東ヰンドの奇妙なブログ
2013年8月4日復活!生粋の初田悦子のファン、東ヰンドの奇跡の賢者のブログです。地味に地道に綴っていきます。 2020年6月以来休眠状態になっていましたが2023年5月11日に再開!! 旧東ヰンドの奇妙なブログもぜひどうぞ☆ http://plaza.rakuten.co.jp/higashiindo/
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シリーズ24回目。
仮に1時間で1話読むとすると、丸一日かかる計算だ。
『12年前の今ごろ何をしていたか』
これまでの流れは
①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
⑧→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/131/
⑨→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/143/
⑩→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/144/
⑪→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/145/
⑫→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/146/
⑬→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/147/
⑭→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/148/
⑮→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/159/
⑯→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/161/
⑰→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/165/
⑱→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/169/
⑲→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/229/
⑳→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/230/
㉑→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/232/
㉒→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/236/
㉓→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/237/
をご覧になっていただきたい。
北京滞在の最後の週。
ワタクシたちとともに暮らしたタイ人らのほとんどは
引き続き北京に残って学習を続けるということで
送別会風の催しを開いてくれたりした。
その他にも、食堂のデザート売り場の小姐(店員)に寂しがられたり
(ワタクシが毎日昼に食堂で“布丁”すなわちプリンを買っていたから。)
少しずつ交友関係も広がってきた中での惜別は
本当に寂しいものがあった。
大学での講義は、確か日本に帰参する前日か
2日前くらいまであったのだと思う。
講義の締めくくりとして
筆記試験や口頭試験のようなものもあったかもしれない。
最後の講義を受け終えた後には
ワタクシらのクラスの講師であった张老师と
記念写真を撮った。
↑张老师との食事会にて
↑講義中の様子っぽくポーズをとる张老师
⑬で紹介したテキストも
そのすべてをやり終えたわけではなかったが
わずか1カ月強とはいえ、短期留学の期間中でも
中国語力はブラッシュアップしていたと明確に実感していたし
何よりも今のスタンスで学習を続けていけば
やがては確実に中国語を習得できるという
手応えを掴むことができた。
その意味で非常に有意義な1ヶ月間だった。
もちろんタイ人との不可思議生活も、ね。
宿舎の部屋を後にする時、部屋の中は
エッが街で買ってきたモノだらけになっていた。
背の高いラックやら間接照明やら・・・
とりあえず備え付けの器具は完全無視。
そしてDVDはざっと300枚以上。
状況から鑑みるに
きっと映画館でも開業するつもりだったのだろう。
彼には他にも様々な野望もあったのかもしれないが
あまり深く追及することはしなかった。
それより、ワタクシが去った後に入居してくる人
のことを考えろよ~と思っていた。
いい意味での社会勉強になったってヤツかな。
↑タイ人男性陣との記念写真。
シリーズ化してここまで書いてくると妙に懐かしくなる。
彼らは今、何をしているのだろうか。
空港まで至ると、张老师が見送りに来てくれていた。
フライトの時間も迫っていたため
あまり長く話すことはできなかったが
これは予想外だったから嬉しかった。
ワタクシは、日本から持ってきたものの
荷物が増えて持って帰るのがめんどくさくなっていた醤油を
「格別の想いを込めた郷土の品」として咄嗟に
张老师に差し出した。
ゴタゴタの中、袋に入れて渡したので
何を受け取ったのかを気づいていなかったと思うが
张老师は後に使いかけのキッコーマンのボトルを見て
どのような感想を持ったのだろうか。
これについては、年月が経っても興味を失うことがない。
そしてワタクシたちを乗せた飛行機は北京を飛び立つ。
㉕につづく。
仮に1時間で1話読むとすると、丸一日かかる計算だ。
『12年前の今ごろ何をしていたか』
これまでの流れは
①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
⑧→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/131/
⑨→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/143/
⑩→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/144/
⑪→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/145/
⑫→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/146/
⑬→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/147/
⑭→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/148/
⑮→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/159/
⑯→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/161/
⑰→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/165/
⑱→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/169/
⑲→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/229/
⑳→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/230/
㉑→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/232/
㉒→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/236/
㉓→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/237/
をご覧になっていただきたい。
北京滞在の最後の週。
ワタクシたちとともに暮らしたタイ人らのほとんどは
引き続き北京に残って学習を続けるということで
送別会風の催しを開いてくれたりした。
その他にも、食堂のデザート売り場の小姐(店員)に寂しがられたり
(ワタクシが毎日昼に食堂で“布丁”すなわちプリンを買っていたから。)
少しずつ交友関係も広がってきた中での惜別は
本当に寂しいものがあった。
大学での講義は、確か日本に帰参する前日か
2日前くらいまであったのだと思う。
講義の締めくくりとして
筆記試験や口頭試験のようなものもあったかもしれない。
最後の講義を受け終えた後には
ワタクシらのクラスの講師であった张老师と
記念写真を撮った。
↑张老师との食事会にて
↑講義中の様子っぽくポーズをとる张老师
⑬で紹介したテキストも
そのすべてをやり終えたわけではなかったが
わずか1カ月強とはいえ、短期留学の期間中でも
中国語力はブラッシュアップしていたと明確に実感していたし
何よりも今のスタンスで学習を続けていけば
やがては確実に中国語を習得できるという
手応えを掴むことができた。
その意味で非常に有意義な1ヶ月間だった。
もちろんタイ人との不可思議生活も、ね。
宿舎の部屋を後にする時、部屋の中は
エッが街で買ってきたモノだらけになっていた。
背の高いラックやら間接照明やら・・・
とりあえず備え付けの器具は完全無視。
そしてDVDはざっと300枚以上。
状況から鑑みるに
きっと映画館でも開業するつもりだったのだろう。
彼には他にも様々な野望もあったのかもしれないが
あまり深く追及することはしなかった。
それより、ワタクシが去った後に入居してくる人
のことを考えろよ~と思っていた。
いい意味での社会勉強になったってヤツかな。
↑タイ人男性陣との記念写真。
シリーズ化してここまで書いてくると妙に懐かしくなる。
彼らは今、何をしているのだろうか。
空港まで至ると、张老师が見送りに来てくれていた。
フライトの時間も迫っていたため
あまり長く話すことはできなかったが
これは予想外だったから嬉しかった。
ワタクシは、日本から持ってきたものの
荷物が増えて持って帰るのがめんどくさくなっていた醤油を
「格別の想いを込めた郷土の品」として咄嗟に
张老师に差し出した。
ゴタゴタの中、袋に入れて渡したので
何を受け取ったのかを気づいていなかったと思うが
张老师は後に使いかけのキッコーマンのボトルを見て
どのような感想を持ったのだろうか。
これについては、年月が経っても興味を失うことがない。
そしてワタクシたちを乗せた飛行機は北京を飛び立つ。
㉕につづく。
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プロフィール
HN:
東ヰンドの奇跡の賢者
年齢:
41
HP:
性別:
男性
誕生日:
1983/10/11
職業:
バルタン星人
趣味:
地味で地道なこと
自己紹介:
生粋の初田悦子ファン。
とにかくたくさんの人に “歌うストーリーテラー” 初田悦子 の歌を聴いてほしい!と心から願って生きています。
ジャグリングが趣味でしたが、最近はたまにやるくらいになってしまいました。
日本ビール検定2級所持。
マー○ャン(中国積み木)も幼い頃からすごく好きです。
Twitterアカウント:higashi_indo
とにかくたくさんの人に “歌うストーリーテラー” 初田悦子 の歌を聴いてほしい!と心から願って生きています。
ジャグリングが趣味でしたが、最近はたまにやるくらいになってしまいました。
日本ビール検定2級所持。
マー○ャン(中国積み木)も幼い頃からすごく好きです。
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