東ヰンドの奇妙なブログ
2013年8月4日復活!生粋の初田悦子のファン、東ヰンドの奇跡の賢者のブログです。地味に地道に綴っていきます。 2020年6月以来休眠状態になっていましたが2023年5月11日に再開!! 旧東ヰンドの奇妙なブログもぜひどうぞ☆ http://plaza.rakuten.co.jp/higashiindo/
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今日の午前に必要物資の買い物のために訪れたのは
ジャスコノア店時計の広場。
なんかクリスマスの抽選会的なやつが行われてました。
今日から遡ること、1850日前。
この場所で初田悦子ライブが開催されました。
初田悦子ミニライブ『ぽかぽか春の音楽会』
http://plaza.rakuten.co.jp/higashiindo/diary/201004050000/
ほんっと、懐かしいことですね。
あの日の嬉しかった気持ち、
そしてあのライブが決まったあの日の衝撃は
忘れません。
ジャスコノア店時計の広場。
なんかクリスマスの抽選会的なやつが行われてました。
今日から遡ること、1850日前。
この場所で初田悦子ライブが開催されました。
初田悦子ミニライブ『ぽかぽか春の音楽会』
http://plaza.rakuten.co.jp/higashiindo/diary/201004050000/
ほんっと、懐かしいことですね。
あの日の嬉しかった気持ち、
そしてあのライブが決まったあの日の衝撃は
忘れません。
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スマホアプリ『ナイトガンダムパズルヒーローズ』が明日でサービス終了となります。
寂しくなりますね・・・ほんと。
2年間一緒に暮らしてきた人が
その日を境に家からいなくなるような感じです。
スマホアプリの終了なんて、他人事だと思ってました。
確かに時々、『●●●』サービス終了!みたいなニュースが
Yahoo!ニュース上で出てきたり、
Twitter上で流れていたりしてるのを見てましたが
まさか、自分が(地味に)相当の情熱を注いできた、
名のあるメーカーが運営してる名のあるゲームアプリが
終わってしまう日がくるとは・・・あんまり思っていませんでした。
発表された時は意外とあっさりしてましたけど。(笑)
配信型のサービスだからいつかは終わるって、
それは分かってるはずなんですけどね。
もしかすると、考えたくなかっただけかもしれません。
かくなる上は、惜別の念を込めて、
ワタクシがナイトガンダムパズルヒーローズをプレーしてきた
この2年あまり(2013年11月下旬~2015年12月)の中で、
よく使った&格別の思い入れのあるキャラクター達を挙げ
その活躍を紹介するとともに、
この場所にその功績を残しておきたいと思います。
ナイトガンダムパズルヒーローズをプレーしたことのない人にとっては
よく分からなくて興味が湧かないかもしれませんが
どうか温かい目で眺めてみてください。
第一期(無フレンド時代)
2013年11月下旬にナイトガンダムパズルヒーローズを始めたワタクシ。
(ナイトガンダムパズルヒーローズにおけるユーザー名は「あいうえ」)
自分なりにゲームを楽しむための一種の縛りとして
2014年5月31日までは完全にフレンド無しでプレーしていた。
だが、それによりフレンドのパーティスキルの効果がなくなるため
クエストに挑むにあたっては
何よりもとにかくパーティのHPを高めることが必須であった。
また、開始当時はパーティコストにも強烈な制限があり、
鍛えたキャラを集めて自由にパーティを組むようなことは
ほぼできなかった。
そのような背景がある中で、
特に初期の頃、大活躍を見せたのがキラ―ズゴックとバウンドウルフ。
彼らはパーティのHPを膨大に増やせるだけでなく、
コストが低いのと敵に大ダメージを与えるスキルなのとが相まって
フル稼働状態だった。
ジオン族のザコ敵なのにね。(笑)
敵が火属性ならキラ―ズゴック隊、地属性ならバウンドウルフ隊で挑む
というような感じ。
それにとって代わったのが武闘家ネモ[影の実力者]である。
2014年1月ごろのイベントで登場し無課金で入手できたキャラだったが
HP増加倍率の高さに加え、編成パーティに制限が少ないことと
スキル解除のスキル持ちだったなどなどのお得キャラで
かなり後半になっても活躍の場があった。
特に、登場から間もないころ、
同じようにイベント入手できた巨人サイコゴーレム[限定]は
「HPを半減してその50倍のダメージを与える」スキルを有していて
この2キャラによるタッグは驚異的な優位性を発揮した。
彼らの力で多くの難クエストを乗り切ることができた。
戦力的にはビミョーだったが
愛くるしいグラフィックが好きですごくお気に入りだった
古代モンスターテディザクマ。
種類に寄らずパネルを消すと「スキルポイントが一気に貯まる」
というパーティスキルを持つため、
ザコ戦では無類のスピード感で敵をなぎ倒すことができた。
同じように、グラフィックがお気に入りで素早さが高めの
天使リリーナ姫や天使リリーナ姫[信念]と組み合わせて
かな~~~り長い間、1つのパーティ編成のリーダーとして据えていた。
あとは、聖剣騎士ブルーディスティニ―かな。
「敵全体にレベルの1000倍のダメージ」(=100000ダメージ)というスキルは
当時は破格で、ほぼすべての敵が一撃で殲滅できる破壊力だった。
今となっては、100000ダメージなんてショボショボだけど。(笑)
第ニ期(フレンド解禁後)
ランキングイベントの獲得ポイントが
パーティ編成の影響を受けるようになったことで
フレンドを使わないプレースタイルでは
まったくゲームを楽しめなくなってしまったことで
ワタクシも2014年5月31日以降はフレンドを解禁。
それ以降は新キャラクターの登場サイクルもどんどん早まっていったし
敵も味方もどんどんインフレ化が進んでいったような気がする。
システム面でも新しい要素もどんどん取り入れられるようになっていって
ゲーム自体の楽しみ方がちょっと変わったよね。
だから、思い入れのあるキャラもどちらかといえば少なくなったし
戦略的に有効なキャラを中心にパーティ編成せざるを得ないような
感じになっていった。
まぁでもそれはそれで、基本無課金派としては
戦略を考えるのとか結構楽しめたから良かったんだけどさ。
まず、驚きを以て迎えたのはキングガンダムIII世。
2014年9月ごろのランキングイベント報酬。
“キング”にふさわしい雄々しきグラフィックもさることながら、
当時★4にもかかわらず
「敵全体のHPの25%を奪い味方全体に分配して回復させる」という
世にも恐るべきスキル性能には目が釘付け!
彼を手に入れるためにランキングイベントも頑張った。
実際には他のキャラとなかなかうまく組み合わせづらいという
運営側の作った絶妙なバランスの中、
活躍の場が限定的だった不遇の時期もあったが
敵のHPのハイパーインフレ化に伴い再度脚光を浴びることとなる。
最後までワタクシのパーティ編成の中心格としてはたらいてくれた。
次に驚きを以て迎えたのは
騎士ユニコーンガンダムBM[アカシックヴァインダー]であった。
2014年10月ごろのランキングイベント報酬。
「直前に使用したスキルと同じスキルを使用する」という
戦略上奇跡に近いスキルを有し、
また、仮に★4だとしてもパーティスキルも最強クラスだったことで
その当時は全ユーザーの間で異常に愛用されていたキャラ。
2014年7月ごろのイベントで先に入手していた
皇騎士ストライクガンダムとの組み合わせの相性が最高で
数か月というかなり長い期間、主戦として君臨していた。
当時は、どのイベントでもクエスト時に持久戦になるケースが結構多くて
敵の攻撃の合間に、味方の回復をどのように行うかが
重要なテーマとなっていたことが大きな理由としてあるように思う。
黒騎士バンシィ[ビーストモード]もお気に入り度がとても高い。
ガシャでのみ入手できたキャラ。
LEGEND覚醒後は「敵全体を攻撃力30倍攻撃+敵全体敵スキル全解除」という
当時としてはとんでもないスキルを持っていたことで
戦略上ど~~~~~~しても欲しい!と思い
祈る気持ちで普段は回さないガシャを回してみたところ、
一発目でサラサ演出&ダブルアップ成功!!
その後の獅子奮迅の活躍もさることながら
ど~~~~~~しても欲しいキャラをたった¥300で入手できたという
嬉しさで、鮮明に記憶に残っているキャラクターである。
キングガンダムI世[初代国王]も好きだった。
2015年3月ごろのランキングイベント報酬であり
上記したキングガンダムIII世の★4の性能を上回る
「敵全体のHP30%を奪い味方全体に分配して回復させる」を持つことに加え、
パーティスキルも万能型で非常に優秀だったんだよね。
よくはたらいていただいた。
終盤のお気に入りキャラとして挙げられるのは
スペリオルドラゴンEx‐AS[輝ける魂]で、
こちらはメダルガシャで入手可能だったキャラ。
メダルは貯めるのが容易というか普通にイベントをこなしていると
いつの間にか貯まりまくっていたものなので
実質簡単に入手できたキャラだった割に、最高水準の有用キャラだった。
「HP4.5倍、攻撃力3倍、素早さ1.5倍 & ダメージを受けるとスキルゲージが3増加」
という万能気味のパーティスキルもさることながら
「攻撃力20倍で4回の弱点属性乱れ斬り」という
あらゆる面で非常に汎用性の高いスキルのおかげで
登場以降(サービス終了を翌日に控えた今でも)
ワタクシのパーティのリーダー枠を占領し続けている。
が、「弱点属性乱れ斬り」というスキルの登場は
率直に言って、
ナイトガンダムパズルヒーローズのゲームシステムの根幹を覆すもの。
違和感は感じていた。
・・・それから程なくしてサービス終了の発表。
今思い返してみれば、
予感が無かった、と言ったらウソになってしまうね。
他にも、たくさんのキャラ達とともに戦ってきたなぁ。
でも、挙げたらキリがないから、このへんにしておこう。
2015年12月14日の正午をもって
ナイトガンダムパズルヒーローズはサービス終了となります。
最後の最後どのように終わるのか?
サービス終了の時間を過ぎるとどうなるのか?
思いは尽きませんが、後は静かにその時の訪れを待とうと思います。
ナイトガンダムパズルヒーローズでのユーザー名:あいうえ
寂しくなりますね・・・ほんと。
2年間一緒に暮らしてきた人が
その日を境に家からいなくなるような感じです。
スマホアプリの終了なんて、他人事だと思ってました。
確かに時々、『●●●』サービス終了!みたいなニュースが
Yahoo!ニュース上で出てきたり、
Twitter上で流れていたりしてるのを見てましたが
まさか、自分が(地味に)相当の情熱を注いできた、
名のあるメーカーが運営してる名のあるゲームアプリが
終わってしまう日がくるとは・・・あんまり思っていませんでした。
発表された時は意外とあっさりしてましたけど。(笑)
配信型のサービスだからいつかは終わるって、
それは分かってるはずなんですけどね。
もしかすると、考えたくなかっただけかもしれません。
かくなる上は、惜別の念を込めて、
ワタクシがナイトガンダムパズルヒーローズをプレーしてきた
この2年あまり(2013年11月下旬~2015年12月)の中で、
よく使った&格別の思い入れのあるキャラクター達を挙げ
その活躍を紹介するとともに、
この場所にその功績を残しておきたいと思います。
ナイトガンダムパズルヒーローズをプレーしたことのない人にとっては
よく分からなくて興味が湧かないかもしれませんが
どうか温かい目で眺めてみてください。
第一期(無フレンド時代)
2013年11月下旬にナイトガンダムパズルヒーローズを始めたワタクシ。
(ナイトガンダムパズルヒーローズにおけるユーザー名は「あいうえ」)
自分なりにゲームを楽しむための一種の縛りとして
2014年5月31日までは完全にフレンド無しでプレーしていた。
だが、それによりフレンドのパーティスキルの効果がなくなるため
クエストに挑むにあたっては
何よりもとにかくパーティのHPを高めることが必須であった。
また、開始当時はパーティコストにも強烈な制限があり、
鍛えたキャラを集めて自由にパーティを組むようなことは
ほぼできなかった。
そのような背景がある中で、
特に初期の頃、大活躍を見せたのがキラ―ズゴックとバウンドウルフ。
彼らはパーティのHPを膨大に増やせるだけでなく、
コストが低いのと敵に大ダメージを与えるスキルなのとが相まって
フル稼働状態だった。
ジオン族のザコ敵なのにね。(笑)
敵が火属性ならキラ―ズゴック隊、地属性ならバウンドウルフ隊で挑む
というような感じ。
それにとって代わったのが武闘家ネモ[影の実力者]である。
2014年1月ごろのイベントで登場し無課金で入手できたキャラだったが
HP増加倍率の高さに加え、編成パーティに制限が少ないことと
スキル解除のスキル持ちだったなどなどのお得キャラで
かなり後半になっても活躍の場があった。
特に、登場から間もないころ、
同じようにイベント入手できた巨人サイコゴーレム[限定]は
「HPを半減してその50倍のダメージを与える」スキルを有していて
この2キャラによるタッグは驚異的な優位性を発揮した。
彼らの力で多くの難クエストを乗り切ることができた。
戦力的にはビミョーだったが
愛くるしいグラフィックが好きですごくお気に入りだった
古代モンスターテディザクマ。
種類に寄らずパネルを消すと「スキルポイントが一気に貯まる」
というパーティスキルを持つため、
ザコ戦では無類のスピード感で敵をなぎ倒すことができた。
同じように、グラフィックがお気に入りで素早さが高めの
天使リリーナ姫や天使リリーナ姫[信念]と組み合わせて
かな~~~り長い間、1つのパーティ編成のリーダーとして据えていた。
あとは、聖剣騎士ブルーディスティニ―かな。
「敵全体にレベルの1000倍のダメージ」(=100000ダメージ)というスキルは
当時は破格で、ほぼすべての敵が一撃で殲滅できる破壊力だった。
今となっては、100000ダメージなんてショボショボだけど。(笑)
第ニ期(フレンド解禁後)
ランキングイベントの獲得ポイントが
パーティ編成の影響を受けるようになったことで
フレンドを使わないプレースタイルでは
まったくゲームを楽しめなくなってしまったことで
ワタクシも2014年5月31日以降はフレンドを解禁。
それ以降は新キャラクターの登場サイクルもどんどん早まっていったし
敵も味方もどんどんインフレ化が進んでいったような気がする。
システム面でも新しい要素もどんどん取り入れられるようになっていって
ゲーム自体の楽しみ方がちょっと変わったよね。
だから、思い入れのあるキャラもどちらかといえば少なくなったし
戦略的に有効なキャラを中心にパーティ編成せざるを得ないような
感じになっていった。
まぁでもそれはそれで、基本無課金派としては
戦略を考えるのとか結構楽しめたから良かったんだけどさ。
まず、驚きを以て迎えたのはキングガンダムIII世。
2014年9月ごろのランキングイベント報酬。
“キング”にふさわしい雄々しきグラフィックもさることながら、
当時★4にもかかわらず
「敵全体のHPの25%を奪い味方全体に分配して回復させる」という
世にも恐るべきスキル性能には目が釘付け!
彼を手に入れるためにランキングイベントも頑張った。
実際には他のキャラとなかなかうまく組み合わせづらいという
運営側の作った絶妙なバランスの中、
活躍の場が限定的だった不遇の時期もあったが
敵のHPのハイパーインフレ化に伴い再度脚光を浴びることとなる。
最後までワタクシのパーティ編成の中心格としてはたらいてくれた。
次に驚きを以て迎えたのは
騎士ユニコーンガンダムBM[アカシックヴァインダー]であった。
2014年10月ごろのランキングイベント報酬。
「直前に使用したスキルと同じスキルを使用する」という
戦略上奇跡に近いスキルを有し、
また、仮に★4だとしてもパーティスキルも最強クラスだったことで
その当時は全ユーザーの間で異常に愛用されていたキャラ。
2014年7月ごろのイベントで先に入手していた
皇騎士ストライクガンダムとの組み合わせの相性が最高で
数か月というかなり長い期間、主戦として君臨していた。
当時は、どのイベントでもクエスト時に持久戦になるケースが結構多くて
敵の攻撃の合間に、味方の回復をどのように行うかが
重要なテーマとなっていたことが大きな理由としてあるように思う。
黒騎士バンシィ[ビーストモード]もお気に入り度がとても高い。
ガシャでのみ入手できたキャラ。
LEGEND覚醒後は「敵全体を攻撃力30倍攻撃+敵全体敵スキル全解除」という
当時としてはとんでもないスキルを持っていたことで
戦略上ど~~~~~~しても欲しい!と思い
祈る気持ちで普段は回さないガシャを回してみたところ、
一発目でサラサ演出&ダブルアップ成功!!
その後の獅子奮迅の活躍もさることながら
ど~~~~~~しても欲しいキャラをたった¥300で入手できたという
嬉しさで、鮮明に記憶に残っているキャラクターである。
キングガンダムI世[初代国王]も好きだった。
2015年3月ごろのランキングイベント報酬であり
上記したキングガンダムIII世の★4の性能を上回る
「敵全体のHP30%を奪い味方全体に分配して回復させる」を持つことに加え、
パーティスキルも万能型で非常に優秀だったんだよね。
よくはたらいていただいた。
終盤のお気に入りキャラとして挙げられるのは
スペリオルドラゴンEx‐AS[輝ける魂]で、
こちらはメダルガシャで入手可能だったキャラ。
メダルは貯めるのが容易というか普通にイベントをこなしていると
いつの間にか貯まりまくっていたものなので
実質簡単に入手できたキャラだった割に、最高水準の有用キャラだった。
「HP4.5倍、攻撃力3倍、素早さ1.5倍 & ダメージを受けるとスキルゲージが3増加」
という万能気味のパーティスキルもさることながら
「攻撃力20倍で4回の弱点属性乱れ斬り」という
あらゆる面で非常に汎用性の高いスキルのおかげで
登場以降(サービス終了を翌日に控えた今でも)
ワタクシのパーティのリーダー枠を占領し続けている。
が、「弱点属性乱れ斬り」というスキルの登場は
率直に言って、
ナイトガンダムパズルヒーローズのゲームシステムの根幹を覆すもの。
違和感は感じていた。
・・・それから程なくしてサービス終了の発表。
今思い返してみれば、
予感が無かった、と言ったらウソになってしまうね。
他にも、たくさんのキャラ達とともに戦ってきたなぁ。
でも、挙げたらキリがないから、このへんにしておこう。
2015年12月14日の正午をもって
ナイトガンダムパズルヒーローズはサービス終了となります。
最後の最後どのように終わるのか?
サービス終了の時間を過ぎるとどうなるのか?
思いは尽きませんが、後は静かにその時の訪れを待とうと思います。
ナイトガンダムパズルヒーローズでのユーザー名:あいうえ
さかのぼること約2年前、あるスマホアプリに出会った。
その名は、ナイトガンダムパズルヒーローズ。
以来、ハマりにハマり。
いや、ハマったなんてもんじゃない、
ワタクシにとっては、このスマホアプリをプレーすることが
もはや完全に生活の一部となっていた。
時々、このブログでも
ナイトガンダムパズルヒーローズについて
書くこともあったくらいだから。
(過去の記事はこちら)
そういうことは前例が無いし、そういうアプリも他に無い。
率直に言って、毎日本当に楽しませてもらっていた。
先日、連続&トータルログインが700日に達した。
我ながら、よくここまで続けてきたものだと達成感を覚えた。
ナイトガンダムパズルヒーローズは
ワタクシに自然とそうさせるだけのものを持っていた。
ゲームのつくりに何の不満もなかったわけではない(※)が、
ほとんど課金せずとも、じっくり考えて立ち向かえば
どうにもならない障壁に当たることもなく
また、コツコツと進めていくといい結果につながるようになっていて
ワタクシのプレースタイルにも非常に合っていたように思う。
※挙げるとすれば、石版の欠片と奇跡の聖水の保持数上限が低すぎ!
今年春ごろからは受け取りBOXにあるそれらを使い切るのが至難の業
しかし・・・
その名は、ナイトガンダムパズルヒーローズ。
以来、ハマりにハマり。
いや、ハマったなんてもんじゃない、
ワタクシにとっては、このスマホアプリをプレーすることが
もはや完全に生活の一部となっていた。
時々、このブログでも
ナイトガンダムパズルヒーローズについて
書くこともあったくらいだから。
(過去の記事はこちら)
そういうことは前例が無いし、そういうアプリも他に無い。
率直に言って、毎日本当に楽しませてもらっていた。
先日、連続&トータルログインが700日に達した。
我ながら、よくここまで続けてきたものだと達成感を覚えた。
ナイトガンダムパズルヒーローズは
ワタクシに自然とそうさせるだけのものを持っていた。
ゲームのつくりに何の不満もなかったわけではない(※)が、
ほとんど課金せずとも、じっくり考えて立ち向かえば
どうにもならない障壁に当たることもなく
また、コツコツと進めていくといい結果につながるようになっていて
ワタクシのプレースタイルにも非常に合っていたように思う。
※挙げるとすれば、石版の欠片と奇跡の聖水の保持数上限が低すぎ!
今年春ごろからは受け取りBOXにあるそれらを使い切るのが至難の業
しかし・・・
これだけブログの更新が疎かになっていると
もはや活動休止中ではないかと思われてしまうよな。
よろしくない、よろしくない。
さて、これまだやったことないけどサイコーに美味そうだな。
試したことのある人によれば、一口目が濃厚だそうだ。
非常に興味深いから、今度試してみよう。
さっそく今夜あたりか。
人類の夢、広がるね。
もはや活動休止中ではないかと思われてしまうよな。
よろしくない、よろしくない。
さて、これまだやったことないけどサイコーに美味そうだな。
試したことのある人によれば、一口目が濃厚だそうだ。
非常に興味深いから、今度試してみよう。
さっそく今夜あたりか。
人類の夢、広がるね。
白身魚のフライがかなり好きです。
こんな感じで食卓に出たら、それだけでもうその一日が潤っちゃいますね!
シリーズ14回目。
今さら気づいたけど、どう考えても「今ごろ」じゃなくなってる・・・
『12年前の今ごろ何をしていたか』
これまでの流れは
①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
⑧→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/131/
⑨→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/143/
⑩→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/144/
⑪→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/145/
⑫→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/146/
⑬→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/147/
をご覧になっていただきたい。
北京での生活も2週間ほどが過ぎた。
日本と違って花粉症の症状が出ないし
メシはものすごく安くて美味いし
少しずつだけど交流の輪も広がってたし
中国特有ともいえる高値吹っかけと値切りテクなんかも
徐々に身についてきていたし
いろいろなことがすこぶる順調だったが
ひとつだけ気にかけざるを得ないことがあった。
ルームメイトのタイ人エッについてである。
共に生活をするようになってわかったこと。
それは、エッはいわゆる“ボンボン”だということだった。
いくら中国のモノが安いとはいえ、
どんどんどんどん新しいモノを買って帰ってくる。
食料品や衣類などの生活必需品ならともかく
そうでないものも、次々と。
DVDに至っては、少なくとも200枚以上は買っていた。
とりあえず手あたり次第、手に取ったDVDを買っていたに違いない。
(当時の北京には、海賊版と思われるDVDの店がやたらと多く存在した)
彼も、ワタクシと同じく短い期間の滞在であって
その期間の中でそんな数のDVDを見られるわけなかろうに。
何か意味があるのだろうか。
たくさん所有していることの優越感とかか?
また、もともと備え付けのものがあるのに、
電気スタンドとか冷蔵庫とか、そういうものまで買ってくる。
寮生活だよ?
ダメとは言われないだろうけど、普通そういうことをするものだろうか?
碌に勉強はしてなかったような気もするが、それでも
自分のお気に入りの電気スタンドが欲しかったんだろうか?
傍から見ていて謎に思うことも山ほどで。
生活スタイルに対しても、少しイラッとくることもあった。
どこかを遊び回って夜中に帰ってくることが多かったエッ。
人それぞれ「留学」の考え方もいろいろあるし
別に夜中に帰ってくるのは構わないが、
それ以降が実に自由奔放なのがちょっと・・・
いや、ちょっとじゃないな、かなり・・・
ひとつエピソードを挙げよう。
その日エッは深夜2時くらいに帰ってきた。
ワタクシは平日は7時ごろには起きる生活をしていたので
その時間には当然すでに就寝していたが
エッは戻ってくるなり、テレビをつけて
大音量でサッカーの試合を見始めるではないか!
夜中に起こされた格好のワタクシだが
うるさくて再眠できないし、
他の部屋にも迷惑がかかりそうなほどの音量だったので
さすがに頭にきて「寝てんだから静かにしろ。消せよ。」と言うと
テレビを消音にして
「OK。サッカーは音が無くても分かるからね!」
とおっしゃる。
じゃあ最初から音を出して見るんじゃねぇ!!
万事が万事、そんな調子であった。
時々、部屋で2人きりになることもあり、
お互いの考え方とか将来のこととか語り合うこともあった。
年齢の差も若干あり(エッの方が5歳くらい上)、
全般としてあまり噛み合わなかったような気もするが
話を聞いていて分かったことは、
エッにとって中国北京への留学は
後に控えているアメリカ留学までの「つなぎ」にすぎない
ということだった。
アメリカの学校は基本的には9月から始まるからね。
それまでのヒマな期間、タイにいてブラブラしていても
しょうがないから、ちょうどいい時期だし中国でも行って過ごすか~
みたいな感じだったみたい。
というかそれを親から打診されたらしい。
だから中国語がまったくできなくても中国に来たし、
中国語をできるようにしようという意志もあまりなかった。
また、彼には姉と兄がいるらしく、
姉はオーストラリアに、兄はアメリカにそれぞれ留学中だ
と言っていたから、タイでは相当の金持ちなんだろう。
外に出てはどんどんモノを買ってきてしまうということも、
変な話だけど、納得がいったよ。
それがスタンダードなだけだったんだ。彼にとっては。
エッ、別に悪いヤツじゃなかったんだけどね・・・
↑渦中のエッ氏。
⑮につづく。
今さら気づいたけど、どう考えても「今ごろ」じゃなくなってる・・・
『12年前の今ごろ何をしていたか』
これまでの流れは
①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
⑧→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/131/
⑨→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/143/
⑩→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/144/
⑪→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/145/
⑫→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/146/
⑬→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/147/
をご覧になっていただきたい。
北京での生活も2週間ほどが過ぎた。
日本と違って花粉症の症状が出ないし
メシはものすごく安くて美味いし
少しずつだけど交流の輪も広がってたし
中国特有ともいえる高値吹っかけと値切りテクなんかも
徐々に身についてきていたし
いろいろなことがすこぶる順調だったが
ひとつだけ気にかけざるを得ないことがあった。
ルームメイトのタイ人エッについてである。
共に生活をするようになってわかったこと。
それは、エッはいわゆる“ボンボン”だということだった。
いくら中国のモノが安いとはいえ、
どんどんどんどん新しいモノを買って帰ってくる。
食料品や衣類などの生活必需品ならともかく
そうでないものも、次々と。
DVDに至っては、少なくとも200枚以上は買っていた。
とりあえず手あたり次第、手に取ったDVDを買っていたに違いない。
(当時の北京には、海賊版と思われるDVDの店がやたらと多く存在した)
彼も、ワタクシと同じく短い期間の滞在であって
その期間の中でそんな数のDVDを見られるわけなかろうに。
何か意味があるのだろうか。
たくさん所有していることの優越感とかか?
また、もともと備え付けのものがあるのに、
電気スタンドとか冷蔵庫とか、そういうものまで買ってくる。
寮生活だよ?
ダメとは言われないだろうけど、普通そういうことをするものだろうか?
碌に勉強はしてなかったような気もするが、それでも
自分のお気に入りの電気スタンドが欲しかったんだろうか?
傍から見ていて謎に思うことも山ほどで。
生活スタイルに対しても、少しイラッとくることもあった。
どこかを遊び回って夜中に帰ってくることが多かったエッ。
人それぞれ「留学」の考え方もいろいろあるし
別に夜中に帰ってくるのは構わないが、
それ以降が実に自由奔放なのがちょっと・・・
いや、ちょっとじゃないな、かなり・・・
ひとつエピソードを挙げよう。
その日エッは深夜2時くらいに帰ってきた。
ワタクシは平日は7時ごろには起きる生活をしていたので
その時間には当然すでに就寝していたが
エッは戻ってくるなり、テレビをつけて
大音量でサッカーの試合を見始めるではないか!
夜中に起こされた格好のワタクシだが
うるさくて再眠できないし、
他の部屋にも迷惑がかかりそうなほどの音量だったので
さすがに頭にきて「寝てんだから静かにしろ。消せよ。」と言うと
テレビを消音にして
「OK。サッカーは音が無くても分かるからね!」
とおっしゃる。
じゃあ最初から音を出して見るんじゃねぇ!!
万事が万事、そんな調子であった。
時々、部屋で2人きりになることもあり、
お互いの考え方とか将来のこととか語り合うこともあった。
年齢の差も若干あり(エッの方が5歳くらい上)、
全般としてあまり噛み合わなかったような気もするが
話を聞いていて分かったことは、
エッにとって中国北京への留学は
後に控えているアメリカ留学までの「つなぎ」にすぎない
ということだった。
アメリカの学校は基本的には9月から始まるからね。
それまでのヒマな期間、タイにいてブラブラしていても
しょうがないから、ちょうどいい時期だし中国でも行って過ごすか~
みたいな感じだったみたい。
というかそれを親から打診されたらしい。
だから中国語がまったくできなくても中国に来たし、
中国語をできるようにしようという意志もあまりなかった。
また、彼には姉と兄がいるらしく、
姉はオーストラリアに、兄はアメリカにそれぞれ留学中だ
と言っていたから、タイでは相当の金持ちなんだろう。
外に出てはどんどんモノを買ってきてしまうということも、
変な話だけど、納得がいったよ。
それがスタンダードなだけだったんだ。彼にとっては。
エッ、別に悪いヤツじゃなかったんだけどね・・・
↑渦中のエッ氏。
⑮につづく。
シリーズ13回目。
ゴルゴ的なヤツです。
『12年前の今ごろ何をしていたか』
これまでの流れは
①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
⑧→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/131/
⑨→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/143/
⑩→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/144/
⑪→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/145/
⑫→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/146/
をご覧になっていただきたい。
さて、少し学業方面の話もしよう。
忘れかけてたけど、
この一連のストーリーは短期留学の振り返りだからな。
留学中の北京語言大学での講義は、
土日を除いて毎日朝8時~12時に行われた。
で、午後はフリーな時間となる。
寮から教室までは徒歩5分程度で着いたから、
7時45分くらいまでに部屋を出ればちょうど間に合う感じ。
キャンパス内に寮があることの恩恵に与った格好。
ところで、中国では学生は基本的に自炊はしない。
朝から外に出て市場やら食堂やらで食事をする。
ワタクシ達もそれに倣い、朝は食堂に寄って
肉包子(肉まん)や馒头(“マントウ”と呼ばれる餡のない蒸しパン)を食し、
その足で教室に向かうのを日課にしていた。
↑馒头(マントウ)
食堂では、肉まんと韮(ニラ)まんが山積みになったカゴが
並べて置かれていて、店のオヤジに
「肉包子!」と注文して皿に置いてもらったにもかかわらず
勢いよくかぶりついてみたら
中身がニラだったということが時々あって笑えた。
朝から口内がニラ100%の状態は
なんだかんだで結構キツイものがある。
講義はクラス分けされており、
日本人ばかり15名くらいが集まったクラスで受講していた
ような気がする。
一応、それなりに中国語学習経験がある人が
集まっていたクラスだったような・・・
細かいところは失念。
その中でもワタクシ達神田外語大学1年生一同は
中国語能力は、クラスの中では割と上位の方だった。
同じように、およそ1年間の学習を経た
大阪なんとか大学から来ていた女子4人組がいて
クラスの中でもライバル視しあっていた。
授業内容としては、テキストを粛々と進めていく。
↑北京短期留学中に使った中国語のテキスト。今でも大事に保管してある。
講義の時間はとにかく中国語漬けだが、
オール中国語で中国語の文法や単語の説明を受ける
ということは、非常に有意義なことであった。
特有の言い回しとか、質問に対する答え方とか
そういうものに自然と習熟していくことができるという点で
すべて日本語で説明を受ける場合と比べても
学習効率は圧倒的にアップするように思う。
実に貴重な時間だった。
午後はフリーな時間・・・と言っても
遊んでばかりでは授業内容に追いていけなくなるから
日々の復習・予習がは欠かせないものだったが
たいていの日は、夕方くらいまでは外に出て
北京市内を散策したりタイ人らと交流したりして
近所のレストランで夕飯を食べた後、寮に戻って自習をする
というのがワタクシの日課だった。
ルームメイトのタイ人エッは、
どこへ行ってるのか知らないがよく遊びに出かけていて
深夜まで部屋に帰ってこなかったりしたが。
⑭につづく。
ゴルゴ的なヤツです。
『12年前の今ごろ何をしていたか』
これまでの流れは
①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
⑧→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/131/
⑨→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/143/
⑩→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/144/
⑪→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/145/
⑫→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/146/
をご覧になっていただきたい。
さて、少し学業方面の話もしよう。
忘れかけてたけど、
この一連のストーリーは短期留学の振り返りだからな。
留学中の北京語言大学での講義は、
土日を除いて毎日朝8時~12時に行われた。
で、午後はフリーな時間となる。
寮から教室までは徒歩5分程度で着いたから、
7時45分くらいまでに部屋を出ればちょうど間に合う感じ。
キャンパス内に寮があることの恩恵に与った格好。
ところで、中国では学生は基本的に自炊はしない。
朝から外に出て市場やら食堂やらで食事をする。
ワタクシ達もそれに倣い、朝は食堂に寄って
肉包子(肉まん)や馒头(“マントウ”と呼ばれる餡のない蒸しパン)を食し、
その足で教室に向かうのを日課にしていた。
↑馒头(マントウ)
食堂では、肉まんと韮(ニラ)まんが山積みになったカゴが
並べて置かれていて、店のオヤジに
「肉包子!」と注文して皿に置いてもらったにもかかわらず
勢いよくかぶりついてみたら
中身がニラだったということが時々あって笑えた。
朝から口内がニラ100%の状態は
なんだかんだで結構キツイものがある。
講義はクラス分けされており、
日本人ばかり15名くらいが集まったクラスで受講していた
ような気がする。
一応、それなりに中国語学習経験がある人が
集まっていたクラスだったような・・・
細かいところは失念。
その中でもワタクシ達神田外語大学1年生一同は
中国語能力は、クラスの中では割と上位の方だった。
同じように、およそ1年間の学習を経た
大阪なんとか大学から来ていた女子4人組がいて
クラスの中でもライバル視しあっていた。
授業内容としては、テキストを粛々と進めていく。
↑北京短期留学中に使った中国語のテキスト。今でも大事に保管してある。
講義の時間はとにかく中国語漬けだが、
オール中国語で中国語の文法や単語の説明を受ける
ということは、非常に有意義なことであった。
特有の言い回しとか、質問に対する答え方とか
そういうものに自然と習熟していくことができるという点で
すべて日本語で説明を受ける場合と比べても
学習効率は圧倒的にアップするように思う。
実に貴重な時間だった。
午後はフリーな時間・・・と言っても
遊んでばかりでは授業内容に追いていけなくなるから
日々の復習・予習がは欠かせないものだったが
たいていの日は、夕方くらいまでは外に出て
北京市内を散策したりタイ人らと交流したりして
近所のレストランで夕飯を食べた後、寮に戻って自習をする
というのがワタクシの日課だった。
ルームメイトのタイ人エッは、
どこへ行ってるのか知らないがよく遊びに出かけていて
深夜まで部屋に帰ってこなかったりしたが。
⑭につづく。
シリーズ12回目。
これで一回り。1ダースともいう。
『12年前の今ごろ何をしていたか』
これまでの流れは
①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
⑧→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/131/
⑨→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/143/
⑩→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/144/
⑪→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/145/
をご覧になっていただきたい。
北京市内の移動には基本的にはバスを用いた。
路線によってはどこまで乗っても1元とかいう感じで
料金体系はもはや意味不明。
バスからはみ出てるくらい利用する人が多いので、
そういう料金体系でもないと収拾がつかなくなるんだろう。
適当なしくみだこと!
地下鉄もあったにはあったが、
ちょっと高いうえに(初乗りで4元だったか)混んでるし
近距離の移動には不向きなので、2回くらいしか乗らなかった。
バスの方が乗っていて面白かったのも理由としてある。
↑北京市内を走るバス。いわゆるトロリーバスが多い。
が、バスといっても日本とはだいぶ勝手が異なる。
自動料金箱付きのワンマンバスではなく
バスには券売りのスタッフ(ほとんどが女性)が乗っていて
乗車したら行き先を告げて券を買う、
という風にして乗る。
「次は○○です。お降りの方は準備してください」
みたいなことも券売りがアナウンスするわけだが
北京特有の訛り(アル化)が強いのと
明らかに適当に言ってるのとが合わさって
滞在後半になっても、ほとんど何を言っているのか聞き取れなかった。
行き慣れている場所ならいいが、
そうでもない所の場合は乗り過ごしてしまうので
細心の注意を払っていたが、ミスったこともあった。
(停車位置とか停車時間とかも適当なんだもん・・・)
余談だが、どのバスに乗っても
券売りは乗車中常にヒマワリの種を食べていて
券売りの傍の床はその食べかすだらけ。
ワタクシはそういうのには全然抵抗がないタイプなので
そういうものと思って別に気にも留めなかったが
12年経ってよくよく考えてみれば、とんでもない状態だったな。
文化の違いとは、こういうところに現れてくるのである。
北京の街並みは実に特徴的で、完全に陰と陽。
市の中心部の駅ともなれば四方八方ネオンサインで彩られ
まるで異空間をさまよっているかのような感覚に捉われるほどだが
繁華街からほんの少しだけ郊外に出て一本路地に入れば
低い煙突からもくもくと煙の立ちのぼる石造りの家が立ち並ぶ。
↑本当にこんな感じ。こういった路地は胡同(フートン)と呼ばれ、
北京市内のあちこちに点在している。
道路は車で埋め尽くされ、排気ガスとクラクションの音が
あふれる一方、歩道に目をやれば荷物を引く馬車がいたり。
↑こんな様子が街中でも日常的。
日本では馬車とバスが並走など考えられないが。
急激な社会発展の結果が色濃く現れた首都、北京・・・
文字面だけ見ればハチャメチャに思うかもしれない。
が、ワタクシの目にはむしろとても魅力的に映った。
視界に飛び込んでくるあらゆる光景に、まだ見ぬ世界に
19歳の学生の心は強く惹かれていった。
⑬につづく。
これで一回り。1ダースともいう。
『12年前の今ごろ何をしていたか』
これまでの流れは
①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
⑧→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/131/
⑨→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/143/
⑩→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/144/
⑪→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/145/
をご覧になっていただきたい。
北京市内の移動には基本的にはバスを用いた。
路線によってはどこまで乗っても1元とかいう感じで
料金体系はもはや意味不明。
バスからはみ出てるくらい利用する人が多いので、
そういう料金体系でもないと収拾がつかなくなるんだろう。
適当なしくみだこと!
地下鉄もあったにはあったが、
ちょっと高いうえに(初乗りで4元だったか)混んでるし
近距離の移動には不向きなので、2回くらいしか乗らなかった。
バスの方が乗っていて面白かったのも理由としてある。
↑北京市内を走るバス。いわゆるトロリーバスが多い。
が、バスといっても日本とはだいぶ勝手が異なる。
自動料金箱付きのワンマンバスではなく
バスには券売りのスタッフ(ほとんどが女性)が乗っていて
乗車したら行き先を告げて券を買う、
という風にして乗る。
「次は○○です。お降りの方は準備してください」
みたいなことも券売りがアナウンスするわけだが
北京特有の訛り(アル化)が強いのと
明らかに適当に言ってるのとが合わさって
滞在後半になっても、ほとんど何を言っているのか聞き取れなかった。
行き慣れている場所ならいいが、
そうでもない所の場合は乗り過ごしてしまうので
細心の注意を払っていたが、ミスったこともあった。
(停車位置とか停車時間とかも適当なんだもん・・・)
余談だが、どのバスに乗っても
券売りは乗車中常にヒマワリの種を食べていて
券売りの傍の床はその食べかすだらけ。
ワタクシはそういうのには全然抵抗がないタイプなので
そういうものと思って別に気にも留めなかったが
12年経ってよくよく考えてみれば、とんでもない状態だったな。
文化の違いとは、こういうところに現れてくるのである。
北京の街並みは実に特徴的で、完全に陰と陽。
市の中心部の駅ともなれば四方八方ネオンサインで彩られ
まるで異空間をさまよっているかのような感覚に捉われるほどだが
繁華街からほんの少しだけ郊外に出て一本路地に入れば
低い煙突からもくもくと煙の立ちのぼる石造りの家が立ち並ぶ。
↑本当にこんな感じ。こういった路地は胡同(フートン)と呼ばれ、
北京市内のあちこちに点在している。
道路は車で埋め尽くされ、排気ガスとクラクションの音が
あふれる一方、歩道に目をやれば荷物を引く馬車がいたり。
↑こんな様子が街中でも日常的。
日本では馬車とバスが並走など考えられないが。
急激な社会発展の結果が色濃く現れた首都、北京・・・
文字面だけ見ればハチャメチャに思うかもしれない。
が、ワタクシの目にはむしろとても魅力的に映った。
視界に飛び込んでくるあらゆる光景に、まだ見ぬ世界に
19歳の学生の心は強く惹かれていった。
⑬につづく。
シリーズ11回目。
これでサッカーチームも作れるね。
『12年前の今ごろ何をしていたか』
これまでの流れは
①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
⑧→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/131/
⑨→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/143/
⑩→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/144/
をご覧になっていただきたい。
さて、タイ人の話は前回までで一段落ということにしておいて!
(この後も時折登場するが・・・)
日々の生活においては
当然のことながら、キャンパスの外に出て散策したりもする。
最初にとりあえずワタクシ一人で行ってみた店は
大学の近所の食料品中心のスーパーマーケットだった。
店に入ってまず最初の驚きは、
店員、多!
店の至る所に(それも、3メートル間隔くらい)
ダウンを来た女性店員が1人ずつ立っている。
誰がどう考えてもそんなに店員の数が必要とは思えないが・・・
中国は共産主義の国であるから、
基本的な考え方としては男性も女性も完全に平等。
よって、女性の社会進出もたいへん進んでいる。
(それ自体はとても良いことだと思う)
が、すべての人民に十分な雇用を確保するためには
たとえ規模が決して大きくないスーパーマーケットと言えども
雇えるだけの人を雇わないといけないということなんだろう、
と推測したが、本当のところはよく分からん。
というか、
その女性店員ら、ワタクシが軽く商品を眺めているだけでも
「何をお探しですか?」と間髪入れずに聞いてくるから
正直、心底ジャマでしょうがない。
こっちは中国に来て初めて店に来てんだっつーの!
当時のワタクシでも、あれだけ店に過剰に人がいて
利益が出るとは思えなかったが
そのあたりはどうにかなる社会構造になっているに違いない。
疑問に思うことは他にもいろいろあったが
中国とはそういう国である。
得体の知れない菓子やら
アルミ袋入りのコーヒー牛乳やらを手に取って
レジに行った時の、今でも新鮮に覚えている感想、それは・・・
「相手の話している言葉が・・・わかる!」
単純だけど、大きな衝撃と感激。
大学に入ってからの1年間で学んできたことは
着実に身になっていたのである。
中学~高校と6年間も必修だった英語は、
ま~~~~~~~~~~~ったく
扱えるようにならなかったのに。
そんな風に感じたのと同時に、
やっぱり中国に来なければ理解できなかった
であろうことも多くあった。
例えば、お金の表現。
中国のお金の単位は「元」であることは
日本でも多くの人に知られていることだが、
紙幣には「元」と書かれていても、
話し言葉では元(Yuan)とは言わず块(Kuai)と言う。
↑毛沢東絵柄の百元札。
一元~百元はすべて毛沢東絵柄なんだけど
ワタクシの留学していた当時は、旧札(民族絵柄)のお札も
まだまだたくさん流通していて普通に使えた。
また、元の下に角(Jiao)という単位がある。
↑一角札。
この他に二角札と五角札もあり、さらには一角硬貨と五角硬貨もあって
すべて混ぜこぜに使われていた。
元と角は日本における円と銭みたいな関係だが
銭が実際の貨幣としては存在しない日本とは違い、中国での角は
実際の売買のやり取りでも使われる。
角も話し言葉では使わず、毛(Mao)と言う。
さらに、角の下に分(Fen)という単位があるものの
さすがにこれはほとんどの場合、
実際の貨幣の取り交わしは行われない。
切り上げられるか切り下げられるかして
角までのやり取りで収まるようになっているが
一応、分の貨幣は存在して
ワタクシの北京滞在中にも何回か手にすることがあった。
↑参考までに一分札。おもちゃみたいな紙幣。
10枚くらい束ねて折り込まれた状態で一角扱いでお釣りとして渡されたりする。
こういうことは、実際に現地でやり取りをしないと
なかなか分からないことである。
意外と、細かく紹介しているテキストとか参考書とかないしさ。
あと分かったのは、中国語発音におけるクセだね。シンプルに。
三声(半三声)は想像以上に短く発音される、とか
uの音が聞き取りづらいなぁとか。
(だから、五【wu】の音が聞き取れなくて最初のうちはすごく困ったっけ・・・)
このあたりは、ほとんどが慣れの問題なわけで
この段階で生の中国語に触れて感覚的につかむことができて
その後の中国語学習のためにも、本当によかったなぁと思ったけどね。
⑫につづく。
これでサッカーチームも作れるね。
『12年前の今ごろ何をしていたか』
これまでの流れは
①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
⑧→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/131/
⑨→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/143/
⑩→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/144/
をご覧になっていただきたい。
さて、タイ人の話は前回までで一段落ということにしておいて!
(この後も時折登場するが・・・)
日々の生活においては
当然のことながら、キャンパスの外に出て散策したりもする。
最初にとりあえずワタクシ一人で行ってみた店は
大学の近所の食料品中心のスーパーマーケットだった。
店に入ってまず最初の驚きは、
店員、多!
店の至る所に(それも、3メートル間隔くらい)
ダウンを来た女性店員が1人ずつ立っている。
誰がどう考えてもそんなに店員の数が必要とは思えないが・・・
中国は共産主義の国であるから、
基本的な考え方としては男性も女性も完全に平等。
よって、女性の社会進出もたいへん進んでいる。
(それ自体はとても良いことだと思う)
が、すべての人民に十分な雇用を確保するためには
たとえ規模が決して大きくないスーパーマーケットと言えども
雇えるだけの人を雇わないといけないということなんだろう、
と推測したが、本当のところはよく分からん。
というか、
その女性店員ら、ワタクシが軽く商品を眺めているだけでも
「何をお探しですか?」と間髪入れずに聞いてくるから
正直、心底ジャマでしょうがない。
こっちは中国に来て初めて店に来てんだっつーの!
当時のワタクシでも、あれだけ店に過剰に人がいて
利益が出るとは思えなかったが
そのあたりはどうにかなる社会構造になっているに違いない。
疑問に思うことは他にもいろいろあったが
中国とはそういう国である。
得体の知れない菓子やら
アルミ袋入りのコーヒー牛乳やらを手に取って
レジに行った時の、今でも新鮮に覚えている感想、それは・・・
「相手の話している言葉が・・・わかる!」
単純だけど、大きな衝撃と感激。
大学に入ってからの1年間で学んできたことは
着実に身になっていたのである。
中学~高校と6年間も必修だった英語は、
ま~~~~~~~~~~~ったく
扱えるようにならなかったのに。
そんな風に感じたのと同時に、
やっぱり中国に来なければ理解できなかった
であろうことも多くあった。
例えば、お金の表現。
中国のお金の単位は「元」であることは
日本でも多くの人に知られていることだが、
紙幣には「元」と書かれていても、
話し言葉では元(Yuan)とは言わず块(Kuai)と言う。
↑毛沢東絵柄の百元札。
一元~百元はすべて毛沢東絵柄なんだけど
ワタクシの留学していた当時は、旧札(民族絵柄)のお札も
まだまだたくさん流通していて普通に使えた。
また、元の下に角(Jiao)という単位がある。
↑一角札。
この他に二角札と五角札もあり、さらには一角硬貨と五角硬貨もあって
すべて混ぜこぜに使われていた。
元と角は日本における円と銭みたいな関係だが
銭が実際の貨幣としては存在しない日本とは違い、中国での角は
実際の売買のやり取りでも使われる。
角も話し言葉では使わず、毛(Mao)と言う。
さらに、角の下に分(Fen)という単位があるものの
さすがにこれはほとんどの場合、
実際の貨幣の取り交わしは行われない。
切り上げられるか切り下げられるかして
角までのやり取りで収まるようになっているが
一応、分の貨幣は存在して
ワタクシの北京滞在中にも何回か手にすることがあった。
↑参考までに一分札。おもちゃみたいな紙幣。
10枚くらい束ねて折り込まれた状態で一角扱いでお釣りとして渡されたりする。
こういうことは、実際に現地でやり取りをしないと
なかなか分からないことである。
意外と、細かく紹介しているテキストとか参考書とかないしさ。
あと分かったのは、中国語発音におけるクセだね。シンプルに。
三声(半三声)は想像以上に短く発音される、とか
uの音が聞き取りづらいなぁとか。
(だから、五【wu】の音が聞き取れなくて最初のうちはすごく困ったっけ・・・)
このあたりは、ほとんどが慣れの問題なわけで
この段階で生の中国語に触れて感覚的につかむことができて
その後の中国語学習のためにも、本当によかったなぁと思ったけどね。
⑫につづく。
シリーズ10回目。大台に達した。
サクサク進めたいものである。ワタクシ自身のやる気の問題だが。
『12年前の今ごろ何をしていたか』
これまでの流れは
①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
⑧→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/131/
⑨→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/143/
をご覧になっていただきたい。
エッ(Ed)はタイからの留学生。
だが、その時点で中国語は未経験という。
いくら「本気で言語を学ぶならその言語を母語とする場所で」という
言語学習の鉄則があるといっても、
まったく未学習の状態で来ても習得は難しいのでは??
という風に思ったものである。
とにかく留学期間中の講義はすべて中国語。
先生はまず中国語しかしゃべれない。
ワタクシの入っていたクラスの先生は
たまたま日本語を結構話せたが、それでも講義はすべて中国語だった。
英語という手段は基本的にない。
どうやって単語の意味とか文法とか、説明を受けて
理解していくのか?
ピンインはアルファベットだから、
発音を習うのはなんとかなるのかな?
それで総合的な中国語を身につけることができるのか
実際できたのか、今でもよく分からないけど。
ワタクシとエッはその日からルームメイトとして
一緒の部屋で生活することとなったわけだが、
前述のように、エッは中国語はまったく話せなかったので
彼とのコミュニケーションは英語で行った。
しかしワタクシ、英語ができないできない。
自分の英語に自分で笑えた。笑えるほどひどいもんだった。
もともと、英語へのコンプレックスというか
そういうものを抱えて中国語を選択していたという
背景もあるワタクシにとっては、仕方のないことであるが
エッに対して言いたいこと言えないのはともかくとして
「一体なぜ中国に留学に来て英語で会話してるんだろうか?」と
相当な疑問として感じられる時もあった。
それでも日々生活するうえで
英語で何とかするしかないという環境は
少々ストレスだったかもしれない。
もう少し喋れたら違ったんだろうけど。
ワタクシの住んでいた寮は数階建てで、
タイ人はエッ以外にも数名のメンバーがばらけて住んでいて
ひとつのグループを形成していた。
全部で7名。男性3人、女性4人。
エッとワタクシが同部屋だったということから
北京滞在の1か月間、食事やら買い物やら観光やら
彼ら(特に男性ら)と行動を共にすることもしばしばだった。
彼らは、ワタクシたちが初めて会った時から
かなり仲睦まじい様子なので
学校の同級生かもしくは何かの縁で知り合いなのかと思ったら
全然そうでもなくて、タイを出発する前に
タイの空港で初めて出会った間柄だという。
それであんなにグループグループするかねぇ。
いやぁ~不思議。
そういうお国柄なのだろうか?
エッ以外のタイ人たちの中には、ルーツが中国系だったりして
中国語をそれなりにできる人も混じっていて
(7人中5人は中国語でのコミュニケーションが可)
ワタクシたちとの交流・会話はもっぱら中国語で行われた。
彼らはライティングは苦手にしていたが
リスニング力が高く、ワタクシと同じくらいの学習期間でも
会話が非常に流暢だったのが印象に残っている。
が、エッはほとんどそれに加わることはなく
タイ人とはタイ語で、ワタクシたちとは英語で、を
終始貫いている感じだった。
ま、エッはともかくとして
タイ人らとはいろいろと困ったことが起こった時は助け合ったり
中国語の学習に向けて激励しあったり・・・という関係となり
タイ人と日本人が中国で、という妙さを含めて
こういう形の交流もアリだな、と留学の面白さを実感する
大きなファクターとなった。
↑タイ人男性陣との記念写真。写真左がエッ。
⑪につづく。
サクサク進めたいものである。ワタクシ自身のやる気の問題だが。
『12年前の今ごろ何をしていたか』
これまでの流れは
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③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
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をご覧になっていただきたい。
エッ(Ed)はタイからの留学生。
だが、その時点で中国語は未経験という。
いくら「本気で言語を学ぶならその言語を母語とする場所で」という
言語学習の鉄則があるといっても、
まったく未学習の状態で来ても習得は難しいのでは??
という風に思ったものである。
とにかく留学期間中の講義はすべて中国語。
先生はまず中国語しかしゃべれない。
ワタクシの入っていたクラスの先生は
たまたま日本語を結構話せたが、それでも講義はすべて中国語だった。
英語という手段は基本的にない。
どうやって単語の意味とか文法とか、説明を受けて
理解していくのか?
ピンインはアルファベットだから、
発音を習うのはなんとかなるのかな?
それで総合的な中国語を身につけることができるのか
実際できたのか、今でもよく分からないけど。
ワタクシとエッはその日からルームメイトとして
一緒の部屋で生活することとなったわけだが、
前述のように、エッは中国語はまったく話せなかったので
彼とのコミュニケーションは英語で行った。
しかしワタクシ、英語ができないできない。
自分の英語に自分で笑えた。笑えるほどひどいもんだった。
もともと、英語へのコンプレックスというか
そういうものを抱えて中国語を選択していたという
背景もあるワタクシにとっては、仕方のないことであるが
エッに対して言いたいこと言えないのはともかくとして
「一体なぜ中国に留学に来て英語で会話してるんだろうか?」と
相当な疑問として感じられる時もあった。
それでも日々生活するうえで
英語で何とかするしかないという環境は
少々ストレスだったかもしれない。
もう少し喋れたら違ったんだろうけど。
ワタクシの住んでいた寮は数階建てで、
タイ人はエッ以外にも数名のメンバーがばらけて住んでいて
ひとつのグループを形成していた。
全部で7名。男性3人、女性4人。
エッとワタクシが同部屋だったということから
北京滞在の1か月間、食事やら買い物やら観光やら
彼ら(特に男性ら)と行動を共にすることもしばしばだった。
彼らは、ワタクシたちが初めて会った時から
かなり仲睦まじい様子なので
学校の同級生かもしくは何かの縁で知り合いなのかと思ったら
全然そうでもなくて、タイを出発する前に
タイの空港で初めて出会った間柄だという。
それであんなにグループグループするかねぇ。
いやぁ~不思議。
そういうお国柄なのだろうか?
エッ以外のタイ人たちの中には、ルーツが中国系だったりして
中国語をそれなりにできる人も混じっていて
(7人中5人は中国語でのコミュニケーションが可)
ワタクシたちとの交流・会話はもっぱら中国語で行われた。
彼らはライティングは苦手にしていたが
リスニング力が高く、ワタクシと同じくらいの学習期間でも
会話が非常に流暢だったのが印象に残っている。
が、エッはほとんどそれに加わることはなく
タイ人とはタイ語で、ワタクシたちとは英語で、を
終始貫いている感じだった。
ま、エッはともかくとして
タイ人らとはいろいろと困ったことが起こった時は助け合ったり
中国語の学習に向けて激励しあったり・・・という関係となり
タイ人と日本人が中国で、という妙さを含めて
こういう形の交流もアリだな、と留学の面白さを実感する
大きなファクターとなった。
↑タイ人男性陣との記念写真。写真左がエッ。
⑪につづく。
プロフィール
HN:
東ヰンドの奇跡の賢者
年齢:
41
HP:
性別:
男性
誕生日:
1983/10/11
職業:
バルタン星人
趣味:
地味で地道なこと
自己紹介:
生粋の初田悦子ファン。
とにかくたくさんの人に “歌うストーリーテラー” 初田悦子 の歌を聴いてほしい!と心から願って生きています。
ジャグリングが趣味でしたが、最近はたまにやるくらいになってしまいました。
日本ビール検定2級所持。
マー○ャン(中国積み木)も幼い頃からすごく好きです。
Twitterアカウント:higashi_indo
とにかくたくさんの人に “歌うストーリーテラー” 初田悦子 の歌を聴いてほしい!と心から願って生きています。
ジャグリングが趣味でしたが、最近はたまにやるくらいになってしまいました。
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