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東ヰンドの奇妙なブログ

2013年8月4日復活!生粋の初田悦子のファン、東ヰンドの奇跡の賢者のブログです。地味に地道に綴っていきます。 2020年6月以来休眠状態になっていましたが2023年5月11日に再開!! 旧東ヰンドの奇妙なブログもぜひどうぞ☆ http://plaza.rakuten.co.jp/higashiindo/

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シリーズ5回目。

『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/

をご覧になっていただきたい。



高校時代に中国語の学習経験がある人が
クラスの半数以上であるという現実を知ったことに対しては
当初、相当の“騙された”感があった。

その日の帰り道とか、多少のぼやきもあったかもしれない。

しかし、それでやる気を失ったワタクシではなかった。

それどころか、よもや現れた経験者集団に
「追いついて、追い越してやる~」という
反骨精神が生まれたような気すらする。

ある種の明確な目標ができたことで、
かえって自分自身の努力値みたいなものも図りやすくなるし。

考えてみれば、ワタクシの通っていた暗闇高校では
授業の一環として中国語を学べる可能性は
皆無だったわけだから、別に悔やむべきことでもない。

その環境があったのに選ばなかったのであれば
即座に舌を噛み切るべきだが。

同じスタートラインの同級生もそれなりにいたし。

同じように、え~!!マジかよ~!!!って思ってたと思うけど。

ということで、衝撃の事実による唖然愕然は過去のものとし、
(とはいえ、その時の事は克明に記憶はされたが)
地味に地道に、一から中国語を学んでいこう
というところに落ち着いた。

気持ちの切り替えをうまくやった。

・・・というよりは
やっぱり中国語を学べる環境にいられることの
喜びがとにかく大きくて
当初段階における周囲との差など
別に気にならなかったというのが
本当のところかもしれない。

それに、週6コマも中国語の講義がある中では
唖然愕然としている暇はない。
(ということが後で判る)


中国語総合の講義の時間で使ったテキストは
『簡明実用漢語課本』!




中国語のテキストにもかかわらず
主人公の2人がパランカクーパーという名の
外国人(イギリス人?)であるという、
奇跡ともいえるシュールさが売りの教材。

彼らと共にワタクシらも少しずつ中国語を学んでいく
という基本コンセプトであり
シナリオもなんとなくそんな風に進んでいく。

確かに、中国語ペラペラであるはずの
中国人がメインキャラになっていて
(特に最初のうち)片言の中国語でしゃべっていたのでは
リアリティの欠片もない。

それは分かる。

だが、なぜパランカとクーパー?
(しかも、2人は文中では彼氏彼女の関係)


↑挿絵も極めてシュール


本場中国に『実用漢語課本』という
もっと分厚いテキストがあり、
それから重要な部分を抜粋して日本語で文法や解釈の説明が
つけられているものということらしい。
(『実用漢語課本』でも主人公がパランカとクーパーなのかどうかは不明)

しかし、この『簡明実用漢語課本』が非常によくできていて
本当の初歩の初歩から、徐々に中国語を学んで
習得していくことができるようになっている。

いわゆる第二外国語で学ぶような、
広く浅くざ~っと流していくようなイメージではないのである。

先日のとってもインスパイア後、
この『簡明実用漢語課本』を時々音読したりしているが、
今読み返してみても「おー、なるほど」と思わせる順序で
単語やら文法やらが少しずつ少しずつ出てくる。

最もコマ数の多かった中国語総合の教材としては
とても的確なものだったように思う。

そうして中国語の各講義が始まったわけだが・・・


につづく。





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シリーズ4回目。

『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/

をご覧になっていただきたい。



ワタクシが中国語を学ぶことを
高校1年生の頃から希望していたことは
で書いたとおりであるが
神田外語大学の中国語学科を第一志望としたプロセスには
ちょっとした運命的なもの(※)があった。

※と言っても、初田悦子ファンになった時ほど運命的巡り合わせではない


現在どうなっているのかは知らないが
13年前当時、中国語学科を持つ大学というのは
関東圏でもそれほど多いわけではなかった。
従って、希望を優先するならば
その時点で選択肢はかなり絞られていた。

ワタクシの通っていた暗闇高校は
その界隈では有数の進学校だったため
進路指導というか大学へ進むためのサポートというか
そういうものに関して学校をあげて結構真剣にやっていたようで
その流れに乗っかる形で、ワタクシも
しかるべき時期には幾つか大学の資料を取り寄せたりしていた。

・・・ものの、こまか~くチェックすることもなく放置していた。
まぁ高校生なんぞはそんなものである!


で、いざ高3の夏休み前、自室で
たまたま資料を開かねばならないシチュエーション
になったところ、資料の束から1枚の紙が落ちた。

これが、神田外語大学での学生向け見学会、
いわゆるオープンキャンパスの参加申し込み用ハガキ
だったのである。

このハガキを見て
神田外語大学ではオープンキャンパスの際に
自分の希望する言語の体験授業を
受けることができるようになっていたことを知った。

もちろん中国語の体験授業も選べるようになっていた。

ラッキー☆

しかも、この日が7月17日。
申し込みの締切日が7月20日。

なんというラッキー☆

よく日にちまで覚えているものだと自分でも感心してしまう。


即刻、申し込みハガキをポストに投函。



※画像はイメージです。
実物は封筒ではありませんでしたし
色も青ではありませんでしたし
このポストも当時は存在しませんでした。


ということで、8月某日には
初めて神田外語大学を訪れるとともに
中国語の体験講座に参加。

大学自体は土地がとても広々としていて好印象だったし
自宅からはそれなりに時間がかかるものの
暗闇高校よりもずっと近かったことから
ワタクシとしては、抵抗感はまったくナシ。

中国語の体験授業では・・・
一口に中国語といっても中国には数々の言語があって
その中で神田外語大学の中国語学科で学ぶのは
普通話(よく一般社会で「北京語」といわれるやつだが
細かい話をすれば普通話と北京語は異なるもの)だということや
発音の概念として声調があることだったり
漢字が簡体字で表記されることなど、
中国語学習における触りの部分の様々な話を聞くことができて
非常に興味を掻き立てられた。

短い時間だったけど、楽しかった。

この時、体験授業の担当講師(当時助教授)から
「中国語は大学で一から学び始める人ばかりです」
という説明もあった。

これは、学習スタート時点では無知識でも
十分に一定のレベルまでは達することができる
カリキュラムや講義内容になっている、ということである。

まさにワタクシの状況や希望と合致するではないか!

もうこの時点で、周りで誰が何と言おうと
神田外語大学の中国語学科に入るのだ!
という意気込みになったように思う。


・・・と、ここまでの前談を経て、話はようやく
神田外語大学入学後、最初の中国語の講義へ。

まずは講師および学生同士の自己紹介をするということになるわけだが
ここでいきなり超衝撃。


何~~~~~~~!!!?????

自己紹介の段階で

名前とか中国語で言ってるヤツがいる~~~!

しかも1人2人じゃなくて何人も~~~~~!!



「東ヰンドと申します」などと
地味に普通に名乗っていたワタクシは唖然愕然。

教室という環境下、平静を装っていながら
(装えていなかったと思うが)
心中、さすがにこれには慌てふためいた。

よくよく聞けば、高校の選択授業で
中国語をとっていた人が結構いたそうである。

中には高校の学科が中国語学科だった人まで。


高校時代に中国語の授業があった??

そんな学校あるなんて、知ら~~ん!!!

「中国語は大学で一から学び始める人ばかりです」
じゃないのかよ~~~!!!!



結局、同じクラスの30人ほどのうち、
半数以上(17~18人)は中国語経験者だということが
分かった。

その現実の受け入れがたさたるや、もう・・・


につづく。

まだまだ北京は遠い・・・(笑)



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シリーズ3回目。

『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/

をご覧になっていただきたい。



神田外語大学への入学後程なくして、
いよいよ念願念願念願だった中国語の講義が始まることとなった。

ワタクシの学年では、中国語学科に入学したのは
全部で60人くらいだったと記憶している。

約30人ずつ2つのクラスに分けられて
まず1年間はそのクラスごとに
(中国語の)各講義が行われていく格好であった。

だから、大学とはいえども、
感覚としては、1年1組、1年2組みたいな感じである。

だいたい男女比は2:8くらい。
中国語学科は英語系の学科に比べれば
まだ男子が多いほうだったがそれでも女子がずっと多い。

これは言語系専攻の学生に見られる明らかな特徴である。

女子のほうが言語というものに興味を持ちやすいのだろうか?
コツコツ派が女子のほうが多いということなのだろうか?


中国語関係の講義は、最初は全部で週6コマあって
文法をはじめとする全般的な事を学ぶ中国語総合が3コマ、
会話練習が中心の中国語会話が2コマ、
文章作成能力の習得が目的の中国語作文が1コマ、
という構成だった。

そのほかにも中国関連のいろいろな(歴史とか社会・文化とか)講義はあったが
それらについては技能習得が目的ということではないから
やはり圧倒的に中国語メインのカリキュラムになっているわけである。

当たり前だが、中国文学科とかそういう学科を選ばず
中国"語"学科を選んだワタクシとしてはたいへん良かった。

で、記念すべき最初の中国語の授業は中国語総合。
(・・・だったと思う)

これから中国語を学べる!という
はちきれんばかりの期待感を心に秘めていたが
開始わずか数分で、予想だにしなかったある現実を知り
ワタクシは唖然愕然とすることになるのである・・・

につづく。



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さあいよいよ今回から綴っていく。

『12年前の今ごろ何をしていたか』

前回の記事(①)で宣言したように
このテーマで5、6回に渡って書いていこうと思っている。
すなわち(一応の)目標として
2月中で書きたいことを書き切りたい。

普段は結構推敲しながらブログの中身を書いていくことが多いが
時間に限りのある中でバシバシ書いていくために
今回のシリーズは文章はあんまり編集しない。
あまりにも・・・であれば後で少し手を加えるかもしれない。


さて、12年前のちょうど今ごろ、ワタクシは北京にいたわけであるが
なぜ北京にいたかを語るには、さらに月日を遡って語る必要がある。


13年前すなわち2002年の4月、ワタクシは晴れて大学生となった。

神田外語大学外国語学部中国語学科!



思えば、夢まで見た瞬間だった。

まさか学びの園で中国語ばかりを学ぶ日が訪れようとは。
あるいは、この時がこれまでの人生でも
最もやる気に溢れていた時期のひとつかもしれない。

高校時代。
今となっては思い出したくもないがまったく忘れもしない、
茨城県土浦市に校舎を構える某暗闇高校で
数多のゾンビに囲まれながら、暗黒時代を過ごした。

大学に行こうとは初めから思っていたが
高校1年の終わり頃にはもう
大学で学びたいことも完全に2択に絞っていた。

中国語か日本史にしようと。

しかし高校2年の日本史の授業の段階で、
かつて興味を掻き立てられたその教科は
ただひたすら寺と仏像の名前を覚えるだけのものに
成り下がってしまっていたことに気づく。
あくまでもワタクシがそのように感じただけなのかもしれないが
ともあれ、その時点でワタクシの進むべき道(学科志望)は
中国語に決まった。

なぜ中国語を学びたかったかということを語ると
深すぎて伝わらないと思うので
ざ~~~~っくり端折って理由を述べると・・・

幼いころから麻雀が好きだったから。

「あんなに面白いゲームを生み出した中国ってすごいな~」
「中国について知るならまずは中国の言語から」

以上。

理由はどうあれ、
興味を持ったことに対してやる気になると
たとえ周りが何を言おうとどうであろうと、
それに向かって気持ちを保って長く継続して立ち向かえるのが
ワタクシの最大の強みである。
(弱みでもあるのか?)

大学では中国語をやると決めてからは
他の学問には一切心が揺らぐこともなく、わき目もふらず
第一志望であった神田外語大学の外国語学部中国語学科に合格。

言語の場合、中途半端にやって
変なクセつけるとかえってよくないとかいうじゃない?


どうせやるなら、良い環境で一から学んでちゃんと習得する!

というコンセプトのもと、高校卒業までは中国語を学ばないまま。

それだけに、中国語を学びたいという気持ちが
とてつもなく漲った状態で
そして学べる喜びが満ち溢れた状態で、入学の日を迎えたのであった。

につづく。




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今のワタクシが観るべきものを観て、
とにかく感動感激して、と~ってもインスパイアされて大きな活力をもらって
すごくすごく嬉しくて、完全に自分らしさを取り戻させてくれた
2月4日の体験を通して、ふと考えたことがある。


12年前の今ごろワタクシは一体何をしていただろうか?


この「12年前」というのが
個人的にはひとつ大きなポイントなんだが・・・



まぁとにかく!

ふと考えたわけである。









で、思い出してみると・・・

12年前のちょうど今ごろ、ワタクシは北京にいた!





あ~懐かしい!!

こんなことを思い出す日が来るなんて。


これは今しか書けないことだし、今だからこそ書けることでもある。

せっかくの機会なので、次回から5、6回に渡って
12年前の今ごろ、ワタクシが何を考え何をしていたかを
当時の記憶を呼び覚ましながら、綴っていってみようと思う。


ということで!
東ヰンドの奇妙なブログでは久々となる(感動の)大長編になりそうな予感。

基本的にはワタクシが書き残したいと思う地味なことを
地味につらつらと書き連ねていくことになりますが
後半に差し掛かるに連れて、結構面白いことや驚くべき出来事も出てきます。
(・・・はずです。)


乞うご期待!
 


→ ②へ進む。






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プロフィール
HN:
東ヰンドの奇跡の賢者
年齢:
40
性別:
男性
誕生日:
1983/10/11
職業:
バルタン星人
趣味:
地味で地道なこと
自己紹介:
生粋の初田悦子ファン。
とにかくたくさんの人に “歌うストーリーテラー” 初田悦子 の歌を聴いてほしい!と心から願って生きています。
ジャグリングが趣味でしたが、最近はたまにやるくらいになってしまいました。
日本ビール検定2級所持。
マー○ャン(中国積み木)も幼い頃からすごく好きです。
Twitterアカウント:higashi_indo
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