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東ヰンドの奇妙なブログ

2013年8月4日復活!生粋の初田悦子のファン、東ヰンドの奇跡の賢者のブログです。地味に地道に綴っていきます。 2020年6月以来休眠状態になっていましたが2023年5月11日に再開!! 旧東ヰンドの奇妙なブログもぜひどうぞ☆ http://plaza.rakuten.co.jp/higashiindo/

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シリーズ15回目。

2月中には書き切りたいと言っていたはずだが
師走をすぎて2016年に突入した・・・

この長編小説の執筆もいつぶりだろうか・・・
もはや笑いも出ないぞ。


職場の環境が大きく変わったとか
新たなプロジェクトがいきなり降ってきたなど
挙げればいろんな理由がありすぎてキリがないが
大雑把に言えば、月日が流れるのが早いのである。

断じて、ワタクシの執筆が遅いのではなく!

書き切る意志が弱いのではなく!!


と、いうことで・・・・・

『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
⑧→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/131/
⑨→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/143/
⑩→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/144/
⑪→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/145/
⑫→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/146/
⑬→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/147/
⑭→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/148/

をご覧になっていただきたい。



北京での生活が3週間ほど過ぎたころ、週末旅行に行くことになった。

留学先の北京語言大学の掲示板(みたいなところ)には
留学生に向けた様々な情報が掲示されるのであるが
ある時そこに、学生を対象にした旅行の参加者を募る貼り紙が貼られていた。

旅行の貼り紙、といっても内容は割と雑で
A4サイズの紙に、文字だけで「週末旅行!参加者求む!」
日程!
旅費!
行先!
観光の見どころ!

みたいなものが箇条書きで
ざくっと羅列されているだけだったような気がするが・・・

実際のところはよく覚えていない。

掲示板(みたいなところ)には、
いくつかそんな貼り紙があったが
その中から日程的にちょうど良さそうな旅行を
神田外語大学から一緒に留学していたワタクシたちグループの
女子が見つけてきて、その誘いに乗った形。

行先は・・・鄭州。




ワタクシはその時まで知らなかったが、
河南省の省都であり
「少林寺」の本山があることで
日本人にも有名な土地。

ワタクシたち神田外語大学日本人留学生一行全員で
この旅行に参加することとなった。

旅程はといえば
金曜日の日中に通常通りの講義を受けた上で
金曜日の夜に宿舎を出て北京西駅から夜行列車に乗って鄭州へ、
土曜日・日曜日と鄭州の各地を巡って観光、
日曜日の夜にはまた夜行列車に乗って北京へ、
月曜日の朝6時に宿舎に戻って8時からは講義!
という、
鮨詰めバス状態の詰め込み感!

ワタクシはともかくとして
女性陣にはなかなかハードな旅程なのではないかとも思われたが
新たな土地に出向く時のワクワク感というか
高揚感のようなものは
そういったネガティヴな感情を打ち消すものらしい。
女性陣は皆、意気揚々と旅行の日を待ちわびていた。



・・・だがこの時、ワタクシたちは予想だにしていなかった。

あのような恐怖の出来事が自分たちの身に降りかかろうとは。


短期留学の日々は驚くほどあっという間に過ぎ去り、
鄭州旅行の日を迎えた。

どういう風に駅まで行ったのか明確な記憶に無いのだが
その旅行に申し込んだ人が
北京語言大学の集合場所に一旦集まって、
全員でマイクロバスに乗って向かったのではなかったかと思う。

夜の北京西駅は数多のネオンに彩られ、古めかしい印象は全くなかった。

あのような光景は、当時の日本の何処でも見ることはできなかっただろう。

目に入ってくるものはすべて青、緑、そしてピンクの蛍光色。

北京西駅に着くと、ワタクシたちを待ち構えていたのは
夜行列車。

ワタクシにとって人生初の夜行列車である。

中国語でいうところの「硬臥(yingwo)」というタイプの車両で
三段ベッドになっていた。

ワタクシは、ほぼ興味本位で一番上のベッドを選んだが
横になると天井までの距離が30センチあるかないかのギリギリ感で
寝るためだけの車両というニュアンスが痛いほど伝わった。

夜行列車は、遮るものなく果てしなく続く線路を進む。

夜、寝る気にならなかったこともあってワタクシは
真っ暗な中、ベッドを下りて座席に座り
過ぎていく荒野の風景を眺めていた。

が、おそらく夜の盗難などを防ぐためなんだろう、
ワタクシが寝床に着くまで、ちょっと離れた場所に座った
女性車掌がずっとワタクシを見ていて
早く寝ねば悪い気にさせられる、
その妙な緊迫感は脳裏に焼き付いている。

翌朝、鄭州に到着。そして・・・


につづく。





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シリーズ14回目。

今さら気づいたけど、どう考えても「今ごろ」じゃなくなってる・・・

『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

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②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
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⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
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⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/
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北京での生活も2週間ほどが過ぎた。

日本と違って花粉症の症状が出ないし
メシはものすごく安くて美味いし
少しずつだけど交流の輪も広がってたし
中国特有ともいえる高値吹っかけと値切りテクなんかも
徐々に身についてきていたし
いろいろなことがすこぶる順調だったが
ひとつだけ気にかけざるを得ないことがあった。

ルームメイトのタイ人エッについてである。

共に生活をするようになってわかったこと。
それは、エッはいわゆる“ボンボン”だということだった。

いくら中国のモノが安いとはいえ、
どんどんどんどん新しいモノを買って帰ってくる。

食料品や衣類などの生活必需品ならともかく
そうでないものも、次々と。

DVDに至っては、少なくとも200枚以上は買っていた。
とりあえず手あたり次第、手に取ったDVDを買っていたに違いない。
(当時の北京には、海賊版と思われるDVDの店がやたらと多く存在した)

彼も、ワタクシと同じく短い期間の滞在であって
その期間の中でそんな数のDVDを見られるわけなかろうに。
何か意味があるのだろうか。
たくさん所有していることの優越感とかか?

また、もともと備え付けのものがあるのに、
電気スタンドとか冷蔵庫とか、そういうものまで買ってくる。

寮生活だよ?
ダメとは言われないだろうけど、普通そういうことをするものだろうか?

碌に勉強はしてなかったような気もするが、それでも
自分のお気に入りの電気スタンドが欲しかったんだろうか?

傍から見ていて謎に思うことも山ほどで。


生活スタイルに対しても、少しイラッとくることもあった。

どこかを遊び回って夜中に帰ってくることが多かったエッ。

人それぞれ「留学」の考え方もいろいろあるし
別に夜中に帰ってくるのは構わないが、
それ以降が実に自由奔放なのがちょっと・・・
いや、ちょっとじゃないな、かなり・・・

ひとつエピソードを挙げよう。

その日エッは深夜2時くらいに帰ってきた。
ワタクシは平日は7時ごろには起きる生活をしていたので
その時間には当然すでに就寝していたが
エッは戻ってくるなり、テレビをつけて
大音量でサッカーの試合を見始めるではないか!

夜中に起こされた格好のワタクシだが
うるさくて再眠できないし、
他の部屋にも迷惑がかかりそうなほどの音量だったので
さすがに頭にきて「寝てんだから静かにしろ。消せよ。」と言うと
テレビを消音にして

「OK。サッカーは音が無くても分かるからね!」

とおっしゃる。



じゃあ最初から音を出して見るんじゃねぇ!!

   


万事が万事、そんな調子であった。


時々、部屋で2人きりになることもあり、
お互いの考え方とか将来のこととか語り合うこともあった。

年齢の差も若干あり(エッの方が5歳くらい上)、
全般としてあまり噛み合わなかったような気もするが
話を聞いていて分かったことは、
エッにとって中国北京への留学は
後に控えているアメリカ留学までの「つなぎ」にすぎない
ということだった。

アメリカの学校は基本的には9月から始まるからね。

それまでのヒマな期間、タイにいてブラブラしていても
しょうがないから、ちょうどいい時期だし中国でも行って過ごすか~
みたいな感じだったみたい。
というかそれを親から打診されたらしい。

だから中国語がまったくできなくても中国に来たし、
中国語をできるようにしようという意志もあまりなかった。

また、彼には姉と兄がいるらしく、
姉はオーストラリアに、兄はアメリカにそれぞれ留学中だ
と言っていたから、タイでは相当の金持ちなんだろう。

外に出てはどんどんモノを買ってきてしまうということも、
変な話だけど、納得がいったよ。

それがスタンダードなだけだったんだ。彼にとっては。


エッ、別に悪いヤツじゃなかったんだけどね・・・


↑渦中のエッ氏。



につづく。




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シリーズ13回目。

ゴルゴ的なヤツです。

『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

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さて、少し学業方面の話もしよう。

忘れかけてたけど、
この一連のストーリーは短期留学の振り返りだからな。

留学中の北京語言大学での講義は、
土日を除いて毎日朝8時~12時に行われた。
で、午後はフリーな時間となる。

寮から教室までは徒歩5分程度で着いたから、
7時45分くらいまでに部屋を出ればちょうど間に合う感じ。

キャンパス内に寮があることの恩恵に与った格好。

ところで、中国では学生は基本的に自炊はしない。
朝から外に出て市場やら食堂やらで食事をする。

ワタクシ達もそれに倣い、朝は食堂に寄って
肉包子(肉まん)や馒头(“マントウ”と呼ばれる餡のない蒸しパン)を食し、
その足で教室に向かうのを日課にしていた。


↑馒头(マントウ)


食堂では、肉まんと韮(ニラ)まんが山積みになったカゴが
並べて置かれていて、店のオヤジに
「肉包子!」と注文して皿に置いてもらったにもかかわらず
勢いよくかぶりついてみたら
中身がニラだったということが時々あって笑えた。

朝から口内がニラ100%の状態は
なんだかんだで結構キツイものがある。


講義はクラス分けされており、
日本人ばかり15名くらいが集まったクラスで受講していた
ような気がする。

一応、それなりに中国語学習経験がある人が
集まっていたクラスだったような・・・

細かいところは失念。

その中でもワタクシ達神田外語大学1年生一同は
中国語能力は、クラスの中では割と上位の方だった。
同じように、およそ1年間の学習を経た
大阪なんとか大学から来ていた女子4人組がいて
クラスの中でもライバル視しあっていた。

授業内容としては、テキストを粛々と進めていく。


↑北京短期留学中に使った中国語のテキスト。今でも大事に保管してある。


講義の時間はとにかく中国語漬けだが、
オール中国語で中国語の文法や単語の説明を受ける
ということは、非常に有意義なことであった。

特有の言い回しとか、質問に対する答え方とか
そういうものに自然と習熟していくことができるという点で
すべて日本語で説明を受ける場合と比べても
学習効率は圧倒的にアップするように思う。

実に貴重な時間だった。

午後はフリーな時間・・・と言っても
遊んでばかりでは授業内容に追いていけなくなるから
日々の復習・予習がは欠かせないものだったが
たいていの日は、夕方くらいまでは外に出て
北京市内を散策したりタイ人らと交流したりして
近所のレストランで夕飯を食べた後、寮に戻って自習をする
というのがワタクシの日課だった。

ルームメイトのタイ人エッは、
どこへ行ってるのか知らないがよく遊びに出かけていて
深夜まで部屋に帰ってこなかったりしたが。


につづく。





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シリーズ12回目。

これで一回り。1ダースともいう。

『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

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北京市内の移動には基本的にはバスを用いた。

路線によってはどこまで乗っても1元とかいう感じで
料金体系はもはや意味不明。

バスからはみ出てるくらい利用する人が多いので、
そういう料金体系でもないと収拾がつかなくなるんだろう。
適当なしくみだこと!

地下鉄もあったにはあったが、
ちょっと高いうえに(初乗りで4元だったか)混んでるし
近距離の移動には不向きなので、2回くらいしか乗らなかった。

バスの方が乗っていて面白かったのも理由としてある。

 
↑北京市内を走るバス。いわゆるトロリーバスが多い。


が、バスといっても日本とはだいぶ勝手が異なる。

自動料金箱付きのワンマンバスではなく
バスには券売りのスタッフ(ほとんどが女性)が乗っていて
乗車したら行き先を告げて券を買う、
という風にして乗る。

「次は○○です。お降りの方は準備してください」
みたいなことも券売りがアナウンスするわけだが
北京特有の訛り(アル化)が強いのと
明らかに適当に言ってるのとが合わさって
滞在後半になっても、ほとんど何を言っているのか聞き取れなかった。

行き慣れている場所ならいいが、
そうでもない所の場合は乗り過ごしてしまうので
細心の注意を払っていたが、ミスったこともあった。
(停車位置とか停車時間とかも適当なんだもん・・・)

余談だが、どのバスに乗っても
券売りは乗車中常にヒマワリの種を食べていて
券売りの傍の床はその食べかすだらけ。

ワタクシはそういうのには全然抵抗がないタイプなので
そういうものと思って別に気にも留めなかったが
12年経ってよくよく考えてみれば、とんでもない状態だったな。
文化の違いとは、こういうところに現れてくるのである。


北京の街並みは実に特徴的で、完全に陰と陽。

市の中心部の駅ともなれば四方八方ネオンサインで彩られ
まるで異空間をさまよっているかのような感覚に捉われるほどだが
繁華街からほんの少しだけ郊外に出て一本路地に入れば
低い煙突からもくもくと煙の立ちのぼる石造りの家が立ち並ぶ。


↑本当にこんな感じ。こういった路地は胡同(フートン)と呼ばれ、
北京市内のあちこちに点在している。



道路は車で埋め尽くされ、排気ガスとクラクションの音が
あふれる一方、歩道に目をやれば荷物を引く馬車がいたり。


↑こんな様子が街中でも日常的。
日本では馬車とバスが並走など考えられないが。



急激な社会発展の結果が色濃く現れた首都、北京・・・

文字面だけ見ればハチャメチャに思うかもしれない。
が、ワタクシの目にはむしろとても魅力的に映った。
視界に飛び込んでくるあらゆる光景に、まだ見ぬ世界に
19歳の学生の心は強く惹かれていった。


につづく。






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シリーズ11回目。

これでサッカーチームも作れるね。

『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

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さて、タイ人の話は前回までで一段落ということにしておいて!
(この後も時折登場するが・・・)

日々の生活においては
当然のことながら、キャンパスの外に出て散策したりもする。

最初にとりあえずワタクシ一人で行ってみた店は
大学の近所の食料品中心のスーパーマーケットだった。

店に入ってまず最初の驚きは、

店員、多!

店の至る所に(それも、3メートル間隔くらい)
ダウンを来た女性店員が1人ずつ立っている。

誰がどう考えてもそんなに店員の数が必要とは思えないが・・・

中国は共産主義の国であるから、
基本的な考え方としては男性も女性も完全に平等。
よって、女性の社会進出もたいへん進んでいる。
(それ自体はとても良いことだと思う)

が、すべての人民に十分な雇用を確保するためには
たとえ規模が決して大きくないスーパーマーケットと言えども
雇えるだけの人を雇わないといけないということなんだろう、
と推測したが、本当のところはよく分からん。

というか、
その女性店員ら、ワタクシが軽く商品を眺めているだけでも
「何をお探しですか?」と間髪入れずに聞いてくるから
正直、心底ジャマでしょうがない。
こっちは中国に来て初めて店に来てんだっつーの!

当時のワタクシでも、あれだけ店に過剰に人がいて
利益が出るとは思えなかったが
そのあたりはどうにかなる社会構造になっているに違いない。
疑問に思うことは他にもいろいろあったが
中国とはそういう国である。


得体の知れない菓子やら
アルミ袋入りのコーヒー牛乳やらを手に取って
レジに行った時の、今でも新鮮に覚えている感想、それは・・・


「相手の話している言葉が・・・わかる!」


単純だけど、大きな衝撃と感激。

大学に入ってからの1年間で学んできたことは
着実に身になっていたのである。

中学~高校と6年間も必修だった英語は、
ま~~~~~~~~~~~ったく
扱えるようにならなかったのに。

そんな風に感じたのと同時に、
やっぱり中国に来なければ理解できなかった
であろうことも多くあった。

例えば、お金の表現。

中国のお金の単位は「元」であることは
日本でも多くの人に知られていることだが、
紙幣には「元」と書かれていても、
話し言葉では元(Yuan)とは言わず块(Kuai)と言う。


↑毛沢東絵柄の百元札。
一元~百元はすべて毛沢東絵柄なんだけど
ワタクシの留学していた当時は、旧札(民族絵柄)のお札も
まだまだたくさん流通していて普通に使えた。


また、元の下に角(Jiao)という単位がある。


↑一角札。
この他に二角札と五角札もあり、さらには一角硬貨と五角硬貨もあって
すべて混ぜこぜに使われていた。


元と角は日本における円と銭みたいな関係だが
銭が実際の貨幣としては存在しない日本とは違い、中国での角は
実際の売買のやり取りでも使われる。

角も話し言葉では使わず、毛(Mao)と言う。

さらに、角の下に分(Fen)という単位があるものの
さすがにこれはほとんどの場合、
実際の貨幣の取り交わしは行われない。

切り上げられるか切り下げられるかして
角までのやり取りで収まるようになっているが
一応、分の貨幣は存在して
ワタクシの北京滞在中にも何回か手にすることがあった。


↑参考までに一分札。おもちゃみたいな紙幣。
10枚くらい束ねて折り込まれた状態で一角扱いでお釣りとして渡されたりする。


こういうことは、実際に現地でやり取りをしないと
なかなか分からないことである。
意外と、細かく紹介しているテキストとか参考書とかないしさ。


あと分かったのは、中国語発音におけるクセだね。シンプルに。

三声(半三声)は想像以上に短く発音される、とか
uの音が聞き取りづらいなぁとか。
(だから、五【wu】の音が聞き取れなくて最初のうちはすごく困ったっけ・・・)

このあたりは、ほとんどが慣れの問題なわけで
この段階で生の中国語に触れて感覚的につかむことができて
その後の中国語学習のためにも、本当によかったなぁと思ったけどね。


につづく。





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シリーズ10回目。大台に達した。

サクサク進めたいものである。ワタクシ自身のやる気の問題だが。

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エッ(Ed)はタイからの留学生。
だが、その時点で中国語は未経験という。

いくら「本気で言語を学ぶならその言語を母語とする場所で」という
言語学習の鉄則があるといっても、
まったく未学習の状態で来ても習得は難しいのでは??
という風に思ったものである。

とにかく留学期間中の講義はすべて中国語。
先生はまず中国語しかしゃべれない。
ワタクシの入っていたクラスの先生は
たまたま日本語を結構話せたが、それでも講義はすべて中国語だった。

英語という手段は基本的にない。
どうやって単語の意味とか文法とか、説明を受けて
理解していくのか?

ピンインはアルファベットだから、
発音を習うのはなんとかなるのかな?
それで総合的な中国語を身につけることができるのか
実際できたのか、今でもよく分からないけど。


ワタクシとエッはその日からルームメイトとして
一緒の部屋で生活することとなったわけだが、
前述のように、エッは中国語はまったく話せなかったので
彼とのコミュニケーションは英語で行った。

しかしワタクシ、英語ができないできない。
自分の英語に自分で笑えた。笑えるほどひどいもんだった。

もともと、英語へのコンプレックスというか
そういうものを抱えて中国語を選択していたという
背景もあるワタクシにとっては、仕方のないことであるが
エッに対して言いたいこと言えないのはともかくとして
「一体なぜ中国に留学に来て英語で会話してるんだろうか?」と
相当な疑問として感じられる時もあった。

それでも日々生活するうえで
英語で何とかするしかないという環境は
少々ストレスだったかもしれない。
もう少し喋れたら違ったんだろうけど。


ワタクシの住んでいた寮は数階建てで、
タイ人はエッ以外にも数名のメンバーがばらけて住んでいて
ひとつのグループを形成していた。
全部で7名。男性3人、女性4人。

エッとワタクシが同部屋だったということから
北京滞在の1か月間、食事やら買い物やら観光やら
彼ら(特に男性ら)と行動を共にすることもしばしばだった。

彼らは、ワタクシたちが初めて会った時から
かなり仲睦まじい様子なので
学校の同級生かもしくは何かの縁で知り合いなのかと思ったら
全然そうでもなくて、タイを出発する前に
タイの空港で初めて出会った間柄だという。

それであんなにグループグループするかねぇ。
いやぁ~不思議。
そういうお国柄なのだろうか?

エッ以外のタイ人たちの中には、ルーツが中国系だったりして
中国語をそれなりにできる人も混じっていて
(7人中5人は中国語でのコミュニケーションが可)
ワタクシたちとの交流・会話はもっぱら中国語で行われた。

彼らはライティングは苦手にしていたが
リスニング力が高く、ワタクシと同じくらいの学習期間でも
会話が非常に流暢だったのが印象に残っている。

が、エッはほとんどそれに加わることはなく
タイ人とはタイ語で、ワタクシたちとは英語で、を
終始貫いている感じだった。

ま、エッはともかくとして
タイ人らとはいろいろと困ったことが起こった時は助け合ったり
中国語の学習に向けて激励しあったり・・・という関係となり
タイ人と日本人が中国で、という妙さを含めて
こういう形の交流もアリだな、と留学の面白さを実感する
大きなファクターとなった。



↑タイ人男性陣との記念写真。写真左がエッ。


につづく。




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シリーズ9回目。

2月中には書き切りたいと言っていたはずだが
それからすでに半年近くが経った・・・

職場の環境が大きく変わったなど
挙げればいろんな理由がありすぎてキリがないが
大雑把に言えば、月日が流れるのが早いのである。

断じて、ワタクシの執筆が遅いのではなく!

意志が弱いのではなく!!


と、いうことで・・・

『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

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②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
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前ぶれもなく出現したスーツケースを目の前にして
静寂の中、滴り落ちる汗。
慌てて部屋をざっと見回したが、人影はなかった。

ワタクシはとりあえずデスク前の椅子に座し、心を落ち着かせようとした。


と、その時!!!!!!!


身の丈六尺はあろうかと思われる浅黒い肌をした男が
ドア方面から、ワタクシに歩み寄る!


しまった!


先手を取られた!!


死んだ!!!!!!



と、覚悟した瞬間、その男が発した一言に
ワタクシは凍りつく!!!!

「マイネームイズエッ!」

「エッ!?」

「イエス、エッ。」

「エッ!?」

「エッ。」


そして、男は手を差し出してくる。
どうやら握手を求めているようだ。


謎すぎる。


いぶかしい気持ちを持ちつつ、やむを得ずワタクシは応じた。

続けて男は
「Have you studied basic Chinese?」と聞いてきた。

ワタクシは「イエース」などと
適当に(別に間違ってはいないが)返事をするほかなかった。

文字面だけ見れば笑えるかもしれないが
まだ滞在わずか二日目の異国の地での
この謎ともいえるの展開は精神的にキツイものがある。

その時、男とどのような話をしたかはまったく覚えていないが
ま、つまりのところ、この男はワタクシのルームメイトとなるヤツで
Ed というタイ人であった。

ルームメイトは日本人なのかと思っていたが、
考えてみればその想像がまったく根拠なしである。

北京語言大学というくらいなのだから
グローバルに留学生を受け入れているに決まっているし
日本人になる可能性の方が少ないくらいだ。
今思えば、ワタクシ自身の想像力のなさというか認識の弱さが情けない。


ところで、
タイ語では、子音のtやdが文末にくるととても弱く発音される。

Ed はエッドゥみたいな感じではなく
完全にエッとしか聞こえないのである。日本人には。(※)

※タイ人には、そのtやdの音は非常にはっきりと聞こえるらしく
 日本語の促音のようにッのところで止めて
 舌先を歯茎につけないで発音すると「いや、違う」と強く反論されてしまう。


このように突如として、
日本を発つ時にはまったく予想だにしていなかった
中国北京におけるタイ人との共同生活が始まることとなった・・・

につづく。







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シリーズ8回目。

当初の書き切り目標は2月中だったはずだが
それに収まるどころか先が見えなくなってきているが
別に歩みが止まっているわけではないので
あまり気にしないようにしたい。

『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

①→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/124/
②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
⑥→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/129/
⑦→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/130/

をご覧になっていただきたい。



生まれて初めてとなる海外での長期滞在。

2月ということでまだまだ冬真っ只中だということもある。
入念に旅支度を整え、いざ中国へ。

1ヶ月間の短期留学先は北京語言大学なる学校。
北京市の中心部からやや北部にあり、
積極的に他国からの語学留学生を受け入れていた。

神田外語大学からは、この短期留学プログラムに
ワタクシを含め1~2年生計7人が参加。

その中で男性はワタクシだけで、あとはみな女性。

中央大学だったか・・・はっきりとは覚えていないものの
他の大学から参加していた女性1人も成田空港から同行し
ワタクシたち一行は8人で行動することが多かった。

成田空港からの飛行機で北京に降り立つ。

その時のことはあまり詳しくは覚えていない。
何時ごろ、どうやって北京語言大学まで行ったかとか。

確か、プログラム主催機関の手配した
マイクロバス(中国語では“面包車”)みたいな車に乗って
移動したんじゃないかと思うけど。
荷物も相当量あったはずだしね。

初めて見る中国の風景だったはずなんだが・・・
これもやはりあまり覚えていない。

う~む。
憧れの土地だったのではないのか、北京!


事前説明により、北京滞在中は
北京語言大学のキャンパス構内にある学生寮に
滞在するということを聞かされていた。

日本だとあまりイメージが湧かないが
中国はとにかく国土が広大で
何千キロも離れた地方から進学してくる学生も多くいる。

そんな所以もあって、基本的には
どの大学もキャンパス内に何十もの学生寮があって
多くの学生がその寮に住みながら
学業にあたるのが一般的なのである。

ワタクシたち短期留学生一行も
それと同じような感じで
1か月間学生寮で生活することとなっていた。

そして予定どおり
北京語言大学到着後は手続きをして入寮。

寮は二人部屋で
男性同士、女性同士で部屋が割り振られていた。

部屋は8畳よりちょっと大きいくらいで
備え付けのベッドが2つ、勉強用のデスクも2つ。
ユニットバス形式のシャワー・トイレあり。
(天井から紐がぶら下がっていて引っ張ると水が流れるトイレね)
電話とテレビと小型の冷蔵庫も備え付けられていて
生活のために求める水準が低いワタクシは
なかなか快適な環境であるという印象を受けた。

前述のとおり、
ワタクシたち一行の中で男性はワタクシ1名のみだったので
寮の部屋はどのようになるなのかは
当日のお楽しみ状態だったが
入寮したその日、その部屋には誰もいなかった。
やった!オレ1人だぜ!!と妙に心躍ったものである。

北京というと、中国でも割と北方にあり
冬は寒さが厳しいイメージがあったが
寮の中は全館がスチーム暖房で温められていて
部屋にいる限りは寒さを感じることはない。

むしろ上着など着ていると暑くて仕方がないので
部屋にいる時はTシャツ1枚パンツ1丁で過ごすのがもっぱら
ということが、その日のうちに分かった。

夜は、プログラム主催機関の方に連れられ
一同近辺の大学のすぐそばにあるレストランで食事。

メニュー表を見て、最初の印象は、安!

炒飯がなぜ4元なのか?※

※4元=60円(当時のレート)


さらに料理が出てきての印象は、多!


なぜ料理一皿が

あんなに山のように盛られているのか?



最初は懐疑的にすら思ったが
中国では料理はお皿に余らせるのが当たり前
の文化なのだから、当然といえば当然である。

とはいえ、そんな時でも
きっちり食べきってしまうワタクシ日本人集団は
永遠に日本人としてあるのだと思う。

郷に入っては郷に従え、といっても
一朝一夕にはそうはいかないのだなぁ。


学校の周りには、夜になっても
屋台やら怪しい露店やらが立ち並んでいた。

売っているものを見ても、野菜やらお面やら謎の液体やら・・・

これが本当に4000年の歴史を持つ大国の首都か?と
思わせる特殊な雰囲気だったが、
だからといって別に嫌な感情は湧かず
むしろまだ見ぬ新たな文化に触れたことと
それから1ヶ月間をその土地で過ごす期待感も相まって
気持ちの面で感化されたのは覚えている。

女性陣は、海外(日本)に電話をかけるための
プリペイドカードをそのへんの露店で買ったりしていた。

50元分使えるカードが40元くらいで売られていて
老婆相手に値切ると20元くらいで買える。

もっと粘ればもっと値切れるのだろうが、
当時19歳程度の初中国の若造には、
それ以上の金額を値切れというのはなかなか難しいもの。
1ヶ月後だったら、簡単にもっと値切れたと思うけど。

というか、それで老婆は儲けが出るのだろうか?
と思うわけだが、世の中にはいろんなカラクリがあるんだろうし
それも中国の露店となれば、なおさらなんだろう。

そのへんを深く考えても、ね。笑

寮に戻り、他の人と話をしたりしつつ適宜就寝。

スチーム暖房による鼻の奥の
スーパーハイパー乾燥が気にはなったが
日本では時期的に地獄の佳境にあるはずの
花粉症の症状がまったくなく
その点は最高だった。

満腹感・期待感に満ちた中で
2人部屋を1人で使っての睡眠は深く心地よかった。


一晩明けて。
午前中、ワタクシたち一行は四苦八苦しつつ
自分たちが中国語を学ぶ教室を探し当てて
クソ適当なガイダンスみたいなものを受けた後、
北京語言大学のキャンパスを散策。

キャンパス内には
友谊商店という食料品や生活雑貨の店や書店、銀行、
様々な種類の食堂やレストランがあり
学生はキャンパスから出なくても
ほぼ差し支えなく生活できるようになっていた。

もちろん、学校からの出入りは自由。

中国特有の黄砂を防ぐため
どの建物にも入口にはビニールカーテン。


(画像はイメージ。でもほぼこんな感じ。)


日本ではまったく見ることのない環境で、
ワタクシの目には非常に興味深く映った。

落ち着いたところで寮の部屋に戻る。

すると・・・なぜか部屋の鍵が開いている!!

ドラマのような恐怖感を乗り越え、
部屋へと足を踏み入れると、ワタクシのデスク横に

見たことのない荷物が・・・!!??


ここからが、不可思議ともいえる北京生活の
本当の意味での始まりだった・・・

につづく。




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シリーズ7回目。

まだ山場らしいところすら迎えていないのに
当初の執筆予定回数を超えた。(笑)

ま、人とはそんなもの。楽しいから良い良い。

では参りましょう!

『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

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②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
③→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/126/
④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/
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をご覧になっていただきたい。



そうして、4月に中国語を学び始めてから10ヶ月が経った。

最初の講義で唖然愕然とさせられた中国語経験者集団だが
7月くらいの時点で、追いついたどころか完全に抜き去っていた
という明快な実感があった。

同じ中国語学科の同級生の中でも
中国語を学ぶことに対するワタクシの気持ちは
群を抜いて強かったのではないかと今でも思う。

経験者といっても
所詮は高校の第二外国語で習った程度。

4月の時点ではよく分からなかったが、
大学で専攻するのとでは習得の度合いは雲泥の差であった。
ましてや、やる気が違うのでは。


夏、秋、冬とだんだんと季節が移り変わっていったが
ワタクシは中国語にのめり込む一方。
地元の友人などに話しても誰も共感してくれなかったが
それはたぶん伝え方が悪かったのだと思う。

ワタクシ自身は
中国語を学ぶことが楽しくて仕方がなかった。


1年次も終わりに近づいたころ、大学でこんな通達があった。

1ヶ月間の短期留学参加希望者募集。

大学では1月中旬~下旬のテスト期間が終わると
次年度の入学試験との絡みもあって
2月~3月はほぼ休暇期間になるが
ワタクシにはその期間がなんだか勿体無いように思えていた。
中国語を学ぶ(学べる)環境から離れるのが嫌だった。

もちろん自宅で自学するのもアリだし
それはそれで重要なのだが
言語を学ぶということは、その特性上、
講師に習い&倣い他の人と一緒に学ぶ時間も
極めて重要だ。

で、そんなことを考えていた矢先の短期留学の話。

こうなると、あまり迷いはなかった。

せっかく中国語を約1年間学んできたのだから、
中国に行って実際に中国語を使ってみたい
という気持ちもあった。

それに、単なる訪問や観光目的で行くのではなく
勉強しに中国に行くということが
ワタクシにはとても魅力的に感じられた。

いくら物価の安い中国とはいえ、
1か月も海外に行くのだからそれなりに金がかかる。

が、両親に「短期留学に行きたい」ということを
相談するとその参加を快諾してくれた。

私立大学に通うだけでも負担をかけているというのに
その上短期留学の費用の工面までお願いするのは
気が引けなかったといえば嘘になるが、
その時はそれよりも短期留学をしたいという思いが強かった。

親はどちらも言語を学ぶことに興味を持つ可能性すらないので
ワタクシの主張が理解してもらえるのか不安もあったが
きっと、その1年間のワタクシの中国語学習への真剣さを
見ていてくれたのだろう。

こうしてワタクシは、大学1年の春休み期間、
具体的には2月末から3月末の約1ヶ月間を
中国で過ごすことになった。

行き先は、中華人民共和国の首都 北京



につづく。




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さぁシリーズ6回目。

かなりの文字数書いてる割に
なかなか佳境にも差し掛からない!(笑)


『12年前の今ごろ何をしていたか』

これまでの流れは

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②→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/125/
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④→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/127/
⑤→http://higashiindo.blog.shinobi.jp/Entry/128/

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そういった気持ちの上でのいろいろがあって
中国語の各講義が始まった。

1週間に中国語総合3コマ、中国語会話2コマ、中国語作文1コマ。

ここで、もうひとつ意外な展開が待ち受けていた。

中国語(普通話)について
ご存知ない読者の方もいると思うので
少しだけ解説しておくと、ワタクシたち日本人にとっての
中国語における最初で最大の関門は!


発音。


正しい発音ができるかどうかが
中国語習得のすべてであるといっても
過言でないくらい。

逆に、しっかり中国語を学ぼうと思ったら
まず初歩の段階で、発音をとにかくみっちりど~っさり練習して
確実に自分のものとして身につけておかなければならない。

・・・ということを

中国語総合の講義でも!

中国語会話の講義でも!

中国語作文の講義でも!

まったく同じように教示され、
いずれの時間もすべて発音の練習だけをやるところから
ワタクシの中国語学習は始まっていった。


このあたりはさすが中国語学科!

本当に一から中国語を習得できるように
カリキュラムだけでなく内容も含めて設定されているわけだ。


で!
2002年の4月に神田外語大学の中国語学科に
入学してから1か月間、ゴールデンウィーク前まで、
漢字など一文字も教わることなく、
拼音(ピンイン)と呼ばれるアルファベットと
ひたすらにらめっこしながら、
アーイーウーと声を出すだけの日々が始まる。

中国語といえば漢字というありふれたイメージとは裏腹に
黒板に並ぶのは変な記号のついたアルファベットのみ。

もちろん、どの講義でも講師一同、
それが中国語学習の第一歩であると口を揃えておっしゃるのだから
間違いはないのだろうと思いつつも、
一体何を学びに来ているのだろうか?と
不思議な感覚に包まれていたのをよく覚えているよ。

ハハハ。懐かしい話だ。


↑『簡明実用漢語課本』の第四課。
 パランカ・クーパーと共に、初めて漢字の文が登場。
 すなわち第一課~第三課までは発音に関する内容のみだったということ。
 漢字の上に付加されているアルファベットが拼音(ピンイン)。
 

日本語には無い発音(ユーウムラウト、反り舌音など)の発声方法。
4つ(+1つ)ある声調の聞き分け、言い分け。

体感したことのないその世界は、まさに夢のようだった。

学校だけでなく、家でもずっと
(中国語の)テープを聞いては戻し聞いては戻し・・・
ある時はテープに合わせて拼音を読んでまた読んで・・・

これまでの人生で
あんな時間の過ごし方はあの時だけだな。笑

そう思い返せるほどの、超連続リピート。

当時使ったテープは今はどっかにいっちゃって
この記事を書くにあたって結構探したんだけど見つからなかった。
写真を載せられないのが残念で仕方ない。

それまでの積年の思いが叶って
今、中国語を学んでる!わぁ~!!って
充実感を感じられて、すごく楽しかったけどね。


につづく。

次回からはいよいよ北京の話に入ります。




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東ヰンドの奇跡の賢者
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男性
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1983/10/11
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生粋の初田悦子ファン。
とにかくたくさんの人に “歌うストーリーテラー” 初田悦子 の歌を聴いてほしい!と心から願って生きています。
ジャグリングが趣味でしたが、最近はたまにやるくらいになってしまいました。
日本ビール検定2級所持。
マー○ャン(中国積み木)も幼い頃からすごく好きです。
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