東ヰンドの奇妙なブログ
2013年8月4日復活!生粋の初田悦子のファン、東ヰンドの奇跡の賢者のブログです。地味に地道に綴っていきます。 2020年6月以来休眠状態になっていましたが2023年5月11日に再開!! 旧東ヰンドの奇妙なブログもぜひどうぞ☆ http://plaza.rakuten.co.jp/higashiindo/
シリーズ16回目。
2月中には書き切りたいと言っていたが
2月になった。
見方によっては、順調。
有言実行。
・・・・・・はい!カット!!
『12年前の今ごろ何をしていたか』
これまでの流れは
①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
⑧→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/131/
⑨→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/143/
⑩→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/144/
⑪→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/145/
⑫→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/146/
⑬→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/147/
⑭→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/148/
⑮→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/159/
をご覧になっていただきたい。
金曜日の夜に出発した週末旅行。
列車は辺りが明るくなってもまだ走り続けていた。
その時間帯になると夜行列車の乗客はみな目覚めて
各々が行動し始めていた。
近くにいた自称「日本の歴史に詳しい」中国人のおっさんが
ワタクシたちが日本人であることを悟り
日本の歴史について語ろうと話しかけてきたことを覚えている。
そういった類の話をできるほど中国語が達者なわけではないので
(それができるとしたら相当のレベルだと思うが)
鎌倉時代の次が室町時代でその次が江戸時代で・・・みたいな、
単語をつなげた話をするだけ。
それでも、おっさんは満足していたようである。
その後、朝メシをどうしたか覚えていないが
夜行列車は鄭州の駅に到着。
北京に比べるとだいぶ素朴な風景の駅だった。
地方の繁華街ってイメージかな。
その時になって初めて、この週末旅行の一団は
ワタクシたち神田外語大学からの短期留学生が7名、
その他の日本人留学生が7名、韓国人留学生が1名、
北京語言大学からの付き添い担当の女性1名
(この女性が先生だったのかは不明)
の計16名だということがわかった。
あらかじめ組まれた旅程に従い、
ワタクシたち一行は山奥にある少林寺本山へ向かうことになった。
移動手段はバス。
いわゆるマイクロバスみたいなやつ。
ワタクシは、後ろから2列目の右側のシートに座した。
現地の旅行者のスタッフなんだろうが、
日本語が少々しゃべれますって感じの中国人女性が1人同乗して
それからの2日間、観光ガイドを務めてくれるとのこと。
このガイドの女性は持っている日本語能力をフルに使って
すごーく一生懸命いろいろ案内したり説明してくれたりしていた。
実際には、もうちょっとほっといてくれてもよかったが
本当に一生懸命なので、見ているこちらも同情した。
山奥へ向かうということで道のりは長い。
目的地の少林寺本山までは2~3時間かかるという。
国道のような道をバスは進むが
中国の地方の国道は、もはや無法地帯と思っていい。
車線を示す白線などないし、もちろん中央分離帯もなし。
実際には上りと下り、計5車線程度の設定なんだろうが
双方合わせて6車線分くらいのクルマが走っていた。
また道路自体もお世辞にもきれいに舗装されているとは言えず
感覚としては荒野を進んでいるようなイメージ。
そんな中を時速100キロとかで大きめの車がガンガン走っている。
一番左側(中国は車両は右側通行)で走ってたら
対向車線のクルマとのすれ違いが怖いだろーなーと思ったが、
その地ではきっとそれがごく当たり前の日常。
道路から5メートルも離れれば
レンガ作りの民家や飲食店が立ち並んでいたりするが、
あんな道路沿いで普通に住めるんだろうか?
果たして。
ま、住んでたんだけど。
もろもろ、深く気に留めず文化の差として捉えるべきと思った。
バスが走り出して最初のうちは、
週末旅行の参加者間での自己紹介取り交わしや
バスガイドの女性による1日のスケジュールの確認や
観光ポイントの紹介がなされた。
だがそういった話もやがて終わる。
・・・1時間以上走っただろうか。
山並みとレンガの民家、同じような風景の繰り返し中、
ひたすら長く続く道でバスに揺られていれば
人は自然と眠気に襲われるものである。
ましてや夜行列車でこの地に至ったワタクシたちであれば。
気づけば会話も途切れてなくなり、
他の参加者はみなウトウトとしていたが
ワタクシは寝る気になれず外をぼーっと眺めていた。
そして、ふと前方を見たその時。
左前方のトラックのフロントガラスがこちらを向いているのが見えた。
ん?
こちらを向いている??
その瞬間!!!!!
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
これまでに体験したことのない、
とてつもない物理的衝撃!!!!!
その「一瞬」の後、
ワタクシは天井に目を向けて横たわっていた。
そして、ワタクシの真下に
2人の女性がなだれ込むようにして倒れていた。
ついさっきまで座席に座っていたはずでは・・・?
なぜワタクシの下に2人も人がいるのか?!
あまりに突拍子もない事態に、状況が飲み込めない。
ワタクシたちのバスに何かがぶつかったのか・・・
強烈な、いや、破壊的な衝撃により
ワタクシは瞬時に上方に飛んだようだ。
同時に、前の席に座っていた人が後方に飛ばされて
今、ワタクシの下にいるということなのか・・・しかも2人も。
そんなことが起こり得るのか!?
振り向くと、同級生のMさんが額を押さえていた。
おびただしい出血があり、悲鳴をあげてひどく混乱している。
見れば、最後部の座席のシートがなくなっている。
ついさっきまで人が座っていたのに・・・
衝撃によって飛んだ・・・ということに他ならぬ。
そのシートの下側の金具が血で染まっていた。
その時に至って初めて気付いたが
奇跡的にも、ワタクシ自身は
どこにもぶつからなかったようで外傷はなかった。
強い痛みを感じるところもなかった。
ワタクシたちは互いに安否を確認しあいながら、
二次災害を避けるため、とりあえず路肩に降り立った。
ちょうど路肩に近くに木が何本か生えていて、
他の参加者たちがその木の陰にMさんを寝かせ
介抱にあたっていた。
Mさんはその時点では意識はあったので
出血はともかくケガの程度は浅いと思われたが、
女性らは泣きじゃくっていた。
他にもケガをした人がたくさんいたし、
突然起こった事故に中国野次馬も集まってくるしで
誰もが動揺している状況。
その周辺は異様な混沌状態となっていた。
付き添いで来ていた北京語言大学の担当女性は
携帯電話で事故の件を通報していた。
が、山奥へ向かう途中の道での事象である。
救急車が来るにせよ、時間を要することが予想された。
韓国人留学生が、近所の店で買ったのであろう、
ミネラルウォーターを2本持って歩いてくるのが見えた。
また、バスを運転していた運転手のおじさんも
頭部にケガを負ったらしく、
タオルのようなもので頭を押さえていた。
このおじさんがとても申し訳なさそうな顔をして
介抱の現場を見て立っていたのが、妙に印象に残っている。
しばらくはただ呆然とするしかなかった。
少しして、バスの様子を見に行った。
事故が起こったとはいえ、
その脇を通るクルマが速度を落としている様子はない。
ここは中国。
近づくのは危険すぎるので遠目に見ることしかできなかったが
バスの左前方に、反対車線を走っていたトラックが突っ込んだようだ。
当時の走り具合からして、
双方ともに80キロ~100キロのスピードは出ていたと思う。
バスはもはや完全に走行不可能な状態となり果てていた。
↑事故の後に撮った写真が残っていた。
車体の左側は見るも無惨に破損していた。
⑰につづく。
2月中には書き切りたいと言っていたが
2月になった。
見方によっては、順調。
有言実行。
・・・・・・はい!カット!!
『12年前の今ごろ何をしていたか』
これまでの流れは
①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
⑧→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/131/
⑨→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/143/
⑩→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/144/
⑪→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/145/
⑫→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/146/
⑬→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/147/
⑭→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/148/
⑮→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/159/
をご覧になっていただきたい。
金曜日の夜に出発した週末旅行。
列車は辺りが明るくなってもまだ走り続けていた。
その時間帯になると夜行列車の乗客はみな目覚めて
各々が行動し始めていた。
近くにいた自称「日本の歴史に詳しい」中国人のおっさんが
ワタクシたちが日本人であることを悟り
日本の歴史について語ろうと話しかけてきたことを覚えている。
そういった類の話をできるほど中国語が達者なわけではないので
(それができるとしたら相当のレベルだと思うが)
鎌倉時代の次が室町時代でその次が江戸時代で・・・みたいな、
単語をつなげた話をするだけ。
それでも、おっさんは満足していたようである。
その後、朝メシをどうしたか覚えていないが
夜行列車は鄭州の駅に到着。
北京に比べるとだいぶ素朴な風景の駅だった。
地方の繁華街ってイメージかな。
その時になって初めて、この週末旅行の一団は
ワタクシたち神田外語大学からの短期留学生が7名、
その他の日本人留学生が7名、韓国人留学生が1名、
北京語言大学からの付き添い担当の女性1名
(この女性が先生だったのかは不明)
の計16名だということがわかった。
あらかじめ組まれた旅程に従い、
ワタクシたち一行は山奥にある少林寺本山へ向かうことになった。
移動手段はバス。
いわゆるマイクロバスみたいなやつ。
ワタクシは、後ろから2列目の右側のシートに座した。
現地の旅行者のスタッフなんだろうが、
日本語が少々しゃべれますって感じの中国人女性が1人同乗して
それからの2日間、観光ガイドを務めてくれるとのこと。
このガイドの女性は持っている日本語能力をフルに使って
すごーく一生懸命いろいろ案内したり説明してくれたりしていた。
実際には、もうちょっとほっといてくれてもよかったが
本当に一生懸命なので、見ているこちらも同情した。
山奥へ向かうということで道のりは長い。
目的地の少林寺本山までは2~3時間かかるという。
国道のような道をバスは進むが
中国の地方の国道は、もはや無法地帯と思っていい。
車線を示す白線などないし、もちろん中央分離帯もなし。
実際には上りと下り、計5車線程度の設定なんだろうが
双方合わせて6車線分くらいのクルマが走っていた。
また道路自体もお世辞にもきれいに舗装されているとは言えず
感覚としては荒野を進んでいるようなイメージ。
そんな中を時速100キロとかで大きめの車がガンガン走っている。
一番左側(中国は車両は右側通行)で走ってたら
対向車線のクルマとのすれ違いが怖いだろーなーと思ったが、
その地ではきっとそれがごく当たり前の日常。
道路から5メートルも離れれば
レンガ作りの民家や飲食店が立ち並んでいたりするが、
あんな道路沿いで普通に住めるんだろうか?
果たして。
ま、住んでたんだけど。
もろもろ、深く気に留めず文化の差として捉えるべきと思った。
バスが走り出して最初のうちは、
週末旅行の参加者間での自己紹介取り交わしや
バスガイドの女性による1日のスケジュールの確認や
観光ポイントの紹介がなされた。
だがそういった話もやがて終わる。
・・・1時間以上走っただろうか。
山並みとレンガの民家、同じような風景の繰り返し中、
ひたすら長く続く道でバスに揺られていれば
人は自然と眠気に襲われるものである。
ましてや夜行列車でこの地に至ったワタクシたちであれば。
気づけば会話も途切れてなくなり、
他の参加者はみなウトウトとしていたが
ワタクシは寝る気になれず外をぼーっと眺めていた。
そして、ふと前方を見たその時。
左前方のトラックのフロントガラスがこちらを向いているのが見えた。
ん?
こちらを向いている??
その瞬間!!!!!
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
これまでに体験したことのない、
とてつもない物理的衝撃!!!!!
その「一瞬」の後、
ワタクシは天井に目を向けて横たわっていた。
そして、ワタクシの真下に
2人の女性がなだれ込むようにして倒れていた。
ついさっきまで座席に座っていたはずでは・・・?
なぜワタクシの下に2人も人がいるのか?!
あまりに突拍子もない事態に、状況が飲み込めない。
ワタクシたちのバスに何かがぶつかったのか・・・
強烈な、いや、破壊的な衝撃により
ワタクシは瞬時に上方に飛んだようだ。
同時に、前の席に座っていた人が後方に飛ばされて
今、ワタクシの下にいるということなのか・・・しかも2人も。
そんなことが起こり得るのか!?
振り向くと、同級生のMさんが額を押さえていた。
おびただしい出血があり、悲鳴をあげてひどく混乱している。
見れば、最後部の座席のシートがなくなっている。
ついさっきまで人が座っていたのに・・・
衝撃によって飛んだ・・・ということに他ならぬ。
そのシートの下側の金具が血で染まっていた。
その時に至って初めて気付いたが
奇跡的にも、ワタクシ自身は
どこにもぶつからなかったようで外傷はなかった。
強い痛みを感じるところもなかった。
ワタクシたちは互いに安否を確認しあいながら、
二次災害を避けるため、とりあえず路肩に降り立った。
ちょうど路肩に近くに木が何本か生えていて、
他の参加者たちがその木の陰にMさんを寝かせ
介抱にあたっていた。
Mさんはその時点では意識はあったので
出血はともかくケガの程度は浅いと思われたが、
女性らは泣きじゃくっていた。
他にもケガをした人がたくさんいたし、
突然起こった事故に中国野次馬も集まってくるしで
誰もが動揺している状況。
その周辺は異様な混沌状態となっていた。
付き添いで来ていた北京語言大学の担当女性は
携帯電話で事故の件を通報していた。
が、山奥へ向かう途中の道での事象である。
救急車が来るにせよ、時間を要することが予想された。
韓国人留学生が、近所の店で買ったのであろう、
ミネラルウォーターを2本持って歩いてくるのが見えた。
また、バスを運転していた運転手のおじさんも
頭部にケガを負ったらしく、
タオルのようなもので頭を押さえていた。
このおじさんがとても申し訳なさそうな顔をして
介抱の現場を見て立っていたのが、妙に印象に残っている。
しばらくはただ呆然とするしかなかった。
少しして、バスの様子を見に行った。
事故が起こったとはいえ、
その脇を通るクルマが速度を落としている様子はない。
ここは中国。
近づくのは危険すぎるので遠目に見ることしかできなかったが
バスの左前方に、反対車線を走っていたトラックが突っ込んだようだ。
当時の走り具合からして、
双方ともに80キロ~100キロのスピードは出ていたと思う。
バスはもはや完全に走行不可能な状態となり果てていた。
↑事故の後に撮った写真が残っていた。
車体の左側は見るも無惨に破損していた。
⑰につづく。
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今日の午後、献血に行ってきた。
ま、前々から行こう行こうとは思っていたんだが、
2月に入ってから、いろいろときっかけがあってね。
(知る人ぞ知る・・・)
新しくなった柏の献血ルームで献血するのは初めて。
振り返ってみたところ、11年ぶりの献血だった。間の空き方に笑う。
通算8回目とのこと。
学生時代は定期的に献血してたんだけどなぁ。
いつの頃からか、足が遠のいてしまっていたよ。
ただ、11年前の時と比べて
事前の問診で訊かれることが多くなったような気がするね。
体調も優れていたのでもちろん問診で引っかかることもなく
献血自体は何もなくスムーズに進んだ。
400ml全血献血で正味15分くらいか。
あれ、そんなもんで終わったっけ??って感じ。
けど、献血の前後で複数の看護師に
「本日は久しぶりの献血ですので・・・」って何度も言われたねぇ。
なんか妙な気分になるよ。
で、水分補給。
献血ルームの醍醐味と言えば、無料のドリンクマシーンだわね。
(別にドリンク目当てで献血しに行ってるわけじゃないよ)
甘いものばっかり飲んだり食べたりしたのはヒミツ。
また5月か6月にでも、献血に行こう。
柏じゃない献血ルームに行ってみるのも良さそうね。
ま、前々から行こう行こうとは思っていたんだが、
2月に入ってから、いろいろときっかけがあってね。
(知る人ぞ知る・・・)
新しくなった柏の献血ルームで献血するのは初めて。
振り返ってみたところ、11年ぶりの献血だった。間の空き方に笑う。
通算8回目とのこと。
学生時代は定期的に献血してたんだけどなぁ。
いつの頃からか、足が遠のいてしまっていたよ。
ただ、11年前の時と比べて
事前の問診で訊かれることが多くなったような気がするね。
体調も優れていたのでもちろん問診で引っかかることもなく
献血自体は何もなくスムーズに進んだ。
400ml全血献血で正味15分くらいか。
あれ、そんなもんで終わったっけ??って感じ。
けど、献血の前後で複数の看護師に
「本日は久しぶりの献血ですので・・・」って何度も言われたねぇ。
なんか妙な気分になるよ。
で、水分補給。
献血ルームの醍醐味と言えば、無料のドリンクマシーンだわね。
(別にドリンク目当てで献血しに行ってるわけじゃないよ)
甘いものばっかり飲んだり食べたりしたのはヒミツ。
また5月か6月にでも、献血に行こう。
柏じゃない献血ルームに行ってみるのも良さそうね。
シリーズ15回目。
2月中には書き切りたいと言っていたはずだが
師走をすぎて2016年に突入した・・・
この長編小説の執筆もいつぶりだろうか・・・
もはや笑いも出ないぞ。
職場の環境が大きく変わったとか
新たなプロジェクトがいきなり降ってきたなど
挙げればいろんな理由がありすぎてキリがないが
大雑把に言えば、月日が流れるのが早いのである。
断じて、ワタクシの執筆が遅いのではなく!
書き切る意志が弱いのではなく!!
と、いうことで・・・・・
『12年前の今ごろ何をしていたか』
これまでの流れは
①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
⑧→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/131/
⑨→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/143/
⑩→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/144/
⑪→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/145/
⑫→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/146/
⑬→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/147/
⑭→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/148/
をご覧になっていただきたい。
北京での生活が3週間ほど過ぎたころ、週末旅行に行くことになった。
留学先の北京語言大学の掲示板(みたいなところ)には
留学生に向けた様々な情報が掲示されるのであるが
ある時そこに、学生を対象にした旅行の参加者を募る貼り紙が貼られていた。
旅行の貼り紙、といっても内容は割と雑で
A4サイズの紙に、文字だけで「週末旅行!参加者求む!」
日程!
旅費!
行先!
観光の見どころ!
みたいなものが箇条書きで
ざくっと羅列されているだけだったような気がするが・・・
実際のところはよく覚えていない。
掲示板(みたいなところ)には、
いくつかそんな貼り紙があったが
その中から日程的にちょうど良さそうな旅行を
神田外語大学から一緒に留学していたワタクシたちグループの
女子が見つけてきて、その誘いに乗った形。
行先は・・・鄭州。
ワタクシはその時まで知らなかったが、
河南省の省都であり
「少林寺」の本山があることで
日本人にも有名な土地。
ワタクシたち神田外語大学日本人留学生一行全員で
この旅行に参加することとなった。
旅程はといえば
金曜日の日中に通常通りの講義を受けた上で
金曜日の夜に宿舎を出て北京西駅から夜行列車に乗って鄭州へ、
土曜日・日曜日と鄭州の各地を巡って観光、
日曜日の夜にはまた夜行列車に乗って北京へ、
月曜日の朝6時に宿舎に戻って8時からは講義!
という、
鮨詰めバス状態の詰め込み感!
ワタクシはともかくとして
女性陣にはなかなかハードな旅程なのではないかとも思われたが
新たな土地に出向く時のワクワク感というか
高揚感のようなものは
そういったネガティヴな感情を打ち消すものらしい。
女性陣は皆、意気揚々と旅行の日を待ちわびていた。
・・・だがこの時、ワタクシたちは予想だにしていなかった。
あのような恐怖の出来事が自分たちの身に降りかかろうとは。
短期留学の日々は驚くほどあっという間に過ぎ去り、
鄭州旅行の日を迎えた。
どういう風に駅まで行ったのか明確な記憶に無いのだが
その旅行に申し込んだ人が
北京語言大学の集合場所に一旦集まって、
全員でマイクロバスに乗って向かったのではなかったかと思う。
夜の北京西駅は数多のネオンに彩られ、古めかしい印象は全くなかった。
あのような光景は、当時の日本の何処でも見ることはできなかっただろう。
目に入ってくるものはすべて青、緑、そしてピンクの蛍光色。
北京西駅に着くと、ワタクシたちを待ち構えていたのは
夜行列車。
ワタクシにとって人生初の夜行列車である。
中国語でいうところの「硬臥(yingwo)」というタイプの車両で
三段ベッドになっていた。
ワタクシは、ほぼ興味本位で一番上のベッドを選んだが
横になると天井までの距離が30センチあるかないかのギリギリ感で
寝るためだけの車両というニュアンスが痛いほど伝わった。
夜行列車は、遮るものなく果てしなく続く線路を進む。
夜、寝る気にならなかったこともあってワタクシは
真っ暗な中、ベッドを下りて座席に座り
過ぎていく荒野の風景を眺めていた。
が、おそらく夜の盗難などを防ぐためなんだろう、
ワタクシが寝床に着くまで、ちょっと離れた場所に座った
女性車掌がずっとワタクシを見ていて
早く寝ねば悪い気にさせられる、
その妙な緊迫感は脳裏に焼き付いている。
翌朝、鄭州に到着。そして・・・
⑯につづく。
2月中には書き切りたいと言っていたはずだが
師走をすぎて2016年に突入した・・・
この長編小説の執筆もいつぶりだろうか・・・
もはや笑いも出ないぞ。
職場の環境が大きく変わったとか
新たなプロジェクトがいきなり降ってきたなど
挙げればいろんな理由がありすぎてキリがないが
大雑把に言えば、月日が流れるのが早いのである。
断じて、ワタクシの執筆が遅いのではなく!
書き切る意志が弱いのではなく!!
と、いうことで・・・・・
『12年前の今ごろ何をしていたか』
これまでの流れは
①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
⑧→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/131/
⑨→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/143/
⑩→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/144/
⑪→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/145/
⑫→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/146/
⑬→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/147/
⑭→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/148/
をご覧になっていただきたい。
北京での生活が3週間ほど過ぎたころ、週末旅行に行くことになった。
留学先の北京語言大学の掲示板(みたいなところ)には
留学生に向けた様々な情報が掲示されるのであるが
ある時そこに、学生を対象にした旅行の参加者を募る貼り紙が貼られていた。
旅行の貼り紙、といっても内容は割と雑で
A4サイズの紙に、文字だけで「週末旅行!参加者求む!」
日程!
旅費!
行先!
観光の見どころ!
みたいなものが箇条書きで
ざくっと羅列されているだけだったような気がするが・・・
実際のところはよく覚えていない。
掲示板(みたいなところ)には、
いくつかそんな貼り紙があったが
その中から日程的にちょうど良さそうな旅行を
神田外語大学から一緒に留学していたワタクシたちグループの
女子が見つけてきて、その誘いに乗った形。
行先は・・・鄭州。
ワタクシはその時まで知らなかったが、
河南省の省都であり
「少林寺」の本山があることで
日本人にも有名な土地。
ワタクシたち神田外語大学日本人留学生一行全員で
この旅行に参加することとなった。
旅程はといえば
金曜日の日中に通常通りの講義を受けた上で
金曜日の夜に宿舎を出て北京西駅から夜行列車に乗って鄭州へ、
土曜日・日曜日と鄭州の各地を巡って観光、
日曜日の夜にはまた夜行列車に乗って北京へ、
月曜日の朝6時に宿舎に戻って8時からは講義!
という、
鮨詰めバス状態の詰め込み感!
ワタクシはともかくとして
女性陣にはなかなかハードな旅程なのではないかとも思われたが
新たな土地に出向く時のワクワク感というか
高揚感のようなものは
そういったネガティヴな感情を打ち消すものらしい。
女性陣は皆、意気揚々と旅行の日を待ちわびていた。
・・・だがこの時、ワタクシたちは予想だにしていなかった。
あのような恐怖の出来事が自分たちの身に降りかかろうとは。
短期留学の日々は驚くほどあっという間に過ぎ去り、
鄭州旅行の日を迎えた。
どういう風に駅まで行ったのか明確な記憶に無いのだが
その旅行に申し込んだ人が
北京語言大学の集合場所に一旦集まって、
全員でマイクロバスに乗って向かったのではなかったかと思う。
夜の北京西駅は数多のネオンに彩られ、古めかしい印象は全くなかった。
あのような光景は、当時の日本の何処でも見ることはできなかっただろう。
目に入ってくるものはすべて青、緑、そしてピンクの蛍光色。
北京西駅に着くと、ワタクシたちを待ち構えていたのは
夜行列車。
ワタクシにとって人生初の夜行列車である。
中国語でいうところの「硬臥(yingwo)」というタイプの車両で
三段ベッドになっていた。
ワタクシは、ほぼ興味本位で一番上のベッドを選んだが
横になると天井までの距離が30センチあるかないかのギリギリ感で
寝るためだけの車両というニュアンスが痛いほど伝わった。
夜行列車は、遮るものなく果てしなく続く線路を進む。
夜、寝る気にならなかったこともあってワタクシは
真っ暗な中、ベッドを下りて座席に座り
過ぎていく荒野の風景を眺めていた。
が、おそらく夜の盗難などを防ぐためなんだろう、
ワタクシが寝床に着くまで、ちょっと離れた場所に座った
女性車掌がずっとワタクシを見ていて
早く寝ねば悪い気にさせられる、
その妙な緊迫感は脳裏に焼き付いている。
翌朝、鄭州に到着。そして・・・
⑯につづく。
財布を盗難に遭ってしまいました。
ちょっと画像が粗いですが、
このConverse(コンバース)のワンスターの黒の財布です。
千葉県流山市の江戸川台駅近くの雀荘で
1月7日(木)の午前にトイレに入った時に
トイレの中にあった台に置き去りにしてしまったようで
数時間後に気づいた時には、探しても
もう見つからない状態となっていました。
店に入る時には間違いなくあって、
ワタクシはその間一度も店を出ていないので
盗難されてしまったことが確実です。
まぁ、置き去りにしてしまったのはワタクシ自身なので
自業自得で、情けない気持ちでいっぱいですが、
その時に店に居た誰かが盗ったということになるのが
すごく悔しいですね。
大事なものをいろいろ失ったことよりも、精神的ショックが大きいですね。
3日くらい経って、ようやく落ち着いて
その状況を受け止めることができるようになってきました。
(・・・ということで、今この記事を書いています)
中のお金は諦めますが、運転免許証などその他のものは
ぜひ返ってきてほしいなぁと願っています。
もし上の写真の財布を見かけた方がいらっしゃいましたら
目撃情報をご連絡ください。よろしくお願いします。
ちょっと画像が粗いですが、
このConverse(コンバース)のワンスターの黒の財布です。
千葉県流山市の江戸川台駅近くの雀荘で
1月7日(木)の午前にトイレに入った時に
トイレの中にあった台に置き去りにしてしまったようで
数時間後に気づいた時には、探しても
もう見つからない状態となっていました。
店に入る時には間違いなくあって、
ワタクシはその間一度も店を出ていないので
盗難されてしまったことが確実です。
まぁ、置き去りにしてしまったのはワタクシ自身なので
自業自得で、情けない気持ちでいっぱいですが、
その時に店に居た誰かが盗ったということになるのが
すごく悔しいですね。
大事なものをいろいろ失ったことよりも、精神的ショックが大きいですね。
3日くらい経って、ようやく落ち着いて
その状況を受け止めることができるようになってきました。
(・・・ということで、今この記事を書いています)
中のお金は諦めますが、運転免許証などその他のものは
ぜひ返ってきてほしいなぁと願っています。
もし上の写真の財布を見かけた方がいらっしゃいましたら
目撃情報をご連絡ください。よろしくお願いします。
ワタクシをよく知る人であればまずご存知だろうが
ワタクシにとってファッションブランドと言えば
Converse(コンバース)一本。
カジュアルな服装やグッズについては
基本的にConverseブランドのものしか買わない。
で、今年の初喜び。
昨年の終わり頃に、ちょっとした理由があって
Converseの帽子をいろいろとネットで探していた時に
うわ~欲しいなぁ~~~~~~~と思っていたけど
売り切れになってしまっていた帽子があったんだが
この正月に、初売りセールでConverseグッズを物色するために
訪れた近所の若人向け用品店に、その帽子が売っていた~~!
ミラクル!
その帽子はこちら!!
しまった・・・画像を間違えた!
欲しかったConverseの帽子はこちら!!
その店に残っていたのはこの1種類、1つだけ。即断即決で購入。
同じデザインで6種類のカラーコンビネーションがあったんだけど、
このブラックとレッドの組み合わせがとにかくいちばん欲しかったんだよ。
ミラクルミラクル!!
ワタクシにとってファッションブランドと言えば
Converse(コンバース)一本。
カジュアルな服装やグッズについては
基本的にConverseブランドのものしか買わない。
で、今年の初喜び。
昨年の終わり頃に、ちょっとした理由があって
Converseの帽子をいろいろとネットで探していた時に
うわ~欲しいなぁ~~~~~~~と思っていたけど
売り切れになってしまっていた帽子があったんだが
この正月に、初売りセールでConverseグッズを物色するために
訪れた近所の若人向け用品店に、その帽子が売っていた~~!
ミラクル!
その帽子はこちら!!
しまった・・・画像を間違えた!
欲しかったConverseの帽子はこちら!!
その店に残っていたのはこの1種類、1つだけ。即断即決で購入。
同じデザインで6種類のカラーコンビネーションがあったんだけど、
このブラックとレッドの組み合わせがとにかくいちばん欲しかったんだよ。
ミラクルミラクル!!
ミナサマ!
あけましておめでとうございます!
2016年となりましたね。
ということで、ブログのプロフィールアイコン変えました。
Twitterアカウントの方は、
2015年のはじめくらいにはアイコンチェンジしてたんですけどね。
ブログにおいてはなぜか乗り遅れました。
いちばんの理由は・・・
この悦子画伯の描いた似顔絵、ものすご~くお気に入りなんですよね。
何と言っても、似すぎで。
知ってる人はわかるでしょうが、驚異的。自然と笑いが出ます。それくらい似てます。
あけましておめでとうございます!
2016年となりましたね。
ということで、ブログのプロフィールアイコン変えました。
Twitterアカウントの方は、
2015年のはじめくらいにはアイコンチェンジしてたんですけどね。
ブログにおいてはなぜか乗り遅れました。
いちばんの理由は・・・
この悦子画伯の描いた似顔絵、ものすご~くお気に入りなんですよね。
何と言っても、似すぎで。
知ってる人はわかるでしょうが、驚異的。自然と笑いが出ます。それくらい似てます。
でも、そろそろいいよねぇ? (笑)
そんなわけで、
2016年も東ヰンドの奇妙なブログをよろしくお願いいたします!
そんなわけで、
2016年も東ヰンドの奇妙なブログをよろしくお願いいたします!
間もなく2015年が終わろうとしています。
ざっくり振り返ってみます。
私生活においては・・・
やり残したこと満載の年となった。
①
2月に“とってもインスパイア”されたことを契機に書き始めた
長編小説(?)『12年前の今ごろ何をしていたか』が
結局全然書き終わっていない
②
①に伴って、それが完結したらアクションを起こそうと思っている
大事な事も実行できていない
(→実はこれがかなり重要。タイミングを逃してはいけないのに・・・)
③
ライブを観に行った初田悦子レポートをアップできていない
(12月6日の川口でのワンマンライブと過去のやつもうひとつ)
④
10月にドラマ『大地の子』の再放送を見始めたことを契機に
本格的な中国語の学習再開を志したが未だまったく始まっていない
⑤
クルマ(ミゼットⅡ)を買おうと誓っていたが、買っていない
⑥
通信教育を始めて「衛生管理者」の資格取得をしようと思ったが
結局、教材の箱すら開けていない
ダメだなこりゃ。笑
ま、とりあえず少しずつクリアしていくようにしていきたいね。
来年の大晦日には①~⑥が残っていないように。
仕事においては・・・
とても変化が大きい1年だった。
組織のいろんな事情により、
年初と年末とでは体制がまったく変わってて。
冴えない印刷工場の冴えない総務という地味な役柄とはいえ
まさかワタクシがその中の長になるなんて
年初にはまったく考えてなかった。
また、単にそれだけならともかく、
現在の3人(ワタクシ+再雇用2人)でひとつの部署を構成して
難題山積の工場でいろいろと切り盛りしていくことになろうとは。
まさかのまさか。笑うしかないだろ。
今振り返ってみれば、
春~秋にかけては、ストレスとの闘いだったな。
あんまり表には出さなかったつもりだけど。
離れ小島での「ワタクシ+再雇用2人」という体制に
絶対的無理があるということを
冴えない会社の中で一体何人の人が分かっているのか。
ましてや3月に移ってきたSさんを含めて、の体制だからな。
以来、やる気が薄い(というか考えていることの方向性が異なる)
Sさんの対応には日々頭を悩まされた。
よい経験だったという見方もあるが、
今の立場であれば普通ならは経験しないはずのことである
とも言える。
ようやく少し落ち着いてきたと思った矢先、
印刷機の入れ替えと工場設備の大改修
という2つの大プロジェクトの話が持ち上がって・・・
ちょっと待っとくれ~!!
無理に無理を重ねないでくれ~!!!
と、バラモスブロス君も登場したが
実際のところ、どうもうまくやりきれる気がしないねぇ。
工場の稼働という制約がある中で
何をどのくらいの時間とお金をかけてこまでやるかを
決めていくところから始めていくわけだけど。
それも含めて。
ワタクシ自身はそれに対してやる気が出ないわけでもないが
とてもじゃないけど一人で担当してやっていく件ではない。
周りがそれをどう捉えるか。ワタクシが周りをどう動かすか。
それに加えて、上の方で誰が何をどう言うか。
この要素も結構大きいから今の時点であれこれと考えても
あまり意味がないような気もしてきたから
このへんまでにしようか。
その日その時にストレスを溜めないことだけかな、考えるべきは。
果たして2016年はどうなることやら。
あ、初田悦子ライブの参戦回数は確実に増やします。
これは、ゼッタイ。
まだここには書けないんですけど
超偶然の出来事なんかもあって、一念発起しました。
そんなわけで!
今年お世話になったみなさん、ありがとうございました。
また来年も東ヰンドをよろしくお願いいたします。
ざっくり振り返ってみます。
私生活においては・・・
やり残したこと満載の年となった。
①
2月に“とってもインスパイア”されたことを契機に書き始めた
長編小説(?)『12年前の今ごろ何をしていたか』が
結局全然書き終わっていない
②
①に伴って、それが完結したらアクションを起こそうと思っている
大事な事も実行できていない
(→実はこれがかなり重要。タイミングを逃してはいけないのに・・・)
③
ライブを観に行った初田悦子レポートをアップできていない
(12月6日の川口でのワンマンライブと過去のやつもうひとつ)
④
10月にドラマ『大地の子』の再放送を見始めたことを契機に
本格的な中国語の学習再開を志したが未だまったく始まっていない
⑤
クルマ(ミゼットⅡ)を買おうと誓っていたが、買っていない
⑥
通信教育を始めて「衛生管理者」の資格取得をしようと思ったが
結局、教材の箱すら開けていない
ダメだなこりゃ。笑
ま、とりあえず少しずつクリアしていくようにしていきたいね。
来年の大晦日には①~⑥が残っていないように。
仕事においては・・・
とても変化が大きい1年だった。
組織のいろんな事情により、
年初と年末とでは体制がまったく変わってて。
冴えない印刷工場の冴えない総務という地味な役柄とはいえ
まさかワタクシがその中の長になるなんて
年初にはまったく考えてなかった。
また、単にそれだけならともかく、
現在の3人(ワタクシ+再雇用2人)でひとつの部署を構成して
難題山積の工場でいろいろと切り盛りしていくことになろうとは。
まさかのまさか。笑うしかないだろ。
今振り返ってみれば、
春~秋にかけては、ストレスとの闘いだったな。
あんまり表には出さなかったつもりだけど。
離れ小島での「ワタクシ+再雇用2人」という体制に
絶対的無理があるということを
冴えない会社の中で一体何人の人が分かっているのか。
ましてや3月に移ってきたSさんを含めて、の体制だからな。
以来、やる気が薄い(というか考えていることの方向性が異なる)
Sさんの対応には日々頭を悩まされた。
よい経験だったという見方もあるが、
今の立場であれば普通ならは経験しないはずのことである
とも言える。
ようやく少し落ち着いてきたと思った矢先、
印刷機の入れ替えと工場設備の大改修
という2つの大プロジェクトの話が持ち上がって・・・
ちょっと待っとくれ~!!
無理に無理を重ねないでくれ~!!!
と、バラモスブロス君も登場したが
実際のところ、どうもうまくやりきれる気がしないねぇ。
工場の稼働という制約がある中で
何をどのくらいの時間とお金をかけてこまでやるかを
決めていくところから始めていくわけだけど。
それも含めて。
ワタクシ自身はそれに対してやる気が出ないわけでもないが
とてもじゃないけど一人で担当してやっていく件ではない。
周りがそれをどう捉えるか。ワタクシが周りをどう動かすか。
それに加えて、上の方で誰が何をどう言うか。
この要素も結構大きいから今の時点であれこれと考えても
あまり意味がないような気もしてきたから
このへんまでにしようか。
その日その時にストレスを溜めないことだけかな、考えるべきは。
果たして2016年はどうなることやら。
あ、初田悦子ライブの参戦回数は確実に増やします。
これは、ゼッタイ。
まだここには書けないんですけど
超偶然の出来事なんかもあって、一念発起しました。
そんなわけで!
今年お世話になったみなさん、ありがとうございました。
また来年も東ヰンドをよろしくお願いいたします。
スマホアプリ『ナイトガンダムパズルヒーローズ』が
サービス終了となり、半月ほどが経ちました。
(サービス終了タイミングは12月14日(月)の12:00ぴったり)
なにしろ、丸2年間以上毎日の日課にしていたゲームですからね、
サービス終了となって、ログインしようとすると
「KC(ナイトコイン)の払い戻しについて」の画面が
表示されるようになった時には
もうガンダムやれないのか・・・と本当に寂しい気持ちで包まれましたが
時間とか焦りとかいろんな制約がなくなって、
すごく解放された感じもあります。
本音と言うか正直なところとしては、ね。
ランキングイベントの全順位を一覧できる画像を用意しましたので
ナイトガンダムパズルヒーローズの最後の思い出ということで
載せておきます。
もちろんフル参加ですが、まぁ~とにかく地味です!
それ以外の形容の仕方がない!
ま、ワタクシらしさが出て、いいでしょう。
あと、画像が長い!!!笑
以上をもって、
ナイトガンダムパズルヒーローズ関連の記事はおしまいとします。
語りきれないほど、語りたいこともありますが
自分の心に留めておきたいと思います。
ナイトガンダムパズルヒーローズを通じて知り合い、お世話に
なったみなさん、楽しい時間をありがとうございました。
ナイトガンダムパズルヒーローズでのユーザー名:あいうえ
サービス終了となり、半月ほどが経ちました。
(サービス終了タイミングは12月14日(月)の12:00ぴったり)
なにしろ、丸2年間以上毎日の日課にしていたゲームですからね、
サービス終了となって、ログインしようとすると
「KC(ナイトコイン)の払い戻しについて」の画面が
表示されるようになった時には
もうガンダムやれないのか・・・と本当に寂しい気持ちで包まれましたが
時間とか焦りとかいろんな制約がなくなって、
すごく解放された感じもあります。
本音と言うか正直なところとしては、ね。
ランキングイベントの全順位を一覧できる画像を用意しましたので
ナイトガンダムパズルヒーローズの最後の思い出ということで
載せておきます。
もちろんフル参加ですが、まぁ~とにかく地味です!
それ以外の形容の仕方がない!
ま、ワタクシらしさが出て、いいでしょう。
あと、画像が長い!!!笑
以上をもって、
ナイトガンダムパズルヒーローズ関連の記事はおしまいとします。
語りきれないほど、語りたいこともありますが
自分の心に留めておきたいと思います。
ナイトガンダムパズルヒーローズを通じて知り合い、お世話に
なったみなさん、楽しい時間をありがとうございました。
ナイトガンダムパズルヒーローズでのユーザー名:あいうえ
今日の午前に必要物資の買い物のために訪れたのは
ジャスコノア店時計の広場。
なんかクリスマスの抽選会的なやつが行われてました。
今日から遡ること、1850日前。
この場所で初田悦子ライブが開催されました。
初田悦子ミニライブ『ぽかぽか春の音楽会』
http://plaza.rakuten.co.jp/higashiindo/diary/201004050000/
ほんっと、懐かしいことですね。
あの日の嬉しかった気持ち、
そしてあのライブが決まったあの日の衝撃は
忘れません。
ジャスコノア店時計の広場。
なんかクリスマスの抽選会的なやつが行われてました。
今日から遡ること、1850日前。
この場所で初田悦子ライブが開催されました。
初田悦子ミニライブ『ぽかぽか春の音楽会』
http://plaza.rakuten.co.jp/higashiindo/diary/201004050000/
ほんっと、懐かしいことですね。
あの日の嬉しかった気持ち、
そしてあのライブが決まったあの日の衝撃は
忘れません。
スマホアプリ『ナイトガンダムパズルヒーローズ』が明日でサービス終了となります。
寂しくなりますね・・・ほんと。
2年間一緒に暮らしてきた人が
その日を境に家からいなくなるような感じです。
スマホアプリの終了なんて、他人事だと思ってました。
確かに時々、『●●●』サービス終了!みたいなニュースが
Yahoo!ニュース上で出てきたり、
Twitter上で流れていたりしてるのを見てましたが
まさか、自分が(地味に)相当の情熱を注いできた、
名のあるメーカーが運営してる名のあるゲームアプリが
終わってしまう日がくるとは・・・あんまり思っていませんでした。
発表された時は意外とあっさりしてましたけど。(笑)
配信型のサービスだからいつかは終わるって、
それは分かってるはずなんですけどね。
もしかすると、考えたくなかっただけかもしれません。
かくなる上は、惜別の念を込めて、
ワタクシがナイトガンダムパズルヒーローズをプレーしてきた
この2年あまり(2013年11月下旬~2015年12月)の中で、
よく使った&格別の思い入れのあるキャラクター達を挙げ
その活躍を紹介するとともに、
この場所にその功績を残しておきたいと思います。
ナイトガンダムパズルヒーローズをプレーしたことのない人にとっては
よく分からなくて興味が湧かないかもしれませんが
どうか温かい目で眺めてみてください。
第一期(無フレンド時代)
2013年11月下旬にナイトガンダムパズルヒーローズを始めたワタクシ。
(ナイトガンダムパズルヒーローズにおけるユーザー名は「あいうえ」)
自分なりにゲームを楽しむための一種の縛りとして
2014年5月31日までは完全にフレンド無しでプレーしていた。
だが、それによりフレンドのパーティスキルの効果がなくなるため
クエストに挑むにあたっては
何よりもとにかくパーティのHPを高めることが必須であった。
また、開始当時はパーティコストにも強烈な制限があり、
鍛えたキャラを集めて自由にパーティを組むようなことは
ほぼできなかった。
そのような背景がある中で、
特に初期の頃、大活躍を見せたのがキラ―ズゴックとバウンドウルフ。
彼らはパーティのHPを膨大に増やせるだけでなく、
コストが低いのと敵に大ダメージを与えるスキルなのとが相まって
フル稼働状態だった。
ジオン族のザコ敵なのにね。(笑)
敵が火属性ならキラ―ズゴック隊、地属性ならバウンドウルフ隊で挑む
というような感じ。
それにとって代わったのが武闘家ネモ[影の実力者]である。
2014年1月ごろのイベントで登場し無課金で入手できたキャラだったが
HP増加倍率の高さに加え、編成パーティに制限が少ないことと
スキル解除のスキル持ちだったなどなどのお得キャラで
かなり後半になっても活躍の場があった。
特に、登場から間もないころ、
同じようにイベント入手できた巨人サイコゴーレム[限定]は
「HPを半減してその50倍のダメージを与える」スキルを有していて
この2キャラによるタッグは驚異的な優位性を発揮した。
彼らの力で多くの難クエストを乗り切ることができた。
戦力的にはビミョーだったが
愛くるしいグラフィックが好きですごくお気に入りだった
古代モンスターテディザクマ。
種類に寄らずパネルを消すと「スキルポイントが一気に貯まる」
というパーティスキルを持つため、
ザコ戦では無類のスピード感で敵をなぎ倒すことができた。
同じように、グラフィックがお気に入りで素早さが高めの
天使リリーナ姫や天使リリーナ姫[信念]と組み合わせて
かな~~~り長い間、1つのパーティ編成のリーダーとして据えていた。
あとは、聖剣騎士ブルーディスティニ―かな。
「敵全体にレベルの1000倍のダメージ」(=100000ダメージ)というスキルは
当時は破格で、ほぼすべての敵が一撃で殲滅できる破壊力だった。
今となっては、100000ダメージなんてショボショボだけど。(笑)
第ニ期(フレンド解禁後)
ランキングイベントの獲得ポイントが
パーティ編成の影響を受けるようになったことで
フレンドを使わないプレースタイルでは
まったくゲームを楽しめなくなってしまったことで
ワタクシも2014年5月31日以降はフレンドを解禁。
それ以降は新キャラクターの登場サイクルもどんどん早まっていったし
敵も味方もどんどんインフレ化が進んでいったような気がする。
システム面でも新しい要素もどんどん取り入れられるようになっていって
ゲーム自体の楽しみ方がちょっと変わったよね。
だから、思い入れのあるキャラもどちらかといえば少なくなったし
戦略的に有効なキャラを中心にパーティ編成せざるを得ないような
感じになっていった。
まぁでもそれはそれで、基本無課金派としては
戦略を考えるのとか結構楽しめたから良かったんだけどさ。
まず、驚きを以て迎えたのはキングガンダムIII世。
2014年9月ごろのランキングイベント報酬。
“キング”にふさわしい雄々しきグラフィックもさることながら、
当時★4にもかかわらず
「敵全体のHPの25%を奪い味方全体に分配して回復させる」という
世にも恐るべきスキル性能には目が釘付け!
彼を手に入れるためにランキングイベントも頑張った。
実際には他のキャラとなかなかうまく組み合わせづらいという
運営側の作った絶妙なバランスの中、
活躍の場が限定的だった不遇の時期もあったが
敵のHPのハイパーインフレ化に伴い再度脚光を浴びることとなる。
最後までワタクシのパーティ編成の中心格としてはたらいてくれた。
次に驚きを以て迎えたのは
騎士ユニコーンガンダムBM[アカシックヴァインダー]であった。
2014年10月ごろのランキングイベント報酬。
「直前に使用したスキルと同じスキルを使用する」という
戦略上奇跡に近いスキルを有し、
また、仮に★4だとしてもパーティスキルも最強クラスだったことで
その当時は全ユーザーの間で異常に愛用されていたキャラ。
2014年7月ごろのイベントで先に入手していた
皇騎士ストライクガンダムとの組み合わせの相性が最高で
数か月というかなり長い期間、主戦として君臨していた。
当時は、どのイベントでもクエスト時に持久戦になるケースが結構多くて
敵の攻撃の合間に、味方の回復をどのように行うかが
重要なテーマとなっていたことが大きな理由としてあるように思う。
黒騎士バンシィ[ビーストモード]もお気に入り度がとても高い。
ガシャでのみ入手できたキャラ。
LEGEND覚醒後は「敵全体を攻撃力30倍攻撃+敵全体敵スキル全解除」という
当時としてはとんでもないスキルを持っていたことで
戦略上ど~~~~~~しても欲しい!と思い
祈る気持ちで普段は回さないガシャを回してみたところ、
一発目でサラサ演出&ダブルアップ成功!!
その後の獅子奮迅の活躍もさることながら
ど~~~~~~しても欲しいキャラをたった¥300で入手できたという
嬉しさで、鮮明に記憶に残っているキャラクターである。
キングガンダムI世[初代国王]も好きだった。
2015年3月ごろのランキングイベント報酬であり
上記したキングガンダムIII世の★4の性能を上回る
「敵全体のHP30%を奪い味方全体に分配して回復させる」を持つことに加え、
パーティスキルも万能型で非常に優秀だったんだよね。
よくはたらいていただいた。
終盤のお気に入りキャラとして挙げられるのは
スペリオルドラゴンEx‐AS[輝ける魂]で、
こちらはメダルガシャで入手可能だったキャラ。
メダルは貯めるのが容易というか普通にイベントをこなしていると
いつの間にか貯まりまくっていたものなので
実質簡単に入手できたキャラだった割に、最高水準の有用キャラだった。
「HP4.5倍、攻撃力3倍、素早さ1.5倍 & ダメージを受けるとスキルゲージが3増加」
という万能気味のパーティスキルもさることながら
「攻撃力20倍で4回の弱点属性乱れ斬り」という
あらゆる面で非常に汎用性の高いスキルのおかげで
登場以降(サービス終了を翌日に控えた今でも)
ワタクシのパーティのリーダー枠を占領し続けている。
が、「弱点属性乱れ斬り」というスキルの登場は
率直に言って、
ナイトガンダムパズルヒーローズのゲームシステムの根幹を覆すもの。
違和感は感じていた。
・・・それから程なくしてサービス終了の発表。
今思い返してみれば、
予感が無かった、と言ったらウソになってしまうね。
他にも、たくさんのキャラ達とともに戦ってきたなぁ。
でも、挙げたらキリがないから、このへんにしておこう。
2015年12月14日の正午をもって
ナイトガンダムパズルヒーローズはサービス終了となります。
最後の最後どのように終わるのか?
サービス終了の時間を過ぎるとどうなるのか?
思いは尽きませんが、後は静かにその時の訪れを待とうと思います。
ナイトガンダムパズルヒーローズでのユーザー名:あいうえ
寂しくなりますね・・・ほんと。
2年間一緒に暮らしてきた人が
その日を境に家からいなくなるような感じです。
スマホアプリの終了なんて、他人事だと思ってました。
確かに時々、『●●●』サービス終了!みたいなニュースが
Yahoo!ニュース上で出てきたり、
Twitter上で流れていたりしてるのを見てましたが
まさか、自分が(地味に)相当の情熱を注いできた、
名のあるメーカーが運営してる名のあるゲームアプリが
終わってしまう日がくるとは・・・あんまり思っていませんでした。
発表された時は意外とあっさりしてましたけど。(笑)
配信型のサービスだからいつかは終わるって、
それは分かってるはずなんですけどね。
もしかすると、考えたくなかっただけかもしれません。
かくなる上は、惜別の念を込めて、
ワタクシがナイトガンダムパズルヒーローズをプレーしてきた
この2年あまり(2013年11月下旬~2015年12月)の中で、
よく使った&格別の思い入れのあるキャラクター達を挙げ
その活躍を紹介するとともに、
この場所にその功績を残しておきたいと思います。
ナイトガンダムパズルヒーローズをプレーしたことのない人にとっては
よく分からなくて興味が湧かないかもしれませんが
どうか温かい目で眺めてみてください。
第一期(無フレンド時代)
2013年11月下旬にナイトガンダムパズルヒーローズを始めたワタクシ。
(ナイトガンダムパズルヒーローズにおけるユーザー名は「あいうえ」)
自分なりにゲームを楽しむための一種の縛りとして
2014年5月31日までは完全にフレンド無しでプレーしていた。
だが、それによりフレンドのパーティスキルの効果がなくなるため
クエストに挑むにあたっては
何よりもとにかくパーティのHPを高めることが必須であった。
また、開始当時はパーティコストにも強烈な制限があり、
鍛えたキャラを集めて自由にパーティを組むようなことは
ほぼできなかった。
そのような背景がある中で、
特に初期の頃、大活躍を見せたのがキラ―ズゴックとバウンドウルフ。
彼らはパーティのHPを膨大に増やせるだけでなく、
コストが低いのと敵に大ダメージを与えるスキルなのとが相まって
フル稼働状態だった。
ジオン族のザコ敵なのにね。(笑)
敵が火属性ならキラ―ズゴック隊、地属性ならバウンドウルフ隊で挑む
というような感じ。
それにとって代わったのが武闘家ネモ[影の実力者]である。
2014年1月ごろのイベントで登場し無課金で入手できたキャラだったが
HP増加倍率の高さに加え、編成パーティに制限が少ないことと
スキル解除のスキル持ちだったなどなどのお得キャラで
かなり後半になっても活躍の場があった。
特に、登場から間もないころ、
同じようにイベント入手できた巨人サイコゴーレム[限定]は
「HPを半減してその50倍のダメージを与える」スキルを有していて
この2キャラによるタッグは驚異的な優位性を発揮した。
彼らの力で多くの難クエストを乗り切ることができた。
戦力的にはビミョーだったが
愛くるしいグラフィックが好きですごくお気に入りだった
古代モンスターテディザクマ。
種類に寄らずパネルを消すと「スキルポイントが一気に貯まる」
というパーティスキルを持つため、
ザコ戦では無類のスピード感で敵をなぎ倒すことができた。
同じように、グラフィックがお気に入りで素早さが高めの
天使リリーナ姫や天使リリーナ姫[信念]と組み合わせて
かな~~~り長い間、1つのパーティ編成のリーダーとして据えていた。
あとは、聖剣騎士ブルーディスティニ―かな。
「敵全体にレベルの1000倍のダメージ」(=100000ダメージ)というスキルは
当時は破格で、ほぼすべての敵が一撃で殲滅できる破壊力だった。
今となっては、100000ダメージなんてショボショボだけど。(笑)
第ニ期(フレンド解禁後)
ランキングイベントの獲得ポイントが
パーティ編成の影響を受けるようになったことで
フレンドを使わないプレースタイルでは
まったくゲームを楽しめなくなってしまったことで
ワタクシも2014年5月31日以降はフレンドを解禁。
それ以降は新キャラクターの登場サイクルもどんどん早まっていったし
敵も味方もどんどんインフレ化が進んでいったような気がする。
システム面でも新しい要素もどんどん取り入れられるようになっていって
ゲーム自体の楽しみ方がちょっと変わったよね。
だから、思い入れのあるキャラもどちらかといえば少なくなったし
戦略的に有効なキャラを中心にパーティ編成せざるを得ないような
感じになっていった。
まぁでもそれはそれで、基本無課金派としては
戦略を考えるのとか結構楽しめたから良かったんだけどさ。
まず、驚きを以て迎えたのはキングガンダムIII世。
2014年9月ごろのランキングイベント報酬。
“キング”にふさわしい雄々しきグラフィックもさることながら、
当時★4にもかかわらず
「敵全体のHPの25%を奪い味方全体に分配して回復させる」という
世にも恐るべきスキル性能には目が釘付け!
彼を手に入れるためにランキングイベントも頑張った。
実際には他のキャラとなかなかうまく組み合わせづらいという
運営側の作った絶妙なバランスの中、
活躍の場が限定的だった不遇の時期もあったが
敵のHPのハイパーインフレ化に伴い再度脚光を浴びることとなる。
最後までワタクシのパーティ編成の中心格としてはたらいてくれた。
次に驚きを以て迎えたのは
騎士ユニコーンガンダムBM[アカシックヴァインダー]であった。
2014年10月ごろのランキングイベント報酬。
「直前に使用したスキルと同じスキルを使用する」という
戦略上奇跡に近いスキルを有し、
また、仮に★4だとしてもパーティスキルも最強クラスだったことで
その当時は全ユーザーの間で異常に愛用されていたキャラ。
2014年7月ごろのイベントで先に入手していた
皇騎士ストライクガンダムとの組み合わせの相性が最高で
数か月というかなり長い期間、主戦として君臨していた。
当時は、どのイベントでもクエスト時に持久戦になるケースが結構多くて
敵の攻撃の合間に、味方の回復をどのように行うかが
重要なテーマとなっていたことが大きな理由としてあるように思う。
黒騎士バンシィ[ビーストモード]もお気に入り度がとても高い。
ガシャでのみ入手できたキャラ。
LEGEND覚醒後は「敵全体を攻撃力30倍攻撃+敵全体敵スキル全解除」という
当時としてはとんでもないスキルを持っていたことで
戦略上ど~~~~~~しても欲しい!と思い
祈る気持ちで普段は回さないガシャを回してみたところ、
一発目でサラサ演出&ダブルアップ成功!!
その後の獅子奮迅の活躍もさることながら
ど~~~~~~しても欲しいキャラをたった¥300で入手できたという
嬉しさで、鮮明に記憶に残っているキャラクターである。
キングガンダムI世[初代国王]も好きだった。
2015年3月ごろのランキングイベント報酬であり
上記したキングガンダムIII世の★4の性能を上回る
「敵全体のHP30%を奪い味方全体に分配して回復させる」を持つことに加え、
パーティスキルも万能型で非常に優秀だったんだよね。
よくはたらいていただいた。
終盤のお気に入りキャラとして挙げられるのは
スペリオルドラゴンEx‐AS[輝ける魂]で、
こちらはメダルガシャで入手可能だったキャラ。
メダルは貯めるのが容易というか普通にイベントをこなしていると
いつの間にか貯まりまくっていたものなので
実質簡単に入手できたキャラだった割に、最高水準の有用キャラだった。
「HP4.5倍、攻撃力3倍、素早さ1.5倍 & ダメージを受けるとスキルゲージが3増加」
という万能気味のパーティスキルもさることながら
「攻撃力20倍で4回の弱点属性乱れ斬り」という
あらゆる面で非常に汎用性の高いスキルのおかげで
登場以降(サービス終了を翌日に控えた今でも)
ワタクシのパーティのリーダー枠を占領し続けている。
が、「弱点属性乱れ斬り」というスキルの登場は
率直に言って、
ナイトガンダムパズルヒーローズのゲームシステムの根幹を覆すもの。
違和感は感じていた。
・・・それから程なくしてサービス終了の発表。
今思い返してみれば、
予感が無かった、と言ったらウソになってしまうね。
他にも、たくさんのキャラ達とともに戦ってきたなぁ。
でも、挙げたらキリがないから、このへんにしておこう。
2015年12月14日の正午をもって
ナイトガンダムパズルヒーローズはサービス終了となります。
最後の最後どのように終わるのか?
サービス終了の時間を過ぎるとどうなるのか?
思いは尽きませんが、後は静かにその時の訪れを待とうと思います。
ナイトガンダムパズルヒーローズでのユーザー名:あいうえ
プロフィール
HN:
東ヰンドの奇跡の賢者
年齢:
40
HP:
性別:
男性
誕生日:
1983/10/11
職業:
バルタン星人
趣味:
地味で地道なこと
自己紹介:
生粋の初田悦子ファン。
とにかくたくさんの人に “歌うストーリーテラー” 初田悦子 の歌を聴いてほしい!と心から願って生きています。
ジャグリングが趣味でしたが、最近はたまにやるくらいになってしまいました。
日本ビール検定2級所持。
マー○ャン(中国積み木)も幼い頃からすごく好きです。
Twitterアカウント:higashi_indo
とにかくたくさんの人に “歌うストーリーテラー” 初田悦子 の歌を聴いてほしい!と心から願って生きています。
ジャグリングが趣味でしたが、最近はたまにやるくらいになってしまいました。
日本ビール検定2級所持。
マー○ャン(中国積み木)も幼い頃からすごく好きです。
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