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東ヰンドの奇妙なブログ

2013年8月4日復活!生粋の初田悦子のファン、東ヰンドの奇跡の賢者のブログです。地味に地道に綴っていきます。 2020年6月以来休眠状態になっていましたが2023年5月11日に再開!! 旧東ヰンドの奇妙なブログもぜひどうぞ☆ http://plaza.rakuten.co.jp/higashiindo/

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5月10日日曜日の夜。

もろもろ若干の思慮を経て、行ってきたよ。

三軒茶屋GRAPEFRUIT MOONに!



――――――――――――――――――――――――――――――――
2015/05/10
The Beatles スペシャルセッション!! セットリスト

(初田悦子さんのソロステージセクション)
Place: 三軒茶屋GRAPEFRUIT MOON

1 stage (20:35-20:52)
1. A Hard Day's Night
2. For No One
3. Here, There and Everywhere
――――――――――――――――――――――――――――――――


ここ最近は、大阪に出向き大阪の街を歩き
数多の大阪のファンの中でライブを観るということを
するだけのパワーがワタクシ自身になく、
初田さんのライブへの参戦回数もめっきり減ってしまった。

とにかくパワーがなくて。パワーが。

こうなってしまっては、“生粋の初田悦子ファン”という
自らで勝手につけた異名も、もはや過去のものである。

・・・まだ使うけど。笑

初田悦子を応援する気持ちが薄れたのではないかと
思われてしまうかもしれないが
いやいや、まったくもってそのようなことはない。

いついかなる時でも歌うストーリーテラー初田悦子を
支え続ける所存で生きているが
支え続けるべきその支柱が折れ曲がっている
というだけなのである。

では、単に支柱を買い換えればよいではないか!
とはいかないのがこの世の中の難しいところ。

何を言っているのか、やや分かりづら。
自分でも分かりづら。(笑)


さて、この日の三軒茶屋GRAPEFRUIT MOONでの催しは
The Beatles スペシャルセッション!!
と題され・・・

誰もが聴いたことのある、
そして聴いたことのないThe Beatlesの名曲を
多方面で活躍する20代~60代と幅広い年代のミュージシャン達が
The Beatlesの名の下に集結し、愛情をもって熱くプレイする
必見のスペシャルセッション!

という触れ込みのライブであった。

これまでの人生を、
ビートルズとは無縁で生きてきたワタクシにとっては
(・・・と言うほど無縁ではないかもしれないが)
スペシャルセッションといわれても
どこまでスペシャルなのかを把握することも
それなりに難しい。
いわば異世界への船旅である。

が、男性ミュージシャンらに交じって初田さんも出演する
という情報を早々に聞きつけ、1ヶ月以前からの早い段階で
その日の予定は開けて構えていた。

その後、冒頭でいきなり書かせていただいたとおり
もろもろ若干の思案を経て、結果このライブを
観に行ってきたということである。

日曜日のライブということもあり、ステージ前から会場は盛況。
ライブ開始から程なくしてシートがすべて埋まるといった様相。

会場を見渡してみても、
男女比もほぼ同じくらいで年齢層もまちまちだったが
やはりビートルズの楽曲を好んでいる人が
集まっていたんじゃないかとは思う。

このあたりは悲しいもので、ビートルズとは無縁で生きて
きていると、ざっとその様子を見ても判断がつかんのだよ。
ホッホッホ。

で、ほぼ定刻よりステージ開始。

まずは5人の男性ミュージシャンが壇上に上がるところから始まる。


↑写真に写っているはベースのハピネス徳永さんとギターの外園一馬さん。
この他にドラムの田中徹さんとパーカッションの前田“sharaku”卓次さん、
ギターの市川祥治さん、キーボードの鎌田雅人さんが出演



今回のスペシャルセッション!!は、
以前に初田さんのライブでもサポートをされたことのある
ベースのハピネス徳永さんが企画したものということなど
もろもろのトークを交えながらライブは進む。

はじめの何曲かでは、ステージ中央に陣取るハピネス徳永さんが
ベースを弾きつつボーカルも務めていたが、
以後はゲストシンガーがボーカルとして
メインで歌うというスタイルで進行していった。


↑ボーカル兼ギターの浦田健志さん(左)とマブジョンさん(右)


ビートルズの楽曲は1曲あたり2~3分のものが多い。
ということもあり、1曲終わればすぐまた次の曲・・・と言った感じで
テンポよく進んでいた気がした。
ステージ上で演奏される楽器の数が多く
ダイナミックな音楽の下、ロック調の強いライブ・・・と言えるかな。

開始から1時間ほど過ぎたころ、
初田さんが2人目のゲストボーカリストとしてステージに登場!



真紅のセクシー衣装に身を包み、
『A Hard Day's Night』『For No One』『Here, There and Everywhere』
の3曲をカバー!

「たくさんの有名なミュージシャンがThe Beatlesの楽曲をカバーしている」
ということを受け、女性ミュージシャンがカバーしている
ビートルズの楽曲をカバーするという方法をチョイスしたんだって。

ソウルフルな歌声で、初田さん曰く「女のビートルズ」を見事に表現。

妖艶な雰囲気も出ていて、とても良かった。
演奏の変化含め、よりいろいろなタイプの楽曲を聴きたかったので
本当はもっと曲数があると良かったが、それはまた次の機会の
お楽しみということにしておこうかしらね。


↑歌に合わせた表情も豊かな初田さん


その後も、何人かのシンガーがめまぐるしく入れ代わり立ち代わり
ステージに上がるような格好でライブは進んでいったが
初田さんはコーラスありところどころソロパートもあり
アンコールまで出演していたよ。

 



そして今回の贈り物はこちら。
いつもだと“Storyteller”に引っかけたものということで
ブツをセレクトするわけだが、
今回はワンマンライブではなかったからね、
直感的に差し上げたいものを差し上げたということ。


↑長物。長すぎて写真に収めるのに四苦八苦十二苦したことは秘密!


以上、久しぶりの初田悦子ライブレポートとなりました
初田悦子ライブレポート第43弾---The Beatles スペシャルセッション!!
でございました。

よろしくお願いいたします。




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ブログの過去記事を読み返してみると、
改めてミスター頓挫ぶりが分かるなぁ。

4月6日に書いたの記事に
「ということで、近日中には
『12年前の今頃何をしていたか』も再開いたします」
って書いてある。

(参考)その時の記事『タミフルさん』
http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/132/


にもかかわらず、
Golden Weekを越えてもなお、

執筆開始の気配すら無いとは!!!


ぬぅぅぅぅぅ。
悔しさ情けなさを感じよ、ワタクシ。

改めて思うことだけど
(本物の)長編小説とか、
書き続けられる人は本当にすごいよね。
創作意欲より前に
それだけの根気がないとできないことだ。


あ、でもなんとなく思いついた
“ミスター頓挫”って言い回し、なんか気に入ったわ。
これからも使おう。

それから真面目な話として、近日中には
『12年前の今頃何をしていたか』も再開しよう。

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昨日仕事で千葉県のいくつかの都市に行ったのだが
幕張の街を歩いていたらミゼットⅡが走っていた!




これは、ますます購買意欲が高まりましたぞ。

(参考)
『2015年の大いなる野望』
http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/119/



GWにどこぞを訪れて探す予定です。
しかし、お目当てのクルマを探し当てるのはどうすればよいんだろうか。

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長編小説『12年前の今頃何をしていたか』
よう~~~やく佳境に入り始めたところで頓挫しており
僅かながらでも期待してご覧になって下さっている方には
誠にご迷惑をおかけしております。

心よりお詫び申し上げます。

一応の申し訳を書かせていただきますと、
3月半ばから、ワタクシの勤める冴えない印刷工場が
繁忙期を迎えて残業やら早出やらで執筆の時間が失われた上、
その中でも最も忙しいと言われていた22日~26日にかけては
不覚にもタミフルさんのお世話になっておりました。


↑稀代の英雄タミフルさん


いや~、それにしてもインフルエンザウィルスの恐ろしさたるや。
死の淵でした。(ちなみに、B型)




・・・さて、話は変わりますが、セブンイレブンの弁当類の中では
群を抜いてボンゴレがお気に入りです。

ただ、人気商品なのか、
いつ行っても売切れちゃってるんですよね、ボンゴレ。

昨日は出かけた帰りに腹が減っていたたので
何か食べ物を買おうと
自宅近くのセブンイレブンに立ち寄ってみたところ
ボンゴレがあってハッピー♪


↑セブンイレブンのボンゴレ。お値段もリーズナブル!


腹が減っていると、集中力がなくなったり
ムシャクシャしてしまって
ダメなタイプのワタクシですが
その日セブンイレブンにボンゴレがあったという事実だけで
夜も安眠熟睡できますよ。


つまりは、簡単な男です。


ということで、近日中には
『12年前の今頃何をしていたか』も再開いたします。



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シリーズ8回目。

当初の書き切り目標は2月中だったはずだが
それに収まるどころか先が見えなくなってきているが
別に歩みが止まっているわけではないので
あまり気にしないようにしたい。

『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/

をご覧になっていただきたい。



生まれて初めてとなる海外での長期滞在。

2月ということでまだまだ冬真っ只中だということもある。
入念に旅支度を整え、いざ中国へ。

1ヶ月間の短期留学先は北京語言大学なる学校。
北京市の中心部からやや北部にあり、
積極的に他国からの語学留学生を受け入れていた。

神田外語大学からは、この短期留学プログラムに
ワタクシを含め1~2年生計7人が参加。

その中で男性はワタクシだけで、あとはみな女性。

中央大学だったか・・・はっきりとは覚えていないものの
他の大学から参加していた女性1人も成田空港から同行し
ワタクシたち一行は8人で行動することが多かった。

成田空港からの飛行機で北京に降り立つ。

その時のことはあまり詳しくは覚えていない。
何時ごろ、どうやって北京語言大学まで行ったかとか。

確か、プログラム主催機関の手配した
マイクロバス(中国語では“面包車”)みたいな車に乗って
移動したんじゃないかと思うけど。
荷物も相当量あったはずだしね。

初めて見る中国の風景だったはずなんだが・・・
これもやはりあまり覚えていない。

う~む。
憧れの土地だったのではないのか、北京!


事前説明により、北京滞在中は
北京語言大学のキャンパス構内にある学生寮に
滞在するということを聞かされていた。

日本だとあまりイメージが湧かないが
中国はとにかく国土が広大で
何千キロも離れた地方から進学してくる学生も多くいる。

そんな所以もあって、基本的には
どの大学もキャンパス内に何十もの学生寮があって
多くの学生がその寮に住みながら
学業にあたるのが一般的なのである。

ワタクシたち短期留学生一行も
それと同じような感じで
1か月間学生寮で生活することとなっていた。

そして予定どおり
北京語言大学到着後は手続きをして入寮。

寮は二人部屋で
男性同士、女性同士で部屋が割り振られていた。

部屋は8畳よりちょっと大きいくらいで
備え付けのベッドが2つ、勉強用のデスクも2つ。
ユニットバス形式のシャワー・トイレあり。
(天井から紐がぶら下がっていて引っ張ると水が流れるトイレね)
電話とテレビと小型の冷蔵庫も備え付けられていて
生活のために求める水準が低いワタクシは
なかなか快適な環境であるという印象を受けた。

前述のとおり、
ワタクシたち一行の中で男性はワタクシ1名のみだったので
寮の部屋はどのようになるなのかは
当日のお楽しみ状態だったが
入寮したその日、その部屋には誰もいなかった。
やった!オレ1人だぜ!!と妙に心躍ったものである。

北京というと、中国でも割と北方にあり
冬は寒さが厳しいイメージがあったが
寮の中は全館がスチーム暖房で温められていて
部屋にいる限りは寒さを感じることはない。

むしろ上着など着ていると暑くて仕方がないので
部屋にいる時はTシャツ1枚パンツ1丁で過ごすのがもっぱら
ということが、その日のうちに分かった。

夜は、プログラム主催機関の方に連れられ
一同近辺の大学のすぐそばにあるレストランで食事。

メニュー表を見て、最初の印象は、安!

炒飯がなぜ4元なのか?※

※4元=60円(当時のレート)


さらに料理が出てきての印象は、多!


なぜ料理一皿が

あんなに山のように盛られているのか?



最初は懐疑的にすら思ったが
中国では料理はお皿に余らせるのが当たり前
の文化なのだから、当然といえば当然である。

とはいえ、そんな時でも
きっちり食べきってしまうワタクシ日本人集団は
永遠に日本人としてあるのだと思う。

郷に入っては郷に従え、といっても
一朝一夕にはそうはいかないのだなぁ。


学校の周りには、夜になっても
屋台やら怪しい露店やらが立ち並んでいた。

売っているものを見ても、野菜やらお面やら謎の液体やら・・・

これが本当に4000年の歴史を持つ大国の首都か?と
思わせる特殊な雰囲気だったが、
だからといって別に嫌な感情は湧かず
むしろまだ見ぬ新たな文化に触れたことと
それから1ヶ月間をその土地で過ごす期待感も相まって
気持ちの面で感化されたのは覚えている。

女性陣は、海外(日本)に電話をかけるための
プリペイドカードをそのへんの露店で買ったりしていた。

50元分使えるカードが40元くらいで売られていて
老婆相手に値切ると20元くらいで買える。

もっと粘ればもっと値切れるのだろうが、
当時19歳程度の初中国の若造には、
それ以上の金額を値切れというのはなかなか難しいもの。
1ヶ月後だったら、簡単にもっと値切れたと思うけど。

というか、それで老婆は儲けが出るのだろうか?
と思うわけだが、世の中にはいろんなカラクリがあるんだろうし
それも中国の露店となれば、なおさらなんだろう。

そのへんを深く考えても、ね。笑

寮に戻り、他の人と話をしたりしつつ適宜就寝。

スチーム暖房による鼻の奥の
スーパーハイパー乾燥が気にはなったが
日本では時期的に地獄の佳境にあるはずの
花粉症の症状がまったくなく
その点は最高だった。

満腹感・期待感に満ちた中で
2人部屋を1人で使っての睡眠は深く心地よかった。


一晩明けて。
午前中、ワタクシたち一行は四苦八苦しつつ
自分たちが中国語を学ぶ教室を探し当てて
クソ適当なガイダンスみたいなものを受けた後、
北京語言大学のキャンパスを散策。

キャンパス内には
友谊商店という食料品や生活雑貨の店や書店、銀行、
様々な種類の食堂やレストランがあり
学生はキャンパスから出なくても
ほぼ差し支えなく生活できるようになっていた。

もちろん、学校からの出入りは自由。

中国特有の黄砂を防ぐため
どの建物にも入口にはビニールカーテン。


(画像はイメージ。でもほぼこんな感じ。)


日本ではまったく見ることのない環境で、
ワタクシの目には非常に興味深く映った。

落ち着いたところで寮の部屋に戻る。

すると・・・なぜか部屋の鍵が開いている!!

ドラマのような恐怖感を乗り越え、
部屋へと足を踏み入れると、ワタクシのデスク横に

見たことのない荷物が・・・!!??


ここからが、不可思議ともいえる北京生活の
本当の意味での始まりだった・・・

につづく。




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シリーズ7回目。

まだ山場らしいところすら迎えていないのに
当初の執筆予定回数を超えた。(笑)

ま、人とはそんなもの。楽しいから良い良い。

では参りましょう!

『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/

をご覧になっていただきたい。



そうして、4月に中国語を学び始めてから10ヶ月が経った。

最初の講義で唖然愕然とさせられた中国語経験者集団だが
7月くらいの時点で、追いついたどころか完全に抜き去っていた
という明快な実感があった。

同じ中国語学科の同級生の中でも
中国語を学ぶことに対するワタクシの気持ちは
群を抜いて強かったのではないかと今でも思う。

経験者といっても
所詮は高校の第二外国語で習った程度。

4月の時点ではよく分からなかったが、
大学で専攻するのとでは習得の度合いは雲泥の差であった。
ましてや、やる気が違うのでは。


夏、秋、冬とだんだんと季節が移り変わっていったが
ワタクシは中国語にのめり込む一方。
地元の友人などに話しても誰も共感してくれなかったが
それはたぶん伝え方が悪かったのだと思う。

ワタクシ自身は
中国語を学ぶことが楽しくて仕方がなかった。


1年次も終わりに近づいたころ、大学でこんな通達があった。

1ヶ月間の短期留学参加希望者募集。

大学では1月中旬~下旬のテスト期間が終わると
次年度の入学試験との絡みもあって
2月~3月はほぼ休暇期間になるが
ワタクシにはその期間がなんだか勿体無いように思えていた。
中国語を学ぶ(学べる)環境から離れるのが嫌だった。

もちろん自宅で自学するのもアリだし
それはそれで重要なのだが
言語を学ぶということは、その特性上、
講師に習い&倣い他の人と一緒に学ぶ時間も
極めて重要だ。

で、そんなことを考えていた矢先の短期留学の話。

こうなると、あまり迷いはなかった。

せっかく中国語を約1年間学んできたのだから、
中国に行って実際に中国語を使ってみたい
という気持ちもあった。

それに、単なる訪問や観光目的で行くのではなく
勉強しに中国に行くということが
ワタクシにはとても魅力的に感じられた。

いくら物価の安い中国とはいえ、
1か月も海外に行くのだからそれなりに金がかかる。

が、両親に「短期留学に行きたい」ということを
相談するとその参加を快諾してくれた。

私立大学に通うだけでも負担をかけているというのに
その上短期留学の費用の工面までお願いするのは
気が引けなかったといえば嘘になるが、
その時はそれよりも短期留学をしたいという思いが強かった。

親はどちらも言語を学ぶことに興味を持つ可能性すらないので
ワタクシの主張が理解してもらえるのか不安もあったが
きっと、その1年間のワタクシの中国語学習への真剣さを
見ていてくれたのだろう。

こうしてワタクシは、大学1年の春休み期間、
具体的には2月末から3月末の約1ヶ月間を
中国で過ごすことになった。

行き先は、中華人民共和国の首都 北京



につづく。




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さぁシリーズ6回目。

かなりの文字数書いてる割に
なかなか佳境にも差し掛からない!(笑)


『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/

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そういった気持ちの上でのいろいろがあって
中国語の各講義が始まった。

1週間に中国語総合3コマ、中国語会話2コマ、中国語作文1コマ。

ここで、もうひとつ意外な展開が待ち受けていた。

中国語(普通話)について
ご存知ない読者の方もいると思うので
少しだけ解説しておくと、ワタクシたち日本人にとっての
中国語における最初で最大の関門は!


発音。


正しい発音ができるかどうかが
中国語習得のすべてであるといっても
過言でないくらい。

逆に、しっかり中国語を学ぼうと思ったら
まず初歩の段階で、発音をとにかくみっちりど~っさり練習して
確実に自分のものとして身につけておかなければならない。

・・・ということを

中国語総合の講義でも!

中国語会話の講義でも!

中国語作文の講義でも!

まったく同じように教示され、
いずれの時間もすべて発音の練習だけをやるところから
ワタクシの中国語学習は始まっていった。


このあたりはさすが中国語学科!

本当に一から中国語を習得できるように
カリキュラムだけでなく内容も含めて設定されているわけだ。


で!
2002年の4月に神田外語大学の中国語学科に
入学してから1か月間、ゴールデンウィーク前まで、
漢字など一文字も教わることなく、
拼音(ピンイン)と呼ばれるアルファベットと
ひたすらにらめっこしながら、
アーイーウーと声を出すだけの日々が始まる。

中国語といえば漢字というありふれたイメージとは裏腹に
黒板に並ぶのは変な記号のついたアルファベットのみ。

もちろん、どの講義でも講師一同、
それが中国語学習の第一歩であると口を揃えておっしゃるのだから
間違いはないのだろうと思いつつも、
一体何を学びに来ているのだろうか?と
不思議な感覚に包まれていたのをよく覚えているよ。

ハハハ。懐かしい話だ。


↑『簡明実用漢語課本』の第四課。
 パランカ・クーパーと共に、初めて漢字の文が登場。
 すなわち第一課~第三課までは発音に関する内容のみだったということ。
 漢字の上に付加されているアルファベットが拼音(ピンイン)。
 

日本語には無い発音(ユーウムラウト、反り舌音など)の発声方法。
4つ(+1つ)ある声調の聞き分け、言い分け。

体感したことのないその世界は、まさに夢のようだった。

学校だけでなく、家でもずっと
(中国語の)テープを聞いては戻し聞いては戻し・・・
ある時はテープに合わせて拼音を読んでまた読んで・・・

これまでの人生で
あんな時間の過ごし方はあの時だけだな。笑

そう思い返せるほどの、超連続リピート。

当時使ったテープは今はどっかにいっちゃって
この記事を書くにあたって結構探したんだけど見つからなかった。
写真を載せられないのが残念で仕方ない。

それまでの積年の思いが叶って
今、中国語を学んでる!わぁ~!!って
充実感を感じられて、すごく楽しかったけどね。


につづく。

次回からはいよいよ北京の話に入ります。




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シリーズ5回目。

『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

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②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/

をご覧になっていただきたい。



高校時代に中国語の学習経験がある人が
クラスの半数以上であるという現実を知ったことに対しては
当初、相当の“騙された”感があった。

その日の帰り道とか、多少のぼやきもあったかもしれない。

しかし、それでやる気を失ったワタクシではなかった。

それどころか、よもや現れた経験者集団に
「追いついて、追い越してやる~」という
反骨精神が生まれたような気すらする。

ある種の明確な目標ができたことで、
かえって自分自身の努力値みたいなものも図りやすくなるし。

考えてみれば、ワタクシの通っていた暗闇高校では
授業の一環として中国語を学べる可能性は
皆無だったわけだから、別に悔やむべきことでもない。

その環境があったのに選ばなかったのであれば
即座に舌を噛み切るべきだが。

同じスタートラインの同級生もそれなりにいたし。

同じように、え~!!マジかよ~!!!って思ってたと思うけど。

ということで、衝撃の事実による唖然愕然は過去のものとし、
(とはいえ、その時の事は克明に記憶はされたが)
地味に地道に、一から中国語を学んでいこう
というところに落ち着いた。

気持ちの切り替えをうまくやった。

・・・というよりは
やっぱり中国語を学べる環境にいられることの
喜びがとにかく大きくて
当初段階における周囲との差など
別に気にならなかったというのが
本当のところかもしれない。

それに、週6コマも中国語の講義がある中では
唖然愕然としている暇はない。
(ということが後で判る)


中国語総合の講義の時間で使ったテキストは
『簡明実用漢語課本』!




中国語のテキストにもかかわらず
主人公の2人がパランカクーパーという名の
外国人(イギリス人?)であるという、
奇跡ともいえるシュールさが売りの教材。

彼らと共にワタクシらも少しずつ中国語を学んでいく
という基本コンセプトであり
シナリオもなんとなくそんな風に進んでいく。

確かに、中国語ペラペラであるはずの
中国人がメインキャラになっていて
(特に最初のうち)片言の中国語でしゃべっていたのでは
リアリティの欠片もない。

それは分かる。

だが、なぜパランカとクーパー?
(しかも、2人は文中では彼氏彼女の関係)


↑挿絵も極めてシュール


本場中国に『実用漢語課本』という
もっと分厚いテキストがあり、
それから重要な部分を抜粋して日本語で文法や解釈の説明が
つけられているものということらしい。
(『実用漢語課本』でも主人公がパランカとクーパーなのかどうかは不明)

しかし、この『簡明実用漢語課本』が非常によくできていて
本当の初歩の初歩から、徐々に中国語を学んで
習得していくことができるようになっている。

いわゆる第二外国語で学ぶような、
広く浅くざ~っと流していくようなイメージではないのである。

先日のとってもインスパイア後、
この『簡明実用漢語課本』を時々音読したりしているが、
今読み返してみても「おー、なるほど」と思わせる順序で
単語やら文法やらが少しずつ少しずつ出てくる。

最もコマ数の多かった中国語総合の教材としては
とても的確なものだったように思う。

そうして中国語の各講義が始まったわけだが・・・


につづく。





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シリーズ4回目。

『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/

をご覧になっていただきたい。



ワタクシが中国語を学ぶことを
高校1年生の頃から希望していたことは
で書いたとおりであるが
神田外語大学の中国語学科を第一志望としたプロセスには
ちょっとした運命的なもの(※)があった。

※と言っても、初田悦子ファンになった時ほど運命的巡り合わせではない


現在どうなっているのかは知らないが
13年前当時、中国語学科を持つ大学というのは
関東圏でもそれほど多いわけではなかった。
従って、希望を優先するならば
その時点で選択肢はかなり絞られていた。

ワタクシの通っていた暗闇高校は
その界隈では有数の進学校だったため
進路指導というか大学へ進むためのサポートというか
そういうものに関して学校をあげて結構真剣にやっていたようで
その流れに乗っかる形で、ワタクシも
しかるべき時期には幾つか大学の資料を取り寄せたりしていた。

・・・ものの、こまか~くチェックすることもなく放置していた。
まぁ高校生なんぞはそんなものである!


で、いざ高3の夏休み前、自室で
たまたま資料を開かねばならないシチュエーション
になったところ、資料の束から1枚の紙が落ちた。

これが、神田外語大学での学生向け見学会、
いわゆるオープンキャンパスの参加申し込み用ハガキ
だったのである。

このハガキを見て
神田外語大学ではオープンキャンパスの際に
自分の希望する言語の体験授業を
受けることができるようになっていたことを知った。

もちろん中国語の体験授業も選べるようになっていた。

ラッキー☆

しかも、この日が7月17日。
申し込みの締切日が7月20日。

なんというラッキー☆

よく日にちまで覚えているものだと自分でも感心してしまう。


即刻、申し込みハガキをポストに投函。



※画像はイメージです。
実物は封筒ではありませんでしたし
色も青ではありませんでしたし
このポストも当時は存在しませんでした。


ということで、8月某日には
初めて神田外語大学を訪れるとともに
中国語の体験講座に参加。

大学自体は土地がとても広々としていて好印象だったし
自宅からはそれなりに時間がかかるものの
暗闇高校よりもずっと近かったことから
ワタクシとしては、抵抗感はまったくナシ。

中国語の体験授業では・・・
一口に中国語といっても中国には数々の言語があって
その中で神田外語大学の中国語学科で学ぶのは
普通話(よく一般社会で「北京語」といわれるやつだが
細かい話をすれば普通話と北京語は異なるもの)だということや
発音の概念として声調があることだったり
漢字が簡体字で表記されることなど、
中国語学習における触りの部分の様々な話を聞くことができて
非常に興味を掻き立てられた。

短い時間だったけど、楽しかった。

この時、体験授業の担当講師(当時助教授)から
「中国語は大学で一から学び始める人ばかりです」
という説明もあった。

これは、学習スタート時点では無知識でも
十分に一定のレベルまでは達することができる
カリキュラムや講義内容になっている、ということである。

まさにワタクシの状況や希望と合致するではないか!

もうこの時点で、周りで誰が何と言おうと
神田外語大学の中国語学科に入るのだ!
という意気込みになったように思う。


・・・と、ここまでの前談を経て、話はようやく
神田外語大学入学後、最初の中国語の講義へ。

まずは講師および学生同士の自己紹介をするということになるわけだが
ここでいきなり超衝撃。


何~~~~~~~!!!?????

自己紹介の段階で

名前とか中国語で言ってるヤツがいる~~~!

しかも1人2人じゃなくて何人も~~~~~!!



「東ヰンドと申します」などと
地味に普通に名乗っていたワタクシは唖然愕然。

教室という環境下、平静を装っていながら
(装えていなかったと思うが)
心中、さすがにこれには慌てふためいた。

よくよく聞けば、高校の選択授業で
中国語をとっていた人が結構いたそうである。

中には高校の学科が中国語学科だった人まで。


高校時代に中国語の授業があった??

そんな学校あるなんて、知ら~~ん!!!

「中国語は大学で一から学び始める人ばかりです」
じゃないのかよ~~~!!!!



結局、同じクラスの30人ほどのうち、
半数以上(17~18人)は中国語経験者だということが
分かった。

その現実の受け入れがたさたるや、もう・・・


につづく。

まだまだ北京は遠い・・・(笑)



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シリーズ3回目。

『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/

をご覧になっていただきたい。



神田外語大学への入学後程なくして、
いよいよ念願念願念願だった中国語の講義が始まることとなった。

ワタクシの学年では、中国語学科に入学したのは
全部で60人くらいだったと記憶している。

約30人ずつ2つのクラスに分けられて
まず1年間はそのクラスごとに
(中国語の)各講義が行われていく格好であった。

だから、大学とはいえども、
感覚としては、1年1組、1年2組みたいな感じである。

だいたい男女比は2:8くらい。
中国語学科は英語系の学科に比べれば
まだ男子が多いほうだったがそれでも女子がずっと多い。

これは言語系専攻の学生に見られる明らかな特徴である。

女子のほうが言語というものに興味を持ちやすいのだろうか?
コツコツ派が女子のほうが多いということなのだろうか?


中国語関係の講義は、最初は全部で週6コマあって
文法をはじめとする全般的な事を学ぶ中国語総合が3コマ、
会話練習が中心の中国語会話が2コマ、
文章作成能力の習得が目的の中国語作文が1コマ、
という構成だった。

そのほかにも中国関連のいろいろな(歴史とか社会・文化とか)講義はあったが
それらについては技能習得が目的ということではないから
やはり圧倒的に中国語メインのカリキュラムになっているわけである。

当たり前だが、中国文学科とかそういう学科を選ばず
中国"語"学科を選んだワタクシとしてはたいへん良かった。

で、記念すべき最初の中国語の授業は中国語総合。
(・・・だったと思う)

これから中国語を学べる!という
はちきれんばかりの期待感を心に秘めていたが
開始わずか数分で、予想だにしなかったある現実を知り
ワタクシは唖然愕然とすることになるのである・・・

につづく。



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プロフィール
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東ヰンドの奇跡の賢者
年齢:
41
性別:
男性
誕生日:
1983/10/11
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バルタン星人
趣味:
地味で地道なこと
自己紹介:
生粋の初田悦子ファン。
とにかくたくさんの人に “歌うストーリーテラー” 初田悦子 の歌を聴いてほしい!と心から願って生きています。
ジャグリングが趣味でしたが、最近はたまにやるくらいになってしまいました。
日本ビール検定2級所持。
マー○ャン(中国積み木)も幼い頃からすごく好きです。
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