスに乗るのをためらう気持ちも少しはあったが
北京からも遠く離れたその地で頼れる者があるわけもなく
女史に促されるままにそのバスに乗って旅行を続ける以外の選択肢を
検討するだけの気力は持ち合わせていなかった。
そして午後から再び、少林寺方面に向けてのバス旅程が始まった。
事故により外傷を負ったMさんはそのまま病院に入院して
治療が続けられることとなった。
その他にもそういった参加者がいたかもしれないが
まったく覚えていない。
午前中と同じように、バスは無法地帯の山道を進んでいく。
車内では、誰も口を開こうとしない。
全員が終始無言。
皆、ただボーっと、うつろな目で
荒んだ田園風景が流れていくのを眺めているだけの
重苦しい雰囲気。
その重苦しさたるや、表現のしようがない。
いや、しかしそれも無理はなかったと思う。
口に出そうにも、何を話してよいか分からないのである。
あまりにも重苦しい空気をなんとかしようと
ガイドの女史が、突如として
「みんなで(中国語の単語)しりとりをしましょう!」
と提案する。
で、しりとりが始まったわけだが
その週末旅行は、中国語を学び始めて1年程度の学生が
中心メンバーである。
知っている単語の数には限界があるし
そもそも日本語のしりとりと違って、中国語はしりとりは異常に難しい。
末尾の音の発音と声調と同じ言い出しから始まる単語なんぞ
簡単に思いつくわけがない。
ガイドの女史が無理くりヒントを出してくれるんだが
それでも知らない単語が出てくるわけは無いのだから、
ほとんど意味をなさなかった。
ワタクシはその中でも割と単語を知っていた方であったと思うが
面白味を理解することもできぬまま
女史提案によるバスレクは残念な形で終了した。
事故により時間がなくなってしまったため
その日の午後に少林寺を訪問するのは取り止めとなった。
砂丘?のようなところに行ってホバークラフトに乗るか
开封(開封)に行って買い物をするか
どちらかにしようという話が出て
その二択の中では場所的に近かったホバークラフトに決まった。
確かホバークラフトに乗ったんだったと思う。
普通なら割と盛り上がるシチュエーションだったはずだが
それから後のその日の旅程については
記憶も記録もまったくなくなっている。写真も1枚もない。
きっと、午前中に起こったことのインパクトが大きすぎたのだろう。
夜は、シティホテルのようなところでの宿泊だった。
シャワーが出ないとか部屋の照明が点かないとか
いろいろあったような気もするが、細かいことは・・・やはり覚えていない。
が、さらにこの場所でも重要な出来事があった。
今回のバス旅行を主催していた現地のツアー会社の社長が現れたのだ。
⑲につづく。
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プロフィール
HN:
東ヰンドの奇跡の賢者
年齢:
41
HP:
性別:
男性
誕生日:
1983/10/11
職業:
バルタン星人
趣味:
地味で地道なこと
自己紹介:
生粋の初田悦子ファン。
とにかくたくさんの人に “歌うストーリーテラー” 初田悦子 の歌を聴いてほしい!と心から願って生きています。
ジャグリングが趣味でしたが、最近はたまにやるくらいになってしまいました。
日本ビール検定2級所持。
マー○ャン(中国積み木)も幼い頃からすごく好きです。
Twitterアカウント:higashi_indo
とにかくたくさんの人に “歌うストーリーテラー” 初田悦子 の歌を聴いてほしい!と心から願って生きています。
ジャグリングが趣味でしたが、最近はたまにやるくらいになってしまいました。
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