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東ヰンドの奇妙なブログ

2013年8月4日復活!生粋の初田悦子のファン、東ヰンドの奇跡の賢者のブログです。地味に地道に綴っていきます。 2020年6月以来休眠状態になっていましたが2023年5月11日に再開!! 旧東ヰンドの奇妙なブログもぜひどうぞ☆ http://plaza.rakuten.co.jp/higashiindo/

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シリーズ25回目。

足掛け3年に渡ったこのシリーズも、ついに・・・!

『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
⑧→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/131/
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㉑→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/232/
㉒→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/236/
㉓→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/237/
㉔→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/239/

をご覧になっていただきたい。



日本に戻ってから。

1週間あまりの春休みを経て
神田外語大学中国語学科での2年目が始まった。

2年次の初めての登校日。
バス事故で額にキズを負ったMさんの姿もあった。

あの瞬間はどうなることかと思ったが
短期留学で一緒だった面々は
みな元気に顔を合わせることができた。

中国語のクラスがシャッフルされ
1年次とは異なるメンバーと共に中国語関連の講義を
受けることになった。

それからの1年は、まさに真剣に中国語に打ち込んだ。

北京への短期留学で感じた「手応え」がワタクシの
中国語学習意欲を十分すぎるほど向上させた結果と言える。

特に前期(4月~7月)の間は
ワタクシの人生における糧ともいえる麻雀すら
一度もやろうとも思わなかったのだから
そののめり込み具合たるや凄まじいもの。

前期が終わりを迎える7月の下旬、
選択受講していたスペイン史概論
レポート提出を終えたその日になって初めて

「あっ!そういえば何か月も麻雀やってない!!」

と急に思い返して、麻雀をやりに行った記憶がある。

大学では、2年次は1年次に比べ
会話能力やリスニング力向上のための授業時間が増え
学ぶ内容にも相当の面白みがあった。
中国語検定の準2級(当時;現在の2級相当)も
2年次の秋に取得するなど、確実な上達が感じられていた。

・・・しかし。

言語の学習というものはゴールが無い。

追求してずっと学び続けていけるのが良い点であるとともに
モチベーションを維持するのも難しいという一面もある。

中国じゃ5歳の子どもでも中国語を話してるんだから・・・
と言われてしまえば、残念だがそれも一理あるようにも思う。

ネイティヴとの単純な対比に意味がないことは分かっているけれど。


やがて3年次になると、私生活において中国語のほかに
その時どうしても立ち向かわなくてはならないことができた。

家でも大学でも、中国語の学習に割く時間が
明らかに減ってしまった。

学習内容が徐々に「ビジネスで生きる中国語」という方向に
向いていったことも拍車をかけた一因かもしれない。

ワタクシは将来的に仕事で中国語を使おうという思いは希薄で
それを当たり前と考えている人とは
気持ちの上での隔たりも生まれていたから。

入学当初の意気込みはどうなったんだという見方もあるが
続ける中での様々な変化や自分の趣向に対する気付きも
あったということ。

でも、それまでの学びを通して
基礎的な中国語能力は十分に身についていて
また学びたいと思った時にいつでも自由に
自分で学べる段階まで至っていたから良かったと思っている。

実際、社会人になってからも
中国語を趣味の一つとして独学したりしたこともあったし。


だって 中国語、面白いもん。

麻雀も面白いけど!



その後のワタクシの生き方についても
なんとなく書き示したいところだが
ここでそれをやり始めると
どんどん12年前ではなくなっていってしまうから
別の機会に書き綴ることとしよう。

ということで!

『12年前の今ごろ何をしていたか』





完。




いや~当初1週間程度で書き切る予定だったこのシリーズ・・・

無理~!笑


結果的に、2年半もの歳月を費やすこととなってしまいましたが
いかがだったでしょうか。

スポットを当てているのは短い期間ですが
その間でも割といろいろあっていろいろ起こって

いつかは文字におこして残しておきたいと思っていたのでした。
お読みになって下さった方、ありがとうございます!!
ぜひ感想や類似体験などコメントにてお寄せ下さい!!

→もう一度読みたいので①に戻る


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シリーズ24回目。

仮に1時間で1話読むとすると、丸一日かかる計算だ。

『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

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②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
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をご覧になっていただきたい。



北京滞在の最後の週。

ワタクシたちとともに暮らしたタイ人らのほとんどは
引き続き北京に残って学習を続けるということで
送別会風の催しを開いてくれたりした。

その他にも、食堂のデザート売り場の小姐(店員)に寂しがられたり
(ワタクシが毎日昼に食堂で“布丁”すなわちプリンを買っていたから。)
少しずつ交友関係も広がってきた中での惜別は
本当に寂しいものがあった。

大学での講義は、確か日本に帰参する前日か
2日前くらいまであったのだと思う。

講義の締めくくりとして
筆記試験や口頭試験のようなものもあったかもしれない。

最後の講義を受け終えた後には
ワタクシらのクラスの講師であった张老师と
記念写真を撮った。

 
张老师との食事会にて


 
↑講義中の様子っぽくポーズをとる张老师


で紹介したテキストも
そのすべてをやり終えたわけではなかったが
わずか1カ月強とはいえ、短期留学の期間中でも
中国語力はブラッシュアップしていたと明確に実感していたし
何よりも今のスタンスで学習を続けていけば
やがては確実に中国語を習得できるという
手応えを掴むことができた。

その意味で非常に有意義な1ヶ月間だった。

もちろんタイ人との不可思議生活も、ね。

宿舎の部屋を後にする時、部屋の中は
エッが街で買ってきたモノだらけになっていた。

背の高いラックやら間接照明やら・・・

とりあえず備え付けの器具は完全無視。
そしてDVDはざっと300枚以上。

状況から鑑みるに
きっと映画館でも開業するつもりだったのだろう。

彼には他にも様々な野望もあったのかもしれないが
あまり深く追及することはしなかった。
それより、ワタクシが去った後に入居してくる人
のことを考えろよ~と思っていた。

いい意味での社会勉強になったってヤツかな。


↑タイ人男性陣との記念写真。
シリーズ化してここまで書いてくると妙に懐かしくなる。
彼らは今、何をしているのだろうか。



空港まで至ると、张老师が見送りに来てくれていた。
フライトの時間も迫っていたため
あまり長く話すことはできなかったが
これは予想外だったから嬉しかった。

ワタクシは、日本から持ってきたものの
荷物が増えて持って帰るのがめんどくさくなっていた醤油を
「格別の想いを込めた郷土の品」として咄嗟に
张老师に差し出した。

ゴタゴタの中、袋に入れて渡したので
何を受け取ったのかを気づいていなかったと思うが
张老师は後に使いかけのキッコーマンのボトルを見て
どのような感想を持ったのだろうか。

これについては、年月が経っても興味を失うことがない。


そしてワタクシたちを乗せた飛行機は北京を飛び立つ。




につづく。





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シリーズ23回目。

邪念を捨て、粛々と。

『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

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をご覧になっていただきたい。



充実した短期留学の日々はあっという間に過ぎ
北京滞在の時間も残すところ1週間となった。

最後の週末旅行として
北京市の北部、万里の長城に行くこととなった。


万里の長城。


「宇宙から肉眼で見える唯一の建造物」と言われる
総延長およそ6,000kmにも渡る世界最大・最長の人工建築物である。

北方の異民族の侵入を防ぐため
中国の各代王朝によって建てられたということは
歴史の教科書やら中国語の教本を通じて
もちろん知っていた。

が、実際にどのようなものなのかについては
正直なところよく分かっていなかった。

万里の長城を訪ねるといっても
総延長およそ6,000kmもあるわけで、長城自体はあちこちにある。
その土地ごとに姿形も違う。

ワタクシは長城の中でも北京の北部に位置し
観光スポットとなっている
八达岭(八達嶺)へ向かうこととなった。

3月も半ばを過ぎていたがその日の北京は大雪。
一面白の山道をマイクロバスは進む。

北京市街を出て意外とすぐ八达岭に到着。
人里離れた土地にあるのかと思いきや
近くてむしろ驚く。

早速、長城を登る。

石造りの長城は思いのほか凸凹しているし
勾配も極めて急で、降りしきる雪の中では
登っていくことだけでも一苦労だった。

ちょっと登って山の頂上部分まで至ると
辺りが見まわせるようになった。

この時感じた感情は今でも忘れることがない。

遠く尾根づたいに延々と続く長城。
山肌を隠すかのように降り積もる雪・・・




嗚呼!

なんたる壮観な光景であるものか!!


その場所にいると、自分が「英雄」になったように感じた。


これまでの人生で訪れた中で最も印象に残っている光景である。
まさに最高の瞬間だった。

  
↑英雄のワンショット



につづく。





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シリーズ22回目。

粛々と。

『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

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北京に戻った朝からは
それまでの日々と何ら変わらずに教室に向かい
同じように淡々と講義を受けた。

さすがに、ケガを負ったMさんは
その日の講義は休んでいたし
週末旅行に参加していた女性陣も
全員は受講していなかった気がする。

もともと日程的にハードな旅行だったし
精神的にも体力的にも
休む時間を欲するのは無理もない話。

ワタクシらのクラスの講師と
大阪なんとか大学の輩らをはじめとする
同じクラスの女子らは、ワタクシら一行が
旅先で事故に遭ったことを知って
Mさんの事を気遣ったり
その時の様子を聞いてきたりした。

けれども、話せば少なからず
ダークな雰囲気になってしまうので
互いにあまり深くは踏み込まないやり取りに
終始していた感じだった。

ただ、その時の状況を客観的に考えれば
そのくらいの反応がむしろ自然だったとも思う。

その日の夜だっただろうか。

日本の神田外語大学から2つ指令が出た。

1つは、日本の家族に対して
無事であることの連絡をとるように、というもの。

北京に来てからすでに3週間が経過していたが
もともとワタクシの考え方としては
わざわざ日本の地を離れて短期留学をする以上
その期間は家族に連絡をとるつもりが毛頭なかったのだが
指令が出たことを受けて、北京に来て初めて
家に電話をすることとなった。

が、そもそも論として
日本に電話をかける気持ちが無かったことにより
電話をかけるためのプリペイドカード(で紹介)すら
手元に無かった。

そのため、プリペイドカードを
大学周辺の露店で買うところからのスタート。

近くの店でタマゴチャーハンを食らってから
露店の老婆を相手に値切り交渉。

サクッと、50元分使えるカードを25元程度で購入し
宿舎の部屋から日本の家に電話。

母が応答した。

聞くと、その時点ですでに神田外語大学から
「ワタクシが旅先の鄭州で交通事故に遭い
バス車内にいた中で最も飛ばされたが奇跡的に無傷だった」
ことが書面でも伝わっていた。

大学側からのその伝え方もどうなんだと
少々笑わせていただいたが
母からすれば、直接無事を確認できたことで
安堵する気持ちもあったようである。

バス事故の事、なぜかタイ人と暮らしている事を話した。

母からは、北京での日々の生活のことを聞かれたり
数日前に清華大学で起こった爆破事件は大丈夫なのか
と問われたりした。

それらの回答をしようとしているうちに
プリペイド50元は尽き、電話は途切れて終了。

国際電話では50元などあっという間である。


次の日の午後だっただろうか。

あまり深く覚えていないが、近隣の診療所に連れて行かれた。

事故の後遺症などがないかどうか
念のため診療所で再度診断を受けよ
という神田外語大学からの2つめの指令を受けてのものだった。

年老いた中国人医師の診察を受ける。
この医師は日本語が喋れた。
幼少時、日本語で教育を受けたのだろうか。

外傷こそ無かったが、首や腰などに
若干の痛み(疲れからくるもの?)があったようにも
感じていたので、医師に対してそれなりにその旨を伝える。

診断結果は・・・




うちむち症。


おい、新種の奇病か!?

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につづく。





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シリーズ21回目。

21世紀に生きる我々だからね。
21回続くということは未来に向けて明るい光が見える。

・・・ということにしておいてください。

『12年前の今ごろ何をしていたか』

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洛陽でのMさんとの喜ばしい再開も束の間、
12年前の今ごろ何をしていたか⑮でも書いたように
週末旅行の旅程は

金曜日の日中に通常通りの講義を受けた上で
金曜日の夜に宿舎を出て北京西駅から夜行列車に乗って鄭州へ、
土曜日・日曜日と鄭州の各地を巡って観光、
日曜日の夜にはまた夜行列車に乗って北京へ、
月曜日の朝6時に宿舎に戻って8時からは講義!

だったため、
Mさんも含めたワタクシたち一行は
北京への帰路に着くべく
夜行列車の待つ駅へと急がねばならなかった。

その日の夕方から夜にかけての事は覚えていない。

どこかで土産物を買ったりもした記憶も形跡もないし
どこで何を食べたのかというようなことも。

夜行列車の車中で弁当的な何かを食べたような
かすかな記憶というかなんとなくの印象も
無いではないが確証はない。情景はまったく浮かばず。

おそらく、バス事故の発声により旅行プランが大幅に変わったため
慌ただしく夜行列車に乗り込まねばならないような
シチュエーションになったのだろう。

ここまできて「だろう」なのかと言われるとぐうの音も出ないが
記憶が薄れてしまう部分があることも仕方がないとも思う。
一つの旅程の中であれだけ様々な出来事があると
普段なら覚えているであろうことも
覚えていられなくなるのであろう。

往路と同じく、夜行列車では三段ベッドの一番上で寝た。
(それは覚えている。)


翌朝。

目覚めたのは朝5時半~6時ごろだっただろうか。
辺りはすっかり明るくなっていて、列車の窓からは
のどかな田園風景が目に映った。

朝6時ごろに北京西駅に到着。
ごった返す出口からやっとの思いで出たと思いきや
一息つく間もなく、トイレ休憩すら無しで
朝8時から始まる大学での講義に向けて
待っていたマイクロバスに乗りこんだ。

ハードな週末旅行とは分かっていたけど
いろいろと起こる中で最後もここまでとなると。

ラストは苦笑いで締まったような感じだが
とにもかくにも、
他ではなかなか得難い経験をすることができた旅行だった。
良し悪しは別にして。

程なくして宿舎に戻ると
ワタクシたち一行が旅行の最中に
バス事故に遭遇したという噂はすでに広まっていた。

ワタクシのルームメイトのエッは
ワタクシがMさんが頭をケガしたことを話すと
すぐにMさんの部屋に飛んで行った。

遠目に様子を見ていると
「M、大丈夫かい?かわいそうだね。ボクが代わってあげたいくらいだよ。」
Mさんに対してキザな言葉をかけていた。(英語で)

その場面とエッの表情が、いかにも「下心丸見え」という感じだったので
妙にウケた。

行動自体は実に紳士的なんだけど・・・と、Mさん自身もあとで笑っていた。


↑稀代のジェントルマン、エッ氏


ワタクシとしては、ジェントルマンであるならば
夜中に大音量でサッカー中継を見るのを自粛するのが先では?
と思ったが、講義まであと20分ほどに迫っていて
その件に関してその時に彼に口出しをしている暇は無かった。

ワタクシは、Mさんとエッが話す横を通り抜け
独り足早に食堂に向かい、いつもの朝と同じように
肉まんと馒头を注文して頬張ったのであった。

につづく。





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シリーズ20回目。

まさか20回まで到達するとは・・・
それでもってまだ終わりが見えないとは・・・
いろいろな意味で元のプランニングの甘さが露呈する格好となっているが
それを気にしているより、まずは書くことに、
そして書き切ることに専念しよう。

『12年前の今ごろ何をしていたか』

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⑲→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/229/

をご覧になっていただきたい。(長い。全部読んだらスゴイ。)



その夜のうちに、バス事故発生の一報を聞きつけて
ワタクシたちが参加していた短期留学そのものを
請け負っていた旅行会社の女社長が
日本から宿泊中のシティホテルまで急遽駆けつけてきた。

この旅行会社の女社長は、実は中国渡航時にも
ワタクシたちを日本から北京語言大学まで案内してくれていて
多からず面識があったが
中国語がベラベラにしゃべれる人なので
わざわざ中国の、しかも鄭州まで駆けつけてくれるということは
ワタクシたちにとってもたいへん心強かった。

詳細はワタクシらには知らされなかったが
札束を持って現れたツアー会社の社長とも対面して
示談的な事とか賠償責任の事とか、いろいろと話をつけたんだと思う。

そして、その夜は他の人と会話も無く
ところどころ点かない照明がある部屋で寝た。

翌朝起きると・・・

全身をすさまじい筋肉痛が襲う。


なぜだ!?
と考えてみたが、原因は例のバス事故しか考えられなかった。

事故が起こったのはほんの一瞬だった。
が、わずかその一瞬の間に全身の筋肉が収縮し
筋肉痛になったものと考えられる。

思えばワタクシは、事故発生の直前に
対向車線からトラックが突っ込んでくるのを
瞬間的に目で捉えていた。

おそらくその時、無意識のうちに全身で身構えたのだろう。
バス事故が起こるということを脳が察知して。

顔の向きを変えることも不可能なほどの一瞬だが
その一瞬の間に防御体制をとることができたからこそ、
バスに乗っていた人の中では最も吹っ飛んだにもかかわらず
無傷でいることができたに違いない。

人間は日常生活時、本来持ち合わせているうちの
30%の力しか発揮できないと言われる。

が、危機を迎えると100%に近い力を発揮することができるのだ。

そしてその代償が、全身の筋肉痛である、と。

まるで『ドラゴンボール』『北斗の拳』のような
怪しい論理展開となっているが
実際に、その「一瞬」の結果としての全身の筋肉痛を経験すると
あながち嘘ではないという結論に至ってくる。

にわかには信じがたいが、
実際そうなっていたからそれが事実なのだろう。
そういうことにしておこう。

さて、迎えた鄭州2日目は朝から再びマイクロバス。
結局1日目に行けなくなった少林寺へ向かう。

前日と同じようにマイクロバスは危険極まりない道路をひた走る。
この時のバス車中の記憶はまったくない。
今度こそ事故に遭うこともなく、少林寺に到着。

 

少林寺では、自らを鍛錬すべく厳しい修行に励む
筋骨隆々の僧たちの様子を見たはずである。
しかし記憶にあるのは、便所が便所と呼べる空間でなく、
段差に板を敷いた母屋であったことだけ。
俗に言うニーハオトイレも真っ青なほどである。
さすがに写真は撮って来なかったが、
むしろあの水準まで便所を整備しない意味を聞きたいくらいだ。

それも修行のための過酷な環境の一環なのか?
単に衛生面まで気が回らない集団なだけなのか?

そのあたりはよく分からないままだった。

程なくして少林寺を後にしたワタクシらは
街のレストランのような所で食事をした後、
中国の四大古都のひとつ洛阳(洛陽)にある
切り立った崖に作られた大きな仏像群を見に行った。



川を隔てた対岸から仏像を遠くに眺めていた
その時!

左手方向から、ワタクシたち一行を目がけて
手を振りながら
走り寄ってくる女性の姿が。


それはなんとMさんだった。


入院治療を終え、鄭州市内の病院から
旅行会社の女社長の計らいで洛陽まで連れてきてくれたのだ。

頭には包帯がグルグル巻きの状態だったが
表情は笑顔であふれていた。

事前にそのことを知らされていなかったワタクシたちは
Mさんの無事を心より喜んだ。

前日からの流れですでに疲労困憊状態となっていたが
この場所でのまさかのMさんの合流には、一気に疲れも吹き飛んだ。

につづく。





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シリーズ19回目。

ほんっっと、間空いてすみません。
それに、もはや12年でも今ごろでもなくなってきていて
タイトル時点で矛盾満載ですが
話を最後まで書き終える気持ちはあります。

『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

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②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
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⑱→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/169/

をご覧になっていただきたい。



事故の起こった日の夜、
精神的にも肉体的にもぐったりと疲れきっていた中
宿泊するシティホテルに到着し、ようやく安堵に浸れる・・・
かと思った矢先のこと。

他の部屋からの情報によれば、
ホテルに今回のバス旅行を主催していた
現地ツアー会社の社長が現れたという。


手に、札束を持って。


(イメージ)


え?札束?
どういうこと??


とじっくりと考えているヒマもなく
参加者はある部屋に全員集合するように
というような指示が出た。

その部屋に、ツアー会社社長は居た。

そして、何を言っていたかはまったく覚えていないが
有無を言わせず迫ってきて
半ば強引に300元を渡された。

要するに、こういうことだ。

事故発生によるツアー内容の不履行と
参加者への精神的苦痛の賠償として
一人あたり300元ずつを配っている、と。

このように書けば聞こえはいいが、
事故が起こったことを大きな問題にされないが為に
口止めなどの意味も含めて
とりあえず参加者に金を渡している
という見方もできる。

というか、その時の雰囲気として
おそらくそのような意図だったことは明白だ。

ワタクシたちの一団は、中国語もまだ途上な段階である。
社長とまともにやり合えるだけの力はない。
足元を見られているような感じもある。

それでも、参加者の中でいちばん中国語がしゃべれた男性が
ツアー会社社長に対して直談判をしてくれた。

「せっかくの週末旅行なのに、事故が起こって
それはないだろう?」と。

正直、上手とは言えない中国語でも
その時にそれが言えるという事に
たいへんな敬服を感じたものである。

すると、社長から渡される金は一人あたり500元に増えた。

このあたりはいかにも中国という感じだが、
この社長としては、とにかく事を荒立ててほしくない
というのが、最優先事項だったのだろう。

事故の原因すべてがこのツアー会社によるものだとも思えないが
高速道路を走っていた時の客観的状況と
ツアーの参加者のほとんどが日本人であるということを
総合的に判断すると、面倒な展開にならないことを
イのイチバンに考えるのは当然の選択と言える。

このあたりは、ワタクシ自身が会社員として
それなりに長く勤めている現在となると
国の内情は別として、心情としては理解できる部分もある。

その後は、部屋に集まった全員で何かを話したと思うが
内容は記憶にない。

覚えているのはとにかく重苦しい雰囲気だったということと
事故に遭ったマイクロバスを運転していた運転手が
「申し訳ない」という伝言を残してくれていたことだけだった。

最も重傷を負ったMさんは入院していたが
この社長から旅行代金の全額(確か1800元ほど)が
渡された、という話も聞いた。

代金は返金されて然るべきなのだろう。
しかしお金うんぬんはともかく、
Mさんが無事でいてくれていることが確認されて
ワタクシたちは安心した。

につづく。





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シリーズ18回目。

知る人ぞ知る。
もう12年前じゃなくなっているということを。

『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

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ガイドの女史から

「さぁみなさん、旅を続けましょう!」 

という明るいトーンで迎えられたことには
さすがに驚いた。

これから生きていく中でも
これほどの辟易を味わえる機会はそうはないだろう、
と思ったほどである。

同じように病院を出てきた旅行参加者の多くは苦笑いを浮かべていた。

まぁ、その女史も空気が読めなくてそういった対応をしたわけではなく
会社ないしは上司などの指示があって
一旦仕切り直しをして沈んだ場を盛り上げようと努めていた
ということなんだろうが、
その日起こった事象の度合いが、明るく振る舞うことで
リカバーできる範囲を大きく超えていた。

その時、少なくともワタクシは、
新たに用意されたバスに乗るのをためらう気持ちも少しはあったが
北京からも遠く離れたその地で頼れる者があるわけもなく
女史に促されるままにそのバスに乗って旅行を続ける以外の選択肢を
検討するだけの気力は持ち合わせていなかった。

そして午後から再び、少林寺方面に向けてのバス旅程が始まった。

事故により外傷を負ったMさんはそのまま病院に入院して
治療が続けられることとなった。
その他にもそういった参加者がいたかもしれないが
まったく覚えていない。

午前中と同じように、バスは無法地帯の山道を進んでいく。

車内では、誰も口を開こうとしない。

全員が終始無言。

皆、ただボーっと、うつろな目で
荒んだ田園風景が流れていくのを眺めているだけの
重苦しい雰囲気。

その重苦しさたるや、表現のしようがない。

いや、しかしそれも無理はなかったと思う。
口に出そうにも、何を話してよいか分からないのである。

あまりにも重苦しい空気をなんとかしようと
ガイドの女史が、突如として
「みんなで(中国語の単語)しりとりをしましょう!」
と提案する。

で、しりとりが始まったわけだが
その週末旅行は、中国語を学び始めて1年程度の学生が
中心メンバーである。

知っている単語の数には限界があるし
そもそも日本語のしりとりと違って、中国語はしりとりは異常に難しい。
末尾の音の発音と声調と同じ言い出しから始まる単語なんぞ
簡単に思いつくわけがない。

ガイドの女史が無理くりヒントを出してくれるんだが
それでも知らない単語が出てくるわけは無いのだから、
ほとんど意味をなさなかった。

ワタクシはその中でも割と単語を知っていた方であったと思うが
面白味を理解することもできぬまま
女史提案によるバスレクは残念な形で終了した。

事故により時間がなくなってしまったため
その日の午後に少林寺を訪問するのは取り止めとなった。

砂丘?のようなところに行ってホバークラフトに乗るか
开封(開封)に行って買い物をするか
どちらかにしようという話が出て
その二択の中では場所的に近かったホバークラフトに決まった。

確かホバークラフトに乗ったんだったと思う。
普通なら割と盛り上がるシチュエーションだったはずだが
それから後のその日の旅程については
記憶も記録もまったくなくなっている。写真も1枚もない。

きっと、午前中に起こったことのインパクトが大きすぎたのだろう。

夜は、シティホテルのようなところでの宿泊だった。
シャワーが出ないとか部屋の照明が点かないとか
いろいろあったような気もするが、細かいことは・・・やはり覚えていない。

が、さらにこの場所でも重要な出来事があった。

今回のバス旅行を主催していた現地のツアー会社の社長が現れたのだ。

につづく。



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シリーズ17回目。

重要な局面に差し掛かりつつあるのにつき、前置きは省略!

『12年前の今ごろ何をしていたか』

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照りつける陽射しの中、無惨にも
観光バスとしての機能を失った鉄の塊をやや遠く視界にとらえながら
ただ待つことしかできない時間が過ぎていく。




他の旅行参加者らと何か会話を交わしたかもしれないが
何も覚えていない。

耳に入ってきたのは“●×▲逃跑了。”という野次馬の中の誰かの声。

それはすなわち「逃げた」という意味。

ワタクシたちのバスにぶつかってきたトラックを運転していた男は
事故の後すぐに逃げてその場所からいなくなってしまったそうだ。


そんなひどい話があるか!


と思った。

そこが中国という異国の地であって
文化の違いがあることは分かっていたが、
それでも、そのようなことが現実に起ころうとは。

だが、その時は、怒りを感じる気にもなれなかった。


・・・しばらくして、数台の救急車がワタクシたちのもとへ到着した。

最も重症だったMさんが最初に治療を受け、救急車へと運ばれていく。

その時点でもMさんに意識はあったし、
救急隊員らの様子からして、どうやら命に別状はないようだ。

安堵した。

ワタクシも外傷はなかったとはいえ、腰に痛みがあった。

おそらく、事故の衝撃で激しく飛ばされた際に
どこかにぶつけていたのだろう。
それも、推測でしかないが。

あまりにも瞬間的な事で、どのように飛ばされ
どこをどうぶつけたのか自分でも全然分からない。

ワタクシは外傷のなかった他の旅行参加者ら数名と共に
救急車に乗り、近辺の都市の病院に向かった。


病院に着いてからも、混乱は続いていた。

後に聞いたところでは、
ワタクシたちが病院に着いた時には
すでにMさんは手術室に入り、
ダメージを受けた額の治療を受けていたという。

病室というか単なる広いスペースのような所に通され
座らされた。

病院の中にもかからわず
地元のテレビ局のスタッフのような輩が忍び込んでいて
ストレッチャーに寝かされた、
他の旅行参加者のうちの一人の女性に対して
何やら取材を仕掛けようとしているようだった。

多数の日本人留学生を乗せたバスが
中国の地方都市で事故に遭うというのは珍しい事なのだろう。

だが、その女性は「顔を撮らないで!」と日本語で激昂している。

ケガに加え、よもやの事故のショックで
誰もが混乱状態にある中、なんのデリカシーもなく
ただ取材欲だけを丸出しにしてくる
中国人カメラマンに寄ってたかってされたら、
頭にくるどころのものではない。
その女性の対応は至極まっとうなものと思えた。

しばらくして、ワタクシら外傷のなかった旅行参加者らも呼ばれ
レントゲン室のようなところに案内された。

数名の患者がいたので長椅子に座って順番待ちになった。

ワタクシの左側には、
黒い服の上に白衣を着た若い(20代)男性医師が座っていた。

目の前に思いっきり“禁烟(=禁煙)”と書かれているところで
その医師から、何の悪びれた様子もなく、
“抽烟吗?(タバコ吸う?)”と、タバコを差し出されたので驚いた。

ワタクシは冷静に“不抽。(吸いません。)”と返したが、
中国ではルールなど有って無いようなものなのだということを
そのようなタイミングで再認識することとなってしまった。

その後レントゲン写真を撮ったが、やはり目立った異常は無し。

再び、病室というか単なる広いスペースのような所に戻り
他の人の治療が終わるまで、しばし時が過ぎるのを待っていた。


どのくらいだろうか、その間のことはまったく記憶に無いが
やがて、外からワタクシたちを呼ぶ声がした。

導かれて病院の入口まで行く。

するとなんと新しいマイクロバス&運転手が用意されていて
ガイドの女史が意気揚々と

「さぁみなさん、旅を続けましょう!」 

と言うから凄い。

さすがにこれには一同唖然・・・

につづく。




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シリーズ16回目。

2月中には書き切りたいと言っていたが
2月になった。

見方によっては、順調。

有言実行。



・・・・・・はい!カット!!



『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

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をご覧になっていただきたい。



金曜日の夜に出発した週末旅行。
列車は辺りが明るくなってもまだ走り続けていた。

その時間帯になると夜行列車の乗客はみな目覚めて
各々が行動し始めていた。

近くにいた自称「日本の歴史に詳しい」中国人のおっさんが
ワタクシたちが日本人であることを悟り
日本の歴史について語ろうと話しかけてきたことを覚えている。

そういった類の話をできるほど中国語が達者なわけではないので
(それができるとしたら相当のレベルだと思うが)
鎌倉時代の次が室町時代でその次が江戸時代で・・・みたいな、
単語をつなげた話をするだけ。

それでも、おっさんは満足していたようである。

その後、朝メシをどうしたか覚えていないが
夜行列車は鄭州の駅に到着。
北京に比べるとだいぶ素朴な風景の駅だった。
地方の繁華街ってイメージかな。



その時になって初めて、この週末旅行の一団は
ワタクシたち神田外語大学からの短期留学生が7名、
その他の日本人留学生が7名、韓国人留学生が1名、
北京語言大学からの付き添い担当の女性1名
(この女性が先生だったのかは不明)
の計16名だということがわかった。

あらかじめ組まれた旅程に従い、
ワタクシたち一行は山奥にある少林寺本山へ向かうことになった。

移動手段はバス。
いわゆるマイクロバスみたいなやつ。

ワタクシは、後ろから2列目の右側のシートに座した。

現地の旅行者のスタッフなんだろうが、
日本語が少々しゃべれますって感じの中国人女性が1人同乗して
それからの2日間、観光ガイドを務めてくれるとのこと。

このガイドの女性は持っている日本語能力をフルに使って
すごーく一生懸命いろいろ案内したり説明してくれたりしていた。
実際には、もうちょっとほっといてくれてもよかったが
本当に一生懸命なので、見ているこちらも同情した。

山奥へ向かうということで道のりは長い。
目的地の少林寺本山までは2~3時間かかるという。

国道のような道をバスは進むが
中国の地方の国道は、もはや無法地帯と思っていい。

車線を示す白線などないし、もちろん中央分離帯もなし。

実際には上りと下り、計5車線程度の設定なんだろうが
双方合わせて6車線分くらいのクルマが走っていた。

また道路自体もお世辞にもきれいに舗装されているとは言えず
感覚としては荒野を進んでいるようなイメージ。
そんな中を時速100キロとかで大きめの車がガンガン走っている。

一番左側(中国は車両は右側通行)で走ってたら
対向車線のクルマとのすれ違いが怖いだろーなーと思ったが、
その地ではきっとそれがごく当たり前の日常。

道路から5メートルも離れれば
レンガ作りの民家や飲食店が立ち並んでいたりするが、
あんな道路沿いで普通に住めるんだろうか?
果たして。
ま、住んでたんだけど。

もろもろ、深く気に留めず文化の差として捉えるべきと思った。


バスが走り出して最初のうちは、
週末旅行の参加者間での自己紹介取り交わしや
バスガイドの女性による1日のスケジュールの確認や
観光ポイントの紹介がなされた。

だがそういった話もやがて終わる。





・・・1時間以上走っただろうか。

山並みとレンガの民家、同じような風景の繰り返し中、
ひたすら長く続く道でバスに揺られていれば
人は自然と眠気に襲われるものである。

ましてや夜行列車でこの地に至ったワタクシたちであれば。

気づけば会話も途切れてなくなり、
他の参加者はみなウトウトとしていたが
ワタクシは寝る気になれず外をぼーっと眺めていた。

そして、ふと前方を見たその時。

左前方のトラックのフロントガラスがこちらを向いているのが見えた。

ん?
こちらを向いている??


その瞬間!!!!!








それは、ほんの一瞬の出来事だった。


これまでに体験したことのない、


とてつもない物理的衝撃!!!!!



その「一瞬」の後、
ワタクシは天井に目を向けて横たわっていた。

そして、ワタクシの真下に

2人の女性がなだれ込むようにして倒れていた。



ついさっきまで座席に座っていたはずでは・・・?

なぜワタクシの下に2人も人がいるのか?!



あまりに突拍子もない事態に、状況が飲み込めない。




ワタクシたちのバスに何かがぶつかったのか・・・


強烈な、いや、破壊的な衝撃により
ワタクシは瞬時に上方に飛んだようだ。

同時に、前の席に座っていた人が後方に飛ばされて

今、ワタクシの下にいるということなのか・・・しかも2人も。

そんなことが起こり得るのか!?




振り向くと、同級生のMさんが額を押さえていた。
おびただしい出血があり、悲鳴をあげてひどく混乱している。

見れば、最後部の座席のシートがなくなっている。
ついさっきまで人が座っていたのに・・・

衝撃によって飛んだ・・・ということに他ならぬ。

そのシートの下側の金具が血で染まっていた。

その時に至って初めて気付いたが
奇跡的にも、ワタクシ自身は
どこにもぶつからなかったようで外傷はなかった。
強い痛みを感じるところもなかった。

ワタクシたちは互いに安否を確認しあいながら、
二次災害を避けるため、とりあえず路肩に降り立った。

ちょうど路肩に近くに木が何本か生えていて、
他の参加者たちがその木の陰にMさんを寝かせ
介抱にあたっていた。

Mさんはその時点では意識はあったので
出血はともかくケガの程度は浅いと思われたが、
女性らは泣きじゃくっていた。
他にもケガをした人がたくさんいたし、
突然起こった事故に中国野次馬も集まってくるしで
誰もが動揺している状況。

その周辺は異様な混沌状態となっていた。

付き添いで来ていた北京語言大学の担当女性は
携帯電話で事故の件を通報していた。

が、山奥へ向かう途中の道での事象である。
救急車が来るにせよ、時間を要することが予想された。

韓国人留学生が、近所の店で買ったのであろう、
ミネラルウォーターを2本持って歩いてくるのが見えた。

また、バスを運転していた運転手のおじさんも
頭部にケガを負ったらしく、
タオルのようなもので頭を押さえていた。

このおじさんがとても申し訳なさそうな顔をして
介抱の現場を見て立っていたのが、妙に印象に残っている。


しばらくはただ呆然とするしかなかった。

少しして、バスの様子を見に行った。

事故が起こったとはいえ、
その脇を通るクルマが速度を落としている様子はない。
ここは中国。

近づくのは危険すぎるので遠目に見ることしかできなかったが
バスの左前方に、反対車線を走っていたトラックが突っ込んだようだ。

当時の走り具合からして、
双方ともに80キロ~100キロのスピードは出ていたと思う。

バスはもはや完全に走行不可能な状態となり果てていた。



↑事故の後に撮った写真が残っていた。
  車体の左側は見るも無惨に破損していた。



につづく。





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プロフィール
HN:
東ヰンドの奇跡の賢者
年齢:
40
性別:
男性
誕生日:
1983/10/11
職業:
バルタン星人
趣味:
地味で地道なこと
自己紹介:
生粋の初田悦子ファン。
とにかくたくさんの人に “歌うストーリーテラー” 初田悦子 の歌を聴いてほしい!と心から願って生きています。
ジャグリングが趣味でしたが、最近はたまにやるくらいになってしまいました。
日本ビール検定2級所持。
マー○ャン(中国積み木)も幼い頃からすごく好きです。
Twitterアカウント:higashi_indo
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